渇望するものたち-前編- |
第一話〜出会い〜 キィィィィィィン 金属同士がぶつかり合う激しい音が辺りに響き渡る。度重なる激しい斬撃を打ち合いながら、二人の男はお互いの隙を伺う。 そして―― 「いっけぇぇぇガウリイぃぃ!」 どごぉっ 「ぐばぁぁぁ!」 あたしの声援と同時に、ガウリイは相手の懐へ瞬時に飛び込み、剣の柄頭で相手の顎を思いっきり突き上げた。 男は宙で見事な半弧を描き、そのままどさりと背中から地面に落ち白目を向いた。 うおおおおおおお 「ガウリイ=ガブリエフ選手の勝利!決勝進出だー!」 野太い歓声が闘技場内に響き渡り、興奮した審判がガウリイの左手を空へ向かって高く上げながら叫ぶ。 ガウリイは一息つくと、くるりと踵を返し、観客席の最前列を陣取っているあたしに向かってニカッと笑った。 ****** 時を遡ること二日前、あたしとガウリイは相変わらずな二人旅を続ける中、このサルマード公国へやってきた。 沿岸諸国連合の中腹に位置するこの国は、セイルーンやラルティーグといった大国と隣しており、多くの物資や商人が行き交う豊かな国だ。港にも近く、ずっと内陸を歩いてきたあたし達は、そろそろ新鮮な海の幸でも、ぐらいの気持ちで訪れたのだが――。 「優勝賞金が金貨500枚ぃぃぃぃ!?」 あたしの上げた雄叫びに、食堂にいる全員の視線が集まった。 「あ、ああ。ちなみに、優勝しなくても、強い奴はこの国が誇るサルマード公国騎士団に入団できるチャンスなんだよ――って、ぐ、ぐるしひ……」 サルマードに入ってすぐの大衆食堂で、名物海鮮パスタ五人前を平らげている時だった。 食堂のおっちゃんが各テーブルにビラを配り歩いており、あたし達に差し出してきたそれをちらりと見た瞬間、目に飛び込んできたその文字に驚愕し、絶叫したあたしは無意識の内におっちゃんの胸ぐらを掴んでいた。 「これ本当なんでしょうね!?」 「ぐぇ、く、苦しい……」 「おいおいリナ、落ち着けって。おっさん真っ青になってるぞ」 おっといけない。 あたしは胸ぐらを掴んだままガクガクと前後に揺すっていた手を離した。 おっちゃんは床に尻もちをつくのと同時にひぃぃっとあたし達から離れていった。 あたしは改めて受け取ったビラに視線を落とす。 そこにはこう書いてあった。 『サルマード公国主催、第二十三回剣術大会開催 優勝賞金はなんと過去最高額の金貨500枚!! 大会で己の実力を示そう!強者は沿岸諸国随一の実力派、サルマード公国騎士団への入団が認められる!!』 「騎士団はともかく、えらく奮発したもんじゃない!ガウリイ!あんた参加しなさい!」 「え〜、オレがかぁ?」 「あったりまえでしょう!?他に誰がいるってーのよ!」 面倒くさそうに頭をぽりぽり掻いているこの男は、見た目は長身金髪美形!剣の腕は超一流!頭の中身はぷるぷるクラゲ!という三三七拍子が揃ったちょっぴり残念な剣士にしてあたしの旅の連れである。もう一緒に旅をしてかれこれ五年以上になる。 「魔法が使えるならあたしが出場して、竜破斬≪ドラグ・スレイブ≫の一発でもぶっ放しゃあいいんだけど、ビラには『魔法の使用は禁止』って書いてあるしねぇ」 おそらく、魔剣士に対する忠告だろう。剣術には少し自信はあるが、いかにあたしが美少女天才魔道士で盗賊殺し≪ロバーズ・キラー≫のリナ=インバースといえど、魔法が使えないのなら、一流の剣士に当たった場合剣術のみで勝つことは難しいだろう。 あたしはぺちぺちと手でビラを弾きながらガウリイを横目見る。 ガウリイは眉間にしわを寄せ、うーんと腕組みしながら唸り、 「――わかった。ただし、その代わり――」 ズイッと、ガウリイはあたしの目の前にまで詰め寄る。 「な、何よ!?」 綺麗な碧眼に真っ直ぐ見つめられ、一瞬ドキッと心臓が跳ね上がり、 「このロブスターいただきなっ!」 そう言い放つと、ガウリイはあたしのお皿に残っていたロブスターの黄金焼きに自らのフォークを勢いよく突っ立てた。 おにょれぇぇ!!紛らわしいフェイント入れおって!! 「ちょっと!それはあたしが楽しみに取っといたやつだかんね!!」 かくして、金貨500枚の為!ガウリイは剣術大会に出場することになった。 ****** 「さっすがねぇガウリイ!次はいよいよ決勝よ!」 観客席に帰ってきたガウリイにハイタッチを一発。 「おう!いよいよだなー」 ガウリイは余裕の表情だった。この剣術大会、参加者の技量はさほど悪くない。中にはゴロツキまがいのような奴もいるが、先程ガウリイが対戦した相手だって、他の相手と戦えばそれなりに強い部類だろう。 しかし、相手が悪かった。旅の連れという贔屓目でみたとしても、ガウリイとの力量の差は圧倒的だった。 やはりガウリイは紛れもなく超一流の剣士だ。 これで金貨500枚はあたしのもの!! と、ほくそ笑んだときだった。 うおおおおおおおおおおおお 先程のよりも更に野太く盛大な歓声が、隣の競技場から湧き上がった。 「お、お隣さんも決着がついたみたいだな」 出場者の人数が多く、対戦は二つの競技場を使用して行われていた。すなわち、あの歓声を浴びている勝者がガウリイの次の対戦相手だ。 「負けんじゃないわよ、ガウリイ」 あたしはガウリイに向かってウインクをひとつすると、 「おう!」 と、威勢のいい返事とガッツポーズが返ってきた。 決勝は半刻後に行われた。 先程ガウリイが決勝進出を決めたこの闘技場で、いよいよ決勝戦の幕が開かれようとしている。 「行って来ぉい!ガウリイ!」 「ぐおっ、お、おう!」 ファイト一発、気合の入れた平手をガウリイの肩にぶち込むと、ガウリイは一瞬転けそうになりながら闘技場のリンクに駆け寄った。 観客席は超満員の大御礼、予選を敗退した選手達もこの大会の勝者を一目見ようとわんさか押し寄せている。 闘技場内をぐるっと見渡せば、四方を囲む観客席の一部に屋根付きの観覧席がある。恐らく、この国の王や来賓がそこでこの大会を見、優秀な人材の値踏みでもしているのだろう。 「さあ、皆様お待たせいたしました!いよいよサルマード公国主催第二十三回剣術大会、決勝です!!」 おおおおおおおおおっっ リンク上に審判が上がり開始宣言を告げると、闘技場内は歓声で包まれた。 「決勝に進んだのはこの二人!旅の剣士、ガウリイ=ガブリエフ選手!!」 ガウリイは段差のあるリンクに上がり、手を挙げ歓声に応える。審判は今度はガウリイの反対側に手の平を突き出し、 「対するは、同じく旅の剣士、意外性、注目度ナンバーワンのリオム選手!!」 どおおおおおおおおっっ 歓声とどよめきが湧き上がると同時に、ゆっくりと歩みを進めながら、その人は軽やかにリンク上へ駆け上がった。 その姿を見、あたしは驚愕した。 ゆるくウェーブのかかった腰まである長い金髪、陽の下でもわかる白陶器のような肌、紫水晶≪アメジスト≫の輝きを纏った瞳が揺れる切れ長の目。 そこに姿を現したのは、なんと女性だった。それも、絶世の美女と言っても過言ではないほど整った顔立ちをしていた。 周囲は動揺する者、食い入るようにその美女をみつめる者様々だ。 当のガウリイも、まさか自分の対戦相手が女性だとは夢にも思わなかったらしく、困惑した表情を浮かべている。 落ち着いた足取りでその女性――リオムはガウリイのいるリンクの真ん中へと足を進めた。 あたしはまじまじと彼女を観察した。 白いマントを銀の肩飾りで留め、中には胸当てのようなものは一切つけていない。銀の刺繍が施され、裾が膝上まであるゆったりとした紫苑色の服を着、白いブーツとの間にはすらりとした生足が覗く。 