厭う花

空から落ちる光に、抜き身の刀身が妖しく輝く。肩の力を抜き、柄を握る手に力を込める。一歩踏み出すと同時に重心を軸足に移し体を捻れば、銀状の閃きが闇夜を切り裂く。生まれた烈風にあたりの花野がかき鳴らされ花びらが舞う。宙に踊る白い花びらは月の光を吸い込み、まるで季節外れの雪のように青白く輝く。
ゼルガディスは深く長く息を吐いた。そして鋭く息を吸い込み、再び刀身を振るう。
静寂な森に響くのは夜を奏でる虫の声と空を裂く音、そして荒い息遣い。
見えない敵を討つがごとく何度か身を捻らせ−−ゼルガディスはぴたりと動きを止めた。
「――何しに来た」
振り返ることもせず、ゼルガディスは驚きも何も無いただの言葉を後ろに投げた。
「……特に何も。ただ宿屋から出ていくあなたを見かけたので、暇つぶしについてきちゃいました」
飄々とした声とともに、雑草を踏み鳴らす足音が響く。
ゼルガディスは嘆息し、半身だけ振り返った。そこにはいつもの悪意もないが善意もない笑みを浮かべた神官が立っていた。
「ゼルガディスさんこそ、こんな時間にどうしたんです?皆さんとっくに眠られてますよ」
「……別に、ただ体を動かしたくなっただけだ」
そう言ってゼルガディスは鼻を鳴らした。そしてふーんと気のない相槌をうつゼロスに構うことなく、再び刀身を振り始めた。
より疾く、より鋭く――
筋肉や関節の動きに逆らうことなく、常に最良の一手を振るう。無駄な力は省き、最小限の力で最大限の威力を――。
しばらく剣を振り続け全身がじっとりと汗ばんだ頃、ふと、ゼルガディスは後ろを振り返った。そこには花野にちょこんと腰を下ろし不気味な糸目のまま微笑んでいるゼロスがいた。ゼロスはゼルガディスと目が合うと手をぱたぱたと振り、
「あ、僕のことはお気になさらず。どうぞ鍛錬を続けてください」
「……どうやったら気にしないでいられるんだ……」
ゼルガディスは深いため息をついた。そしておもむろに、ちゃきっと、ゼロスに向けて剣を構えた。
「……なんです?」
「意味もなく見られるのは好かん。暇なら付き合え」
ゼロスはふむと考え込むと、すくっとその場に立ち上がった。
「いいでしょう。面白そうですしね。ちなみに……魔族としてですか?それとも、人間らしくですか?」
「どちらでもかまわんさ」
素っ気なく吐き捨てると、ゼルガディスは眼光を鋭くした。
「――いくぞ」
その言葉を合図に、ゼルガディスは右足に力を入れ勢いよく大地を蹴った。一瞬にしてゼロスとの間合いを詰め、右手に握り締めた剣をすくい上げるように走らせる。ゼロスがわずかに身を捻ると、その顔のそばを銀状が通り過ぎる。ゼルガディスはすぐさま手首を翻しそのまま剣を振り下ろす。その追撃も紙一重でかわし、ゼロスはとんっと軽い音を立て後ろに飛び退いた。
態勢を整える隙を与えぬままゼルガディスが肉薄する。ヒュッと息を吐き繰り出された真横に薙ぐ一撃をゼロスは錫杖で受け止める。
二、三度獲物同士を鳴らし合い、正面で攻撃を受けるとそのまま鍔迫り合いとなる。涼しい笑みを浮かべたまま繰り出される攻撃は重く、ゼルガディスは渾身の力を込めるも、徐々に両足が大地の土をえぐっていく。
ふいに押し潰されそうなほどの力がなくなり、ゼルガディスはたまらず前につんのめる。態勢が崩れたその隙に、いつの間にかゼルガディスの後方に回り込んだゼロスが錫杖をうち下ろす。ゼルガディスは舌打ちをし、片足に力を入れすかさず真横へと跳んだ。錫杖の一撃はゼルガディスのマントを浅く切り裂く。
片足を軸にすぐさまゼロスへと向き直り、あらためて正面で剣を構える。ゼルガディスは忙しなく上下する肩を落ち着かせようと長く息を吐いた。そして目の前の敵を睨みつけると、再び体を走らせた。