黒い腰のベルトには、決して高身長ではない彼女には不釣り合いな程の長剣を携えていた。 あたしは眉をひそめた。 彼女は剣士と呼ぶにはあまりにも無防備な姿で、どこか以前共に旅をしていた魔剣士の姿を彷彿させた。 「ガウリイ!油断するんじゃないわよ!」 ガウリイはこちらに振り向かず、軽く右手を上げた。 「それでは決勝戦、――開始します!!」 ゴオオオオン 戦いの鐘が鳴らされ、いよいよ決勝戦の火蓋が切られた。 開始の合図が鳴るのと同時に、ガウリイは剣を鞘から抜き、両手で体の前に構えた。 対するリオムも、視線はガウリイから外さぬまま、その長い刀身を鞘から引き抜く。 彼女が手にしていたのは、見たこともない不思議な剣だった。 柄は金の装飾が施され、鍔はなく、刀身を前後で挟み込むように一対の紅い宝石がはめ込まれている。 そこから伸びる刀身は、非常に細くそれでいてバスターソード並みの長さがあり、不気味に青白い光を放っている。 リオムはゆったりとした動きで横一文字に剣を構え、目の前の相手を鋭い眼差しで見据えた。 その姿は見惚れるほど妖艶で美しかったが、同時に背筋が寒くなった。 ――隙が無い。 さすが決勝戦。ガウリイも油断のならない相手と悟ったのか顔からはいつもの余裕の表情は消え、鋭い目つきでリオムを凝視していた。 彼女もまた、ガウリイの力を量っているのかその場から動こうとしない。 二人は一定の距離をとったまま、膠着状態が続いた。 なかなか剣を交えようとしない二人にイラついたのか、場内からは野次も飛び始めていた。しかし、おそらく両者の耳には届いていないだろう。 もはや剣術大会であることも忘れ、命の取り合いが始まるかのような緊張感が張り詰めている。 最初に動いたのは、ガウリイのほうだった。 「はぁっ!」 発声とともにガウリイは間合いを一気に詰め、上段から勢いよく剣を振り下ろす。リオムは後ろに跳ぶかと思いきや、一歩前へ地を蹴り剣をすくい上げるように走らせ―― ガキィィィン ガウリイの一撃をその細い刀剣で真っ向から受けた。ぎちぎちと、金属同士が啀み合う音が響く。 押し合いになればガウリイの腕力が勝ったのか、じりじりとリオムの足が後退している。 押し勝てぬと分かったのか、リオムはちっと舌打ちをすると後方へと下がり、再度間合いを詰め剣を一閃させる。 ガウリイは半身を引き紙一重でその剣を避ける。そのすぐ横をリオムがすり抜けていき――次の瞬間、リオムは不安定な体勢から身を翻し、あり得ないほど速い剣速でガウリイ目掛けて刀身を打ち込む。 今度はガウリイがその一撃を受け止め、互いの剣が火花を散らす。 その後もお互いの出方を伺いつつ剣を躍らせながら斬撃の応酬が繰り広げられた。 二人の剣戟はもはや超人レベルで、あたしも目で追うのがやっとだった。 ――ウソでしょ!? あたしは絶句した。 おそらく、最初のガウリイの一撃は、自分の力に相手の刃がどこまで耐えられるかどうかを確認したのだろう。 ガウリイの持つ剣は斬れ味を鈍くする為の紋様付きだが、周囲の魔力を糧とし自身の斬れ味に転化する伝説の剣、斬妖剣≪ブラストソード≫なのだ。 それにガウリイの剣術と腕力が加われば、相手の剣をへし折ることも可能。 しかし、リオムはその一撃を受け止めた。細い刀身の割にはかなり強度があるようだが、それだけではない。 疾風のごとき剣速でわずかに足りない腕力を補い、斬撃の威力を高めている。 決して彼女は筋肉隆々の剛腕ではない。それでも一般的な女性よりもスレンダーなその細腕で男の剛腕が打ち下ろす剣を止めたのだ。 姿に似合わずかなり腕力があるのか、それとも腕力を増幅させるようなイカサマでもしているのか――。 そうこう考えている間も二人の剣の交錯は続いている。あまりにも超人的な剣裁きに、会場は静まり返り、重々しい金属音だけがこだましている。 ギィィィィン 一際重い斬撃音が響いたあと、後ろに跳び退いたのはリオムのほうだった。 ガウリイはふぅと息を吐き、 「なかなかやるなぁ、おまえさん」 「――あなたもね」 中性的な落ち着いたトーンで、リオムはガウリイの言葉に応えた。 ふぅぅと呼吸を整え、ガウリイは再度剣を構える。あれだけの長い応酬で、さすがのガウリイも少し息が荒くなっていた。 対するリオムは、まったく息を切らすことなく、ガウリイに向かって静かに剣を構えていた。 美女に向かって言う言葉ではないが、どうやら体力も化け物並みのようだ。 一筋の汗があたしの頬を伝った。これだけ実力が僅差している戦いを見るのは久方ぶりで、こちらまで手汗握ってしまう。 「ガウリイ!負けたら承知しないわよー!!」 あたしの声援に、ガウリイは「おう!」と返事をした。どうやら喝が入ったようだ。 二人は再び対峙し――先に動いたのはリオムの方だった。 地を蹴り上げ一直線にガウリイの正面に突っ込むと、あと一歩の距離で突然姿を消した。 目標が視界からいなくなったが、野生的な勘でガウリイは体を捻り剣を翻し、斜め後ろから襲いかかる斬撃を弾き返した。 半身を回転させ相手の死角から放った一撃がまさか受けられるとは思わなかったのか、彼女は一瞬驚嘆の表情を浮かべ、わずかに崩したバランスをすぐ整え直し、再度ガウリイへ目掛けて剣を打ち込む。 ガウリイは超人的な身のこなしでその一撃をすんでのところで避け、そのまま剣を打ち下ろす態勢に入る。 その剣を迎えようとリオムが構え直した瞬間―― 次に目標を失ったのは彼女のほうだった。そして―― ギィィィィィィィン 下に沈み込んだガウリイの打ち上げた一閃が、リオムの剣を宙へと踊らせた。 ざんっっっ 宙に舞い上がった剣は弧を描きながらそのままリンクの石畳に突き刺さった。 うおおおおおおおおおおお 本日一番の歓声が闘技場に沸き起こった。なかなかお目にかかれない超一流同士の戦いに観客全員が興奮し、口々に感嘆の言葉を叫んでいる。 あたしは、いつのまにか立ち上がって食い入るように試合を見つめていたことにようやく気付き、ふぅっと安堵の溜息をつきながら椅子に座った。 あー、心臓に悪い! 金貨500枚のことなどすっかり忘れ、途中からはまるで本物の死闘を見ているかのようだった。 力一杯握り拳をしていたせいか、両手がじんじんと痺れている。 途中から剣術大会であることを忘れ、どう魔法でサポートしたらガウリイと目の前の敵を打ち倒すことが出来るかなどと考えてしまった。 だが、あの接戦に割って入ることなどあたしには出来そうもなかった。 そんなことをあたしが考えていたなどとは露知らず、決着の付いたリンクではガウリイとリオムが剣を鞘に収め握手をしていた。 「いや〜危なかったなぁ。お疲れさん」 「――すごい腕ね」 「いやぁ〜。あ、そうだ。おまえさん、剣を構え直す時に時々手首を変な風にひねる癖あるだろ? その瞬間力が抜けちまうから、その癖直したほうがいいぜ」 ご丁寧に相手に塩を送るガウリイ。彼女はその端整な目を少し見開き、 「見抜かれても、その瞬間を狙えるやつはそういないわ」 そう言うと、くつくつと笑いながらガウリイに軽い笑みを向けた。 「またいつか、わたしと戦ってくれる?」 「あぁ、いいぜ。手合わせならな」 ここに、美男美女の超一流剣士カップルが誕生したのだった――なーんてナレーションが入りそうな光景だ。 ――いかんいかん、何を考えているんだ自分は――。 そんな懸念を打ち消すように頭をぶんぶん横に振り、あたしは手を振りながらこちらへ真っ直ぐ帰ってくるガウリイのもとへと駆け寄った。 ****** 第二話〜再会〜 「おっちゃん!こっち、スペシャルディナー五人前追加ね!」 「オレは十人前追加ー!」 どこにでもある宿屋兼食堂の片隅のテーブルで、その使命を終えた食器が塔のように積み上がっていく。 あたしとガウリイはナイフとフォークを閃かせひたすら目の前の料理を平らげていた。 その食いっぷりに食堂内から好奇と呆れた視線が注がれているが、そんなことはちっとも気にならない。 なぜなら―― 「んっふっふぅ、金貨500枚よ、ご・ひゃ・く・ま・いぃぃぃ!」 手にした袋を上下に振れば、ずっしりとした重みとともにジャラジャラと甘美な音を立てる。 あたしは目尻と口の端が地につきそうなぐらい緩ませながら、その袋に頬をすりすりする。 もちろん、盗賊からせしめた物ではなく、昼間に行われた剣術大会でガウリイが勝ち取った優勝賞金である。 え?それならガウリイのものじゃないかって? 問題ない。ガウリイのものは必然的にあたしのものなのだ! 「しかし、そんな大きな袋提げてちゃあ、盗賊の格好の的なんじゃないのか?」 ガウリイは料理から視線を外さず、両手を休めぬまま話してきた。 「なーに言ってんのよ、そうなったらそうなったで逆にそいつらぶっ飛ばせばお宝倍増じゃない!」 さも当然とばかりに言い返す。 ガウリイは、ジト目でこちらを見つつ何か言う代わりに溜息をひとつついた。 再び黙々と食事を始め、 「そーいや、昼間の依頼、あれ受けるのか?」 メインディシュのローストポークを口一杯頬張りながらガウリイが喋る。 「あー、あれねぇ。胡散臭いし面倒な事になりそうだし、どうしたもんかしら……」 サルマード風子羊のカツレツをさくさく食べながら、あたしは昼間の話を思い出しつつ気の無い返事をした。 ****** 「少しお話を聞いていただけませんでしょうか」 あたしとガウリイが受付で剣術大会の優勝賞金を受け取ろうとした時だった。 後ろから声を掛けてきたのは、ドラゴンの紋章が描かれた青い甲冑に身を包み、ロングソードを携えた40代半ばぐらいの男だった。 鋭い目つきをしたなかなかのハンサムなおじさまだ。 「わたしはサルマード公国騎士団隊長、グランと申します。先程のお手並み、大変素晴らしかったです。ぜひとも聞いていただきたいお話が――」 「悪いけど、騎士団の勧誘ならお断りよ」 グランが言い終わる前に、あたしはきっぱりと言い放つ。 「いえいえ、もちろん入団していただけたら大変心強いのですが……あなた様は魔道士様ですか?」 いいえ、違います。ウェイトレスです。 なんて冗談でも言ってやろうかと思ったが、宝石の護符≪ジュエルズ・アミュレット≫が両肩にはめ込まれた黒いショルダーガードに黒いマントという標準的な魔道士スタイルでそんなことを言い出した日には、 頭おかしい子だと思われること間違いない。それも面倒なので、 「そうよ」 あたしは素直に答えた。 「あぁ、それはますます頼もしい。ぜひともあなた方にご依頼が――」 「お待たせしました。こちら優勝賞金です」 グランの話を遮り、大会本部の受付係がずっしりとした布袋をこちらに差し出した。 あたしは袋の紐をほどいて中身を確認する。そこには陽の光を浴びて煌々と輝く金貨の姿。 あたしのボルテージは最高潮に達し、歓喜のあまり金貨の袋をひしっと抱き締めた。 「ああああ金貨ごひゃくまいちゅわぁぁん!ようやく会えたわねぇぇぇ」 「あ、あの……」 「んーさすが500枚ともなると壮観よねぇ。んーいい子いい子」 「……」 「あたしがたーいせつに使ってあげますからねぇぇ。うっふっふっ」 「……報酬はたっぷりとお支払いしますが」 「お話伺いましょう!」 グランの一言に、しゅたっと彼の両手を取るあたしの身の代わりの早さに、斜め後ろでガウリイがズッコケていた。 「どうぞ、こちらへお進みください」 グランに案内されてやってきたのは、サルマード公国王宮の謁見の間であった。 王宮内は白を基調とした荘厳な造りで、要所要所に施された彫刻や調度品の豪華さからこの国の豊かさがうかがえる。 「グランです。失礼します」 グランにより竜の紋様が彫られ豪華絢爛に装飾された扉が重い音を立てて開かれた。 その先の壇上にはこの国の王、ウォールズ=ダイナ=サルマードが玉座に厳かに座っている。 王の前には先客もいた。 「あれ――リオム、さん?」 金髪美女の女剣士は振り向き、あたしとガウリィを交互に見やると、ニコリと軽く笑みを返してきた。 「なんだ、あんたも声掛けられたのか?」 おおっ!ガウリイが人の顔を覚えている!? 「――えぇ」 リオムは一言で返すと、再度王のいる壇上へと視線を移した。 確かに、決勝戦でガウリイとあれだけの剣戟を披露したのだ。彼女にも声がかかっていて当然だ。 「双方、よく来てくれた」 ウォールズ王は静かに口を開いた。 「そなた達の腕を見込んで、ぜひ頼みたいことがある。……我が娘――第二王女イルマーの護衛を頼みたい」 「お姫様の護衛……ですか?」 あたしは怪訝な顔で問い返す。 「そうだ。十日後、王女イルマーと、婚約者である隣国ダグレスの国王、ディクス=イェル=ダグレスとの婚礼が貴国で行われる。 その道中の護衛を頼みたいのだ」 そう話すウォールズ王の言葉にあたしは合点がいかなかった。 ここからダグレスまでは街道一本道でのんびり行っても五日あれば到着できる。 仮にもサルマードは連合国屈指の実力を誇る騎士団を有しているのだ。婚礼行列目当てに盗賊ぐらい襲ってくるかもしれないが、何も旅の剣士や魔道士にわざわざ金を払って雇う話ではない。 「何か事情があるんですか?」 「……実は……」 あたしの問いに、ウォールズ王はその重い口を開いた。 「半年ほど前か、ディクス王から援軍の要請が来た。ダグレス近辺でレッサーデーモンが大量発生しているから助けてほしいと」 「レッサーデーモン!?」 あたしは思わず声を荒げた。 「あぁ。サルマード近辺ではそのような事は報告されていないのだがな。 ……ダグレスは数年前、多数の盗賊に先代の国王と王妃が虐殺され国が滅びかけた。なんとか一命をとりとめたディクス王子がその後即位したものの、国を建て直すのは容易ではない。 兵力も整っていないのだろう。ましてや山間に囲まれた小さな国だ。致し方ない。 それに、真実はどうあれ友好国の援軍要請を無下に断るわけにもいかん」 王に続き、次はグランが口を開く。 「よって、王命により騎士団の約半数を当時の騎士団隊長が引き連れ、魔物討伐に向かった。 しかし……誰も帰ってこなかった」 グランはきつく唇を噛み、鋭い目をいっそう吊り上げた。ウォールズ王はそれに続き、 「その後も、ダグレスに何度も使者を遣わしたが、結果は同じだった。事態が把握出来ぬまま月日だけが過ぎ……つい一週間前のことだ。 ――アレが来たのは」 ウォールズ王の眉間にはより一層深い皺が刻まれ、思い出したくもないのか手で口元を覆う。 「奇妙な生物が、千切れた人間の腕を咥えて城門の前にそれを置いていったのだ」 「奇妙な生物?」 あたしは眉をひそめ問い返す。 「あぁ……合成獣≪キメラ≫だ」 苦々しく王が捨て吐いたその単語に、あたしの片眉がぴくんと跳ね上がる。 「衛兵の話によれば、それは狼に似た風貌だったが背中には翼が生え、硬い鱗に覆われており、そして――体から人間の腕が生えていたそうだ」 「なっーーー!?」 あたしは絶句した。 キメラは自然発生するものではない。これまでにもキメラを創っていた研究者にあったことはある。その姿を異形なものに変えられてしまった者も知っている。 