勝とうなどとは思っていない。自分の力量では目の前の憎たらしいプリーストに一撃を食らわすことも難しいのは重々承知していた。それでも、ゼルガディスは刃を振り続けた。そして痛感する。
自分の力は、限界を迎えている。
どれほど剣を翻しても、相手の力をいなしても、己の技量が高まる気がしなかった。
ただ自分の中に無力感だけが色濃く影を落としていく。そしてそれは、キメラにされる前にも味わったものとまったく同じものだった。ゼルガディスは剣を交錯させながら強く奥歯を噛んだ。
同時に、繰り出す一撃をすべて紙一重でかわすゼロスの動きを見て、ゼルガディスは思った。
なめらかでしなやかな体躯、ほどよく脱力した一部の無駄もない動き。洗練された武術は舞に通じるものがある。ゼロスの体術はさながら熟達した演舞のように華麗だった。
不覚にも、目を奪われる。そこにできた一瞬の隙。気づいた時には、ゼロスの鞭のようにしなる右脚がゼルガディスに迫っていた。
どごぉっ
鈍い音とみぞおちをえぐられるような衝撃を受け、ゼルガディスはそのまま花野に体を打ち付けられた。たまらず呻き声が漏れる。何度か咳込み、そして四肢を大地に投げ出した。額に浮かんだ玉のような汗が流れ落ち目に入る。染みる目を手袋で乱雑に拭うと、目を瞑り再び全身の力を抜いた。熱くなりすぎた体に、夜の空気で冷やされた大地が冷たく気持ちいい。
「何を考えていたんですか?」
降ってきた声に目を薄ら開ければ、不思議そうな糸目がゼルガディスの顔をのぞきこんでいた。
「心ここにあらず、といった感じでしたね」
「……別に、たいしたことじゃない」
ゼルガディスは小さく嘆息した。
「……俺はこの姿になって何を手に入れたのかと、つまらんことを考えてただけだ」
自嘲するように、ゼルガディスは呟いた。

強くなりたい。力が欲しい。
漠然とした浅はかで甘い考えが招いた結果、自分は確かに昔よりも強くなった。だが、最強ではない。
外の世界には自分よりも腕の立つものはごまんといる。そういう敵と相見える度に、仲間の人間離れした実力を見る度に思う。
本意ではないとはいえ、自分は人間の姿をなくして、何を得たのだろうかと。身の程をわきまえなかった愚かな考えの代償を支払っただけではないのかと。
「――刺激、じゃないですか?」
淡々と綴られた言葉に、ゼルガディスはハッと目を開き、糸目に藍の瞳を返した。
「……刺激?」
「ええ」
ゼロスはちょこんとゼルガディスの横に腰を下ろした。ゼルガディスも同じように上体を起こした。
「あなたがその姿になることがなければ、今まであなたが経験してきたことや面白い仲間には出会えなかったわけです。否が応にも巡り会ったそれらは、あなたの人生に彩りを添えたでしょう?力なんて、上を見たらきりがないことぐらいわかっていたはずです。だから、あなたは刺激を手に入れたんですよ。その姿に見合うだけのね」
その言葉に、ゼルガディスは息をのんだ。返す言葉が見つからなかった。
不覚にもその通りだと思ってしまったのだ。
(まさか魔族に指摘されるとはな……)
ゼルガディスはふっと口元を緩めた。
ゼロスの言う通りだった。凡庸な人間の狭い了見のままでは決して出会えなかった世界を自分は知ることが出来た。そしてそれはまだ終わりではない。元の姿に戻る手がかりをつかむのと同時に、果てなく広がる未知の世界に触れたいという飽く無き好奇心が確かに自分の中に存在している。
そんな自分は、嫌いではない。
「それに、僕にも会うことはなかったでしょうしね♪」
「それは不幸中の不幸だな」
「ゼルガディスさぁぁぁぁん」
眉尻を下げ情けない声を上げるゼロスを横目で見、ゼルガディスは小さく鼻を鳴らした。
そしてあたりを見回した。ぬるい風が頬を撫でるのと同時にさわさわと草花が揺れる。一面に咲き誇る小さな白い花は淡い月明かりに照らされて大地を青白く染めていた。幻想的であり、かつ不気味な静寂。
それはまるで――
「……まるで墓場のようだな」
ゼルガディスは思ったことをそのまま口にした。そして淡い光に包まれながら天を仰ぐ。満天の星空はすべてを吸い込んでしまいそうなほどに美しく、そして恐ろしい。
何も知らない頃にこの景色に出会ったら自分は何を思っただろうか。少なくとも墓場などとは微塵も思わなかっただろう。死は自分とは無縁のものだと信じて疑わなかった。
昔の自分は何度思い起こしても反吐が出そうなほどの甘ちゃんだ。まるでこの花のように小さく、純心しか取り柄のない、つまらない人間だった。元の人間の体に戻りたいが、もう何も知らなかったあの頃に戻りたいとは思わない。そういう意味ではこの姿になった意味はあったのかもしれない。
「なかなか素敵な墓場ですね」
「俺にはもったいないがな」
ゼルガディスは苦笑した。様々な悪事に手を染めた自分には、こんな美しい棺は似合わない。
「そうでしょうか。最後ぐらい、美しく散るのもいいでしょう?」
そう言うと、ゼロスは手元の花を数本手折り、ゼルガディスの上から散らした。青白い煌めきが風に乗りはらはらと青銀の髪に降り注ぐ。
「存外に、お似合いですよ」
目を細め、ゼロスはにっこり笑った。ゼルガディスは顔をしかめ、その花びらをひとつつまんだ。指先でくるくると弄びながら、
「……似合ってたまるか」
そう吐き捨て、くしゃりと花びらを握りつぶした。


〜fin〜
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