だが、世界平和のためにやりました〜なんてトチ狂ったやつはいない。 必ず、誰かが何かを企んでいる。 「キメラが置いていった腕にはダグレスからの書簡が握られていた。それにはこう書かれていた。 『イルマーとの婚礼準備が整いました。どうぞ我が国へお越しください』とな……」 ウォールズ王はそこまで話すと長く深い溜息を吐き出した。 「ダグレスか、あるいはその途中で明らかに何かが起きている。この異常事態、本来ならば婚礼などと言っている場合ではないのだが、 イルマーは結婚するの一点張りだ。駄目だと言い聞かせたら家出してでも行くときかないのだ。 だから、そなた達には婚礼道中の警護と、一体何が起こっているのか、ダグレスへ行き真相を解明して欲しい」 なるほど。そこまで聞いてようやく納得した。 今回の剣術大会の賞金が馬鹿高かったのは、減った騎士団の補充と、少しでも有能な戦力を警護につけたかったからだろう。 「今すぐにでもと言うイルマーをなんとか説得し、出発は五日後となった。……もう出発までに残された時間は少ない。ぜひ、この話受けてもらいたい」 「それともう一つ」 王とグランが代わるがわる口を開く。 「この話を受けてくださるなら、ぜひともガウリイ殿、リオム殿に、我が騎士団の剣術の指南役をしていただきたいのです」 ……はあああああああああ? ガウリイに指南役!?脳みそぷるぷるゼリーなのに!? あたしは驚きのあまり口をパクパクさせ、 「付け焼き刃でも護衛に行く者の腕を少しでも上げておきたいのです。もちろん!報酬は上乗せいたします」 「考えておきましょう!」 上乗せの一言にあたしはグッと拳を握り力強く頷く。 「――オレの意思は?」 呆れ顔のガウリイがジト眼でこちらをみていた。 「リオム殿はいかがでしょうか?」 静かに王やグランの話を聞いていたリオムは表情ひとつ変えず、 「わたしは指南には向かない。護衛の件は……考えておくわ」 そう言い残すと、くるりと踵を返し、謁見の間から出て行った。 ****** 「何だか面倒な事に巻き込まれそうなにおいがプンプンするのよねぇ。報酬は魅力的だけど」 食後の香茶を飲み、あたしは深いため息をつく。茶葉独特の香ばしくも爽やかな芳香が、あたしの疲れ切った脳に眠りを誘う。 報酬の上乗せにつられたものの、正直路銀には困っていないし、面倒なので嫌です!と突っぱねたい気持ちもあるのだが……。 レッサーデーモンの大量発生、誰一人帰らぬダグレスへの旅路、キメラの出現――。 ここまで聞いておいて、あたしたちは関係ないんでってとんずらこくのもちょっぴり良心が痛む。 「アンタはいいの?騎士団の指南役なんかやらされるのよ?」 「オレはどっちでもいいぞー」 まだ熱いのかホットミルクをふぅふぅと冷ましながらガウリイは答える。 ――ったく、相変わらず何も考えてないんだから。 あたしは頭をぐしゃぐしゃ掻きむしり、 「ああもう!とりあえず今日はもう休みましょ」 カップを荒々しくテーブルに置き、あたし達はそれぞれ部屋へと戻った。 闇夜の帳が下り、雲が月を覆い隠し、深い闇が生まれる。 あたしはふと、ベッドの上で目を覚ました。けたたましく鳴いていた虫の声が止み、街は静寂に包まれている。 途端に湧き起こる背筋を舐められるようなぞわりとした感じ。 あたしは嫌な予感がし―― どごぉっっ 鈍い破砕音がするより早く、反射的にあたしはベッドから飛び退いていた。 月明かりが消え、部屋の中は目を凝らしてもよく見えないが、ベッドが元の形からかなり歪んでおり、その上には蠢く影がひとつ。 「明かりよ!≪ライティング≫」 あたしの生んだ光球が部屋を照らす。 「ぎゃっ――」 パリーン 小さな悲鳴とともに聞こえたのは、部屋に一つしかない窓のガラスが割れる音だった。 あたしは部屋の中から決して小さくはない影が窓から飛び出たのを目の端で捉えていた。 ――疾い!! あたしは窓に駆け寄り、 「浮遊!≪レビテーション≫」 術を唱え泊まっていた宿屋の二階から飛び降り、影の正体を追う。 しかし、路地を一本、二本進んだところで影を見失った。感覚を研ぎ澄ませてもあたりからは何の気配も感じられない。 再び耳障りなほどの虫の音が鳴り響いてきた。 「おい、リナ!どうしたんだ!」 異変にようやく気付いたのか、パジャマ姿のまま剣だけ握りしめてガウリイはあたしの横に並んだ。 「何があった?」 「――分からないわ」 自分でも何が起きたのかよく分からなかった。ただ、明かりに照らされ影が逃走するその瞬間、あたしは見てしまった。 それは人間の子供だった。ただし、全身が墨で塗りつぶされたように黒く、背中には小ぶりな翼、獣のような脚を持っていた。 「やっぱり、断れそうもないわね」 ぼそっと呟いたあたしの言葉は、冷たく吹く闇夜の風にさらわれていった。 ****** 「えいっ!やあっ!」 「そうそう、その調子〜」 翌日、依頼を受けることにしたあたし達は再度王宮を訪れた。 んで、待ってましたとばかりにガウリイはさっそく騎士団の稽古に駆り出されていた。 適当にやればいいのに、律儀にも一人一人、剣の握り方だの振り方などをアドバイスしている。 あのガウリイが人に物を教えるところなんぞ滅多に見られるものではないので少し新鮮だ。 あたしはといえば、ガウリイが王宮にいる間、半年前に起きた騎士団行方不明事件やレッサーデーモンの件について街で聞き込みをしようと思ったのだが…… 街の人から返ってきた答えは、いずれも「知らない」とか「分からない」という言葉だった。 多くの行方不明者が出たのに的を得ない返答ばかりか、噂にも立ち昇らないのは明らかにおかしい。 おそらく、隣国に余計な混乱を与えないよう、情報規制が敷かれているのか。 なんの収穫も得られず、やることのなくなったあたしはガウリィの指南っぷりを見ていたのだがそろそろ飽きてきた。 あたりをぷらぷら歩こうかと立ち上がろうとしたとき、 「――あのぅ」 背後から声を掛けられた。 振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。 年の頃は17か18、レースがたっぷりと縫われた白いドレスを着、綺麗な赤毛をゆったりとした三つ編みに結わえている。 落ち着いた柔らかい物腰。立っているだけで気品が滲み出ている。 「父が雇った、魔道士様ですか?」 ということは、やはり彼女はサルマード第二王女イルマーか。 「ええ、そうだけど」 「あの……少しお話したいことがあるんです」 イルマーは、長めに伸ばした前髪の間から綺麗な薄茜色の瞳をこちらに向け、おどおどとあたしに話しかける。 元々なのか具合が悪いのか肌は青白くやや生気に欠けている。 それに加えて彼女の表情は明らかに陰りを見せており、父親の反対を押し切り結婚を迎える強情なお姫様にはとても見えなかった。 「はぁ」 「こちらへ」 なんだかよくわからないまま、とりあえずあたしは大人しく彼女の後をついて行った。 城門から王宮内へと伸びる通路を歩き、連れて行かれたのは再び謁見の間だった。 扉を開けると部屋の中に人影はなく、ひっそりと静まり返っていた。 イルマーは扉を閉め部屋の中央まで歩き、こちらにくるりと体を向ける。 言うか言うまいか困惑の表情を浮かべ、しばらくそわそわしていたが、彼女が口を開こうとした瞬間―― バァァァァァン 入り口の扉が盛大に開き、思わずあたしは身構えた。 しかし、扉のその先に佇んでいたのは、数名の従者を従え仁王立ちする一人の少女の姿。 「サルマード国王、王女の御婚礼おめでとうございます!父に代わり、このわたくしが婚礼の祝賀を――っ」 そこまで述べると、少女の視線があたしとぶつかった。 瞳を爛々と輝かせ、肩で切り揃えられた艶やかな黒髪の少女の顔は瞬く間にいびつに歪みどんどん青ざめていく。 まるでこの世のものとは思えないものを見たかのように。 「なんつー顔すんのよ、アメリア!」 そう、ピンクのひらひらとした公務用ドレスを着、腰に手を当て口上を述べたのは以前ともに旅をした正義オタクにして聖王国セイルーンの第二王女――アメリアだった。 「な、ななな、なんでリナさんがここにいるんですか!?はっ、さては、とうとう盗賊だけでは飽き足らず一国の財宝を狙って」 「んなわけあるかああああ!あんた、あたしのことなんだと思って」 「そういう人だと思ってます」 きっぱりと言い放つアメリア。 久しぶりに会ったというのにこの言い草。この子、違う意味で強くなってないか? 「アメリアこそどうしてここに?」 「わたしは父さんの代理で、イルマーの婚礼祝いを届けに来たんです。ね、ゼルガディスさん」 アメリアは少し離れた場所で待機していた従者の一人にウインクをひとつ。 従者の一人は深いため息をひとつこぼすと、こちらへ歩み寄った。 白いマントを羽織り口元をマスクで隠し、フードを間深く被った青白い岩肌の男、よく見知った顔だ。 「――ゼル!?なんでゼルがアメリアのお供してんのよ!?」 「お供じゃない!!……護衛だ」 似たようなもんじゃないか。 「父さんが道中危ないからって、たまたまセイルーンに来てたゼルガディスさんに護衛を依頼したんです」 「へぇ。たまたまねぇ」 あたしは意地の悪い笑みを浮かべゼルガディスに向け肘で彼の体を小突く。 「真実だ。変な勘ぐりはやめろ」 半眼であたしを睨みつけるゼルガディス。 「俺のことはいい。おまえさんこそ、なんだってこんなとこに?」 「あぁ、ガウリイもいるんだけどね、ダグレスへ婚礼旅の道中、姫さまの護衛を――って、アレ?」 突然の再会に気を取られ気づかなかったが、いつの間にかここにあたしを連れてきたイルマーの姿が消えていた。 その後、ガウリイとも合流し、あたし、ガウリイ、アメリア、ゼルガディスというお久しぶりなメンバーで街の酒場でテーブルを囲んだ。 積もり積もる話はあるのだが、とりあえずあたしはサルマードに来てからの経緯を語った。 もちろん、昨夜宿に現れた奇妙なキメラのことも。 「デーモンの大量発生……キメラ……そんな噂、セイルーンでは聞いたことありませんでした」 神妙な面持ちでアメリアは呟く。 ちなみに、アメリアは既に着慣れた旅装姿になっている。 「アメリアはダグレスに行ったことはあるの?」 あたしの質問に彼女は首を横に振る。 「セイルーンとはあまり国交がなかった国ですから。そもそも田舎、といったら失礼ですが、辺境の国であまり国交に積極的な国ではありません。 数年前、ダグレスの前国王と王妃がお亡くなりになった時も、話によると葬儀は密葬だったみたいで、父さんもわたしも弔問しなかったんです」 「ディクス王と面識は?」 続けてあたしが問う。 「名前だけならイルマーから聞いてましたけど……サルマードと友好国だけあって、彼女は昔から彼とよく会っていたみたいです。 なんでも、幼い頃に将来を誓い合った仲なんですって!よく惚気話を聞かされて……あ、イルマーとわたしは何度か一緒に遊んだこともあって、友達なんです」 「あんたとあの大人しそうなお姫様が!?」 正反対なタイプなだけに想像がつかない。 「はい!イルマーが囚われのお姫様の役で、わたしがそれを救出する正義のヒーローを」 はい、想像ついた。 「そんな話はどうでもいい」 明らかに苛立ちの表情を浮かべながら、ゼルガディスはあたし達の会話を遮った。 「リナ、お前を襲ってきたキメラは、確かに人間との合成だったんだな?」 ゼルガディスの眼光がいっそう鋭さを増した。 「……そうだと思う。思いたくないけど」 「そうか」 ガタンと突如席を立ち、ゼルガディスは酒場の出口へと歩いていく。 「ちょっと、どこへ行くのよゼル!?」 「決まってるだろう。――ダグレスへ行く」 「一人で行く気?」 「別にお前達と一緒に行く義理も理由もない」 確かにゼルガディスはサルマード王から依頼を受けたわけではない。婚礼旅に同行するよりかは早く、そして身軽にダグレスに着くことができるだろう。 しかし、デーモンの大量発生が本当ならば、いくらゼルガディスが魔法や剣技に長けていても危険すぎる。 気が早るのだろう。人間に戻る方法を求めている彼にとっては、今回の出来事は願ってもいない手掛かりになるかもしれないのだから。 あたしがどうやってゼルガディスを説き伏せようかと考えていると、 「理由ならあります!」 と、椅子から勢いよく立ち上がり、アメリアは真っ直ぐゼルガディスを見つめた。 「ゼルガディスさんは今わたしの護衛という任務の真っ最中です。わたしを無事セイルーンに送り届けるまでが交わした契約です。 その責務を果たさずしていなくなるなど、正義の心を持つゼルガディスさんが出来るはずありません!」 決まった!――と満足気な表情でアメリアは両拳を握った。 「アメリアはこのままセイルーンに帰るの?」 アメリアは再度首を横に振り、 「ここまで聞いて帰ってしまっては、わたしの正義の心が許しません。なんだか、只ならぬ悪を感じます。 ……それに、イルマーは大切なお友達です。父さんも許してくれるでしょう。 なので、あたしもイルマーの婚礼旅について行けるよう、ウォールズ陛下に頼んでみます。これでいいですよね?ゼルガディスさん」 ゼルガディスはしばらくその場に立ち止まり、正義の説得に観念したのか大きく息を吐き出した。 「……あぁ、わかったよ」 自分の正義が通じたと、ぱあっ顔を綻ばせるアメリア。 押し黙ったままのガウリィにちらりと視線を向ければ、イスの背もたれに体を預けぐーすか気持ち良さそうに寝ていた。 その後、あたしが渾身の飛び蹴りを食らわせたのは言うまでもない。 かくて思わぬ再会を果たしたあたしたち四人は、五日後、ダグレスへの旅路につくこととなった。 |
渇望するものたち-中編- |
第三話〜旅路〜 「……退屈ねぇ……」 「……だなぁ……」 「リナさん!ガウリイさん!不謹慎ですよ!」 暖かな陽光がなんとも眠りを誘う昼下がり。 あたしとガウリイは盛大なあくびとともに胸の内を漏らしたが、後ろにいるアメリアからすぐに叱責が飛んできた。 サルマードを出発して二日目。婚礼旅は、気味が悪いくらい順調に進んでいた。 出発当初は、いつレッサーデーモンの襲撃があってもいいように神経を張り巡らせていたのだが……デーモンどころか、婚礼行列には欠かせないお約束の三流盗賊すら現れない。 こうも何事も起こらないと単調な道のりだけに退屈で仕方ない。 ――いや、いいことなんだけどね、本当は。 だが、剣士にして天才魔道士たるあたしにはちょいと刺激が欲しいところである。 ……こんなこと考えてるなんて知られたらまたアメリアに叱られるんだろうけど。 だが、決して油断しているわけではない。気になっていることはある。 「――にしても、誰も通りませんね」 あたし達をたしなめた手前、大っぴらにできないのか必死にあくびをこらえつつアメリアが呟いた。 そう。あたし達が歩いている街道は、決して大きくはないがサルマードとダグレスを結ぶ主要街道。 普段なら商人や旅人が少なからず利用するため誰かしらすれ違ったりするはずなのだが……。 サルマードを出発して以来、この婚礼行列以外の人間を見ていない。 アメリアはてくてくと花嫁のいる馬車へと近づき、 「イルマー、疲れていませんか?」 馬車の中にいる王女に声を掛ける。 「ええ、大丈夫です。ありがとう、アメリア」 馬車のカーテンが少し開き、こちらを覗く薄茜色の瞳が緩やかに揺れる。 彼女の声は気丈に保とうとはしているが疲労感が滲み出ていた。長時間馬車に揺られるだけでも旅慣れない人にとっては疲れるものだ。 「このまま順調に行けば、夕刻にはサハランの村に着きますから」 アメリアは声を掛け終わると、再び馬車の後ろへ移動し、ゼルガディスの横に並んで歩いた。 ダグレスまでの道程は五日間で計画されている。この街道沿いには二つの小さな村があり、二日目にサハランの村、四日目にリンドルの村で宿泊する。 といっても、この大人数で泊まれるような宿屋などなく、行く先々で野営を張ることになる。 婚礼行列は、軍馬に乗ったサルマード騎士団隊長グランを筆頭に十数名の騎士が続き、王女イルマーが乗る馬車の前をあたしとガウリイ、 横にリオム、後ろにゼルガディスとアメリア、さらに後続には婚礼品や身の回りの荷物を乗せた馬車と、その周りを他に雇われた魔道士やら剣士やらが囲んでいる。 かなりの大所帯で移動していることもあり歩調はかなりゆっくりなのだが、これといった障害もないため予定通り進んでいる。 あたしはちらりと振り返り、イルマーの乗る馬車へと視線を向けた。 すると、馬車の横を歩くリオムの視線とぶつかった。 彼女は少しだけ口元を上げると、すぐに視線を他へと移した。 結局、騎士団の指南には来ていなかったので、この護衛だけ引き受けたのだろう。 何が起こるかわからない曰く付きの道中だ。あれだけ腕の立つ人がいるのは心強い。 あたしも視線を前に戻し、ふと王宮でイルマーに声をかけられた時のことを思い出した。 あの時、彼女の話を聞きそびれたことが心の奥でずっと引っかかっている。 彼女はあの時、あたしに何を言おうとしたのか――。 さしたる苦もなく、夕刻には一つ目の村、サハランについた。しかし―― 『――なっ!?』 村に着いた途端、一同が驚愕の声を上げた。 そこに広がる景色は、小さいながらも農業と酪農で自給自足の暮らしを送っているのどかな村――ではなかった。 人が住んでいるであろう赤煉瓦造りの住居は所々破壊され、扉や窓が無造作に開け放たれている。 道端や花壇に植えられた草花は色を失い、風が吹くたびにカサカサと乾いた音を立てる。 家畜の逃走防止のためか柵が張り巡らされた一帯には、本来いるべき家畜はいない。 家畜どころか、村人一人として見当たらない。 「……これは……一体……」 グランはしばし茫然としていたが、すぐに頭を切り替え部下達に村の状況確認を命令した。 あたしはアメリアとゼルガディスに目配せをし、村の探索に加わった。 全員で行動して王女の護衛を手薄にするわけにはいかない。二人はその意を汲んでくれたようだ。 あたしはとりあえず近くの住居に入ってみた。ここは外壁に目立った損壊はないが、家の中は生活用品や食器などが使用されたままの姿で厚い埃を被っていた。当然、人の姿はない。 家の隣には井戸があった。試しに落ちていた小石をひとつ投げ入れてみる。 ――ぽちゃん。 どうやら水源は枯渇していないようだ。 ともなると、この土地に住めなくなって集団移住、という線は薄い。 まして、レッサーデーモンの被害にあったのかというと、それとも少し違う。やつらは炎の矢を使う。 もしレッサーデーモンに襲われていたら、家や草木は焼け落ち、一面焼け野原になっているだろう。 騎士達の報告を受けたグランはしばらく考え込み、王女の馬車まで移動しその場にいる全員に届くよう声を張り上げる。 「この村がどういう状況に置かれているのかはよくわからぬ。だが、今すぐ危険というわけでもなさそうだ。よって、当初の予定通り、本日はここで野営とする。王女様も、それでよろしいでしょうか」 グランの言葉に、豪華な馬車から花嫁姿のイルマーが姿を現わす。 サルマードのしきたりで、城を出発する時から代々の婚礼衣装を身につけ旅路に出るのが習わしとのこと。 純白のふんわりと広がるロングドレス、大きく開いた胸元には様々な宝石が散りばめられた品の良いネックレス、赤毛はアップに纏められ、 小さなティアラからは鎖骨のあたりまでレースのヴェールが垂れている。 もし村人がいたら総出で祝福の言葉を浴び宴が開かれたことだろう。 「わかりました。よろしくお願いします」 王女の一声に、それぞれが野営の準備に取りかかった。 ****** ――ぱちんっ。 静かに燃える炎が薪を喰らい、紅く染まる木枝が弾け火の粉を散らす。 山間部なだけあって、日中の寒暖差が大きく、夜になるにつれ肌寒く冷え込んでいる。たまに吹く夜風も冷たく露出した肌がぴりっと強張る。 吐き出す息は白く、ひんやりとした空気が肺に入ると軽く息が詰まる。 あたしは膝を折りマントを体に軽く巻きつけ焚き火に両手をかざす。 別に寒いから暖を取っているわけではない。 全員で仲良くおねんねして朝起きたら全滅してました――なんて阿呆なことにならないよう、交替で見張りの番についている。 あたりにもいくつか火が焚かれ、騎士団や他の護衛達も寒そうに焚き火に手をかざしている。 ふと、隣で静かに薪を焼べるゼルガディスに視線を移す。 あたしの隣には自称保護者がいることが多いけど、今ガウリイはグランに呼ばれ騎士団のテントにいる。 なので少し変わった組み合わせだ。 ゼルガディスは焚き火から視線を動かさずにいたが、目深に被ったフードからのぞくその瞳には、燃え盛る炎ではなく焦燥の色がはっきりと映っていた。 表情も旅が始まってからずっと険しいままだ。 「……そんなにずっと眉間に皺寄せてたら、そのまま固まっちゃうわよ」 「ほっとけ」 あたしの軽い冗談に、一層眉間の皺が深くなる。 かつて、己の無力さに絶望し力を追い求めた結果、自分の血縁によってキメラへと姿を変えられた。 その外見で並ならぬ苦労をしてきたことはよく知っている。 だからこそ同情はしない。ただ、本心から、彼の悲願が叶うことを応援している。 「……手掛かり、あるといいわね」 「……あぁ」 ゼルガディスは遠くの星々を見つめ、一言だけで返事をした。 「リナさ〜ん」 遠くからアメリアの声が聞こえ振り返ると、アメリア、イルマー、リオムの三人がこちらへと歩いてくる。 「どうしたの?王女様やリオムさんまで」 「イルマーが女の子みんなでお喋りがしたいんですって」 イルマーはすでに婚礼衣装を脱いでおり、簡素なワンピースに厚手のストールを羽織っている。 アメリアの言葉にイルマーの弱々しい微笑みが加わった。 夜の闇がいっそう彼女の青白い肌を際立たせ、冷たい夜風に当てられたのか手で口元を覆い何度か咳払いをしている。 お世辞にもみんなでワクワクドキドキお喋りターイム!なんてやってる余裕はないくらい疲弊しきってるように見えるのだが……。 「イルマー王女、お疲れみたいですし、お話ならテントで……」 「イルマーで結構ですよ、リナさん。お気遣いありがとうございます。でも、ぜひ焚き火を囲みながらお喋りがしたいのです」 あたしの提案にイルマーはやんわりと断りを入れる。 彼女の具合も気になるけど、どっちかってーとあたしがテントの中に入りたいんですけど……寒いし。 「あ、ゼルガディスさんも一緒にお喋りします?」 「……するわけがなかろう」 アメリアの本気とも冗談ともつかない言葉にため息一つつき、ゼルガディスは立ち上がり自身のテントへと身を翻した。 「なんか女の子だけでって新鮮ですよね!」 あたし達は焚き火を囲みその場に腰をつける。 中々ないシチュエーションにアメリアはニコニコしながら目を輝かせている。 この場合、不謹慎なのはどっちだろうか。 「わがまま言って申し訳ありません。……少し、気を紛らわせたくて……。それに、ダグレスに着いたら、もうこんな風にお喋りできることもないですし……」 そう言って俯くイルマー。 ――まあ、見張りとはいえただ座ってるだけじゃあ体も凍えてしまうし、口だけでも動かしておいたほうがいいのかもしれない。 「んで、何をお喋りすんのよ」 アメリアがあたしの眼前にずずずいっと迫り人差し指をぴっと立てる。 「何言ってるんですかリナさん!女の子が輪になってする話と言えば恋話に決まってます!」 「こ、こいばなぁぁぁ!?」 よりによって一番苦手な話題だ。 これは、『あっちに怪しい影が!』とかなんとか言ってこの場を退場するべきか! が、そんな心を読まれたのか、アメリアがあたしのマントの端をわしっと掴んでいる。 だあああああ逃げられないぃぃぃ! 「あ、よければ、イルマーとディクス王の馴れ初めとか聞きたいわ!あと、どんなところが良いとか!」 あたしの考えとは裏腹に、乙女話フリークなアメリアが仕切り話がサクサクと進んでいく。 「ディクスと初めて会ったのは5歳の時だったかしら。親同士に連れられて……初めはお互い反りが合わなくて、喧嘩ばかりしてたわ。 だって彼、いつも意地悪ばかりしてくるんですもの。でも……いつの間にか、彼のことが頭から離れなくなって、いつもそばに居て欲しいって思うようになったの。 ……ディクスが、私と同じことを思っていたのを知った時は、本当に嬉しくて、それでお互い約束をしたの。将来は結婚しようって」 意外や意外、大人しい性格が相乗してかこのお姫様、なかなかのデレッデレロマンチストである。 惚気話はまだまだ続き、 「――今でも鮮明に覚えてるわ。一面の蒲公英が広がる丘で、お花で作った指輪をはめて愛を誓い合ったの。 ダグレスは決して豊かな国ではないけれど、そこで慎ましやかに一生を送ろう。ずっと一緒にいよう。生涯をかけて愛し守り抜こうって言ってくれた時は思わず涙が――」 「きゃー!」 ひゃ〜。 アメリアは両手で頬を抑えながら嬉々として聞いているが、正直あたしは背中がむず痒くて仕方がなかった。 うーみゅ……この手の長話は正直キツイ。 リオムをちらりと見やれば、彼女も明後日の方へと視線をやり、口を真一文字に結びカタカタと震えている。 あーよかった、仲間がいた。 だが、脳ミソが溶けて無くなる前にこの超がつく甘々な話をなんとか逸らさねば! 「そ、そぉいえば、ディクス王ってどんな方なんですかぁ?」 眉がぴくぴく動くのをなんとか抑えつつ、あたしはいまだに続いていた婚約者との思い出話を遮った。 「見た目が少し強面なのですが、そんな外見からは考えられないぐらい優しくて真面目で一途で、たまに思い込みが激しいところもあるけど……でも、とても心が強い人。 何よりも私のことを一番に考えてくれて――」 どうやら逆効果だったようだ。 イルマーはさらに饒舌になり夢見る少女よろしく自分の世界に入っている。 しかし、ひとしきり喋った後、急にイルマーは表情に陰りを見せた。 「最近は……ご両親が亡くなってからは……少し塞ぎ込むことが増えましたが……」 声のトーンも低くなり、わずかな沈黙が訪れる。 「確か、ダグレス前国王と王妃は盗賊に襲われ命を落としたとか……」 あたしはウォールズ王の言葉を思い出し呟いた。 「えぇ……本当に身が裂ける思いでした。 でも――でも!ディクスが助かってよかった……生きててくれて、よかった……」 イルマーの目尻にはうっすらと涙が滲んでいる。 楽しい恋愛話が一転、重たい空気があたし達を支配し、じろりとアメリアにひと睨みされる。 う……す、すみません……。 それにしても、この惚気話中はさておき、それだけ恋い焦がれた相手に嫁ぐというのに、王宮や道中で見せる彼女の顔はなぜあんなにも悲痛な面持ちだったのか……。 そりゃ、ダグレスで何かが起きているかもしれないと心配や不安からかもしれないが……どうにも気にかかる。 途端、イルマーは塞ぎかけていた顔をぱっと起こし、 「あなた方には大切な人はいらっしゃるのですか?」 『へっ?』 突然想像もしていなかった話が振られイルマー以外の三人の言葉がハモった。 イルマーは近くに落ちていた小枝を拾い、 「はい、リオムさん」 小枝をリオムの膝の上に乗せた。どうやらバトン式らしい。 リオムは心底困ったように眉根を寄せ、しばし沈黙した後、 「……いる……ことはいるけど……」 『ををををっ!!』 ぐぐぐっと身を乗り出すあたしとアメリアの声が重なった。 惚気話は苦手だがクールビューティーな彼女の話にはちょっと興味があった。 んーなんだかんだ、やっぱりあたしも乙女なのねぇ。 「えー!どんな方なんですか?」 「……気まぐれでお調子者でいざという時も頼りなくて」 「……ホントにその方のこと好きなんですか?」 小首を傾げるアメリアに、リオムは無言で返答代わりに小枝を放る。 「え、わ、わたし!?……ええっと、その……い、いますけど……」 「どんな方ですか?」 仕返しとばかりにリオムがにこりと笑う。 「うっ……ええっと……ぶっきら棒で照れ屋さんで真面目で、怒ると怖いけどでも実は優しくて」 話せば話すほど、どんどん小声になりアメリアの顔が紅潮していく。 「ああ!もうダメですぅ。リナさん!」 「ほへっ!?」 小枝があたしの膝の上にポトリと落ちる。 あ、あたしの番!? 三人の好奇の目がこちらに集中する。 「え、ええええ、ええっと……その、あの……」 ……。 ……。 だあああああ、もうダメだ!!! あたしは顔が真っ赤に茹で上がり、その場の空気に耐え切れず、 「な、なぁんだか、今夜はあっついわねぇ〜!ちょ、ちょっと顔洗ってくるわ!」 「あっっ!リナさんだけズルいですっ!!」 あたしは猛ダッシュでその場を離れた。 ――すみません。あたしには荷が重すぎました。 先程までの冷え込みが嘘かのように全身の血液が沸騰している。 順番が回ってきた瞬間、ふっと頭の中で一つの影が思い浮かんだが、自分のこととなると小っ恥ずかしくて素直に言えたもんじゃない。 あたしは肩で息を切らし茂みの奥へと進んだ。街道沿いには小川が流れているはずなので、そこで少し頭を冷やそう。 がさがさと茂みを掻き分けていくと、突然視界が開けた。 目の前には小さい池があった。細く頼りない月に照らされた湖面はゆらゆらと月の光を鈍く照り返している。 あたしはほとりにかがみ、手袋を外し水の中に手を少し入れた。 水温はかなり低い。だが、火照った体にはちょうど良かった。 「大切な人……か……」 そうあたしが呟いた瞬間―― がさっっ 突如、右手側の茂みから黒い影が飛び出してきた。 反射的に身を沈めると、影はあたしの頭上を通り過ぎ、三歩離れたところへ着地する。 あたしは数歩後ろへ下がり、こちらをねめつける影と距離を取った。 それは一見すると狼のようだが、背中にはコウモリのような翼を広げ、硬い鱗を纏い、四つ脚とは別に脇腹からは一対の腕が生えている。 人間の腕だ。 ――ウォールズ王が言っていたキメラか! あたしはすぐさま呪文の詠唱に入る。 しかし、キメラは俊敏な動きでこちらに向かって地を蹴る。 ――疾い!呪文が間に合わないか! キメラの鋭い牙があたしに迫る。 腰のショートソードに手を掛けようとした刹那―― どむんっっ 「ぐぎゃっ」 不可視の衝撃にキメラが後方へと吹っ飛び木の幹に叩きつけられた。 そしてあたしの背後に広がる新たな気配。 憎悪、悲哀――この世の負の感情をブレンドしたねっとりとまとわりつく不快感。 すなわち――瘴気。 この感覚は嫌という程身に覚えがある。 「おやおや、これはまた……こんなところでお会いするとは奇遇ですねぇ」 この場にそぐわない緊張感の欠片もない聞き覚えのある声が降ってきた。 振り向くと、茂みから音もなくよく知った黒い影が現れた。 「本当、相変わらず厄介ごとに首を突っ込んでいらっしゃる」 「――ゼロス」 あたしの頬に、一筋の汗が流れた。 闇の中から現れたのは、どこにでもありそうな黒い法衣を身に纏い、赤い宝玉のついた錫杖を手に持った中肉中背の男。 その顔は以前会った時と同じように何を考えているかわからない薄い笑みが張り付いている。 ――獣神官≪プリースト≫ゼロス。 その正体は赤眼の魔王≪ルビーアイ≫シャブラニグドゥの五人の腹心の一人に仕えるれっきとした高位魔族。 訳あって共に旅をしたこともあったが、それは上からの命令があってのこと。 決して親切心や正義感から人助けをするヤツではない。 こいつが出てきたってことは、今回の事件は魔族絡みか!? 「いや〜お久しぶりですねぇ、リナさん。お元気そうで何よりです」 肩で切り揃えられた紫紺の髪がそっと風になびき、薄く見開かれた両目には紫暗の瞳が鋭く光る。 あたしは適度にゼロスと距離をとり、後方のキメラにも意識を向けつつゼロスと対峙する。 額に浮かんだ汗に髪の毛がぺたりと張り付く。 痺れそうなほど張り詰めた空気を吸い、渇いた喉がこくりと唸る。 「あんたが出てきたってことは、この一件魔族が絡んでるってことかしら?」 瘴気に押し殺されぬよう、無駄と知りつつもあたしはゼロスに問いかける。 「――それは」 どうせ、秘密です♪とか言ってはぐらかされるんだろうけど。 「わかりません」 「ほえ?」 予想外の答えに間の抜けた声が出た。 「僕はただ、そのキメラを追ってきただけですよ――って、おやおや。どうやら逃げられてしまったみたいですね」 後ろに意識を集中すると、確かにさっきまであった気配は感じられない。 あたしはゼロスを真正面に睨みつけ、 「どーしてあんたがキメラごときを追っかけてんのよ」 「いえ、上からの命令でちょっとダグレスを調べていたんですが、キメラが一匹こちらへ駆けていくのを見つけまして」 「調べてた?ダグレスを!?」 こいつがこんなに簡単にペラペラと喋るなんて怪しさ大爆発だ。 だが、何も手掛りすら掴めていないこの一件、飛んで火にいる夏の虫とはこのこと!! あたしはゼロスに向かってダッシュを駆けると、片腕をゼロスの首に巻き付け力の限り締め上げる。 「あいたたた、な、何するんですかリナさん!」 「ここで会ったが100年目!今回は知ってること吐いてもらうわよぉぉぉ」 締め付ける腕の力は緩めぬまま、特に抵抗する様子もないゼロスを引きずりながらあたしは野営地へと戻った。 ****** 「ゼロス!!?」 「ゼロスさん!」 「おー久しぶりだなぁ」 にこやかに片手をあげて挨拶するガウリィに蹴りを一発ぶちかましつつ、野営地に戻ったあたしは有益な情報が聞けるかもしれないと、 隊長のグランに声を掛け、あたし、ガウリイ、アメリア、ゼルガディス、リオム、グラン、イルマーが正座したゼロスを囲むようにして集まった。 ガウリイはさておき、ゼロスの正体を知るアメリアとゼルガディスは当たり前だが驚愕の色を隠せなかった。 「貴様――今度は何を企んでいる!?」 ゼルガディスの眼光がより一層鋭くなった。 「別に何も。例え企んでいたとしても、それを言う義理はありませんし」 煽るように飄々と返すゼロスの言葉にゼルガディスの怒気が膨れ上がる。 「まあまあ、抑えてゼル。相手にするだけ時間と労力の無駄よ」 「あの、リナ殿。こちらの御仁は?」 グランが怪訝な顔であたし達とゼロスを交互に見やる。 ここで正直に魔族だと明かせば無用な混乱を生むし、第一信じてもらえるかどうか怪しい。何も知らない人間から見れば、目の前のこいつはどこからどう見ても人間にしか見えない。 「ただの怪しい謎の神官≪プリースト≫よ」 「はぁ……」 あたしのよくわからない説明に一応頷くグラン。 「実はさっきキメラに出くわしたんだけど……そしたらこいつが出てきてダグレスについて調べてるって聞いたから、ちょっと連行してきたのよ」 「ダグレスを!?」 「ダグレスに行かれたのですか!?」 今度はグランとイルマーが矢継ぎ早に質問する。 「えぇ、ダグレスに行きました。そこからキメラがこちらに向かって出掛けていくところを見つけたので追いかけてきたら、 リナさんがそのキメラに襲われているところに出くわした、というわけです」 「ダグレスは今どうなっているのでしょう」 「やはりレッサーデーモンが発生しているのですか!?」 迫る勢いでゼロスに問い続けるグランとイルマーを制しつつ、あたしはじろりとゼロスを睨み、 「答えなさいよ、ゼロス」 「嫌です」 きっぱりとゼロスは言い放った。 「だって、僕ばかり持っているカードを晒すなんて不公平だと思いませんか?」 変わらない笑みのまま、立てた人差し指をちっちっちっと左右に振る。 おにょれ!パシリ魔族のくせして生意気な! 「……何が望みなのよ」 「話が早くて助かります」 ゼロスはその場に立ち上がり、 「皆さんはダグレスへ向かわれるのですよね?僕もまだ調査は終わってないので再度ダグレスへ行きたいのですが、 よろしければみなさんと同行させていただければと」 …… 『はあああああああああ?』 あたし、ゼルガディス、アメリアの目が満月のように見開かれ、素っ頓狂な声がハモった。 「なんでわざわざ一緒に行くのよ!?迷子じゃあるまいし!!」 「そうです!それに、生きとし生けるものの天敵と共に数日とはいえ一緒に行動するなんて言語道断です!」 「では、この取り引きはなかったということで」 『うっ』 正直、何を企んでるかわからない魔族を一行に加えるなんて絶対に願い下げだ。しかし、目の前にあるダグレスの情報をむざむざ逃すのも癪である。 「そのプリーストさんは強いの?」 あたし達のやり取りを遮り、そう言葉にしたのはリオムだった。 「へ?ま、まあ、強いっちゃあ強いけど……」 そりゃあもうぶっちぎりで。 「ならいいのでは?護衛の層が厚くなるのは願ってもないこと。ですよね、隊長殿?」 会話についていけずぽかんと口を開けたまま、急に話を振られ慌てるグラン。 「う、うむ、確かに……。リナ殿がキメラに襲われたとなると、この先危険な旅路になるのは明白……。 怪しい御仁ではあるが……王女様、いかがいたしましょう」 うわ、出た!困った時は上に責任投げつけちゃえ戦法! 「わたくしはかまいません。ゼロスさん、ですね。よろしくお願いいたします」 イルマーはそう即答するとにこりと微笑んだ。 あれよあれよと言う間にゼロスの同行が決定となった。 いや、ゼロスは一言も「王女を護衛する」なんて言ってないけど……。 だが、当人であるイルマーが許可を下したのだ。この決定は覆されるはずもない。 アメリアは顎が外れそうなぐらい口を開いたまま硬直している。 ゼルガディスはちっと舌打ちをしたのみで、ゼロスを睨みつける目は変わらない。 ガウリイは……もういいや、疲れた。 「じゃあゼロス、ダグレスについてあんたが知ってること、話してもらいましょうか!」 旅はまた何事もなく順調に進んでいた。 サハランの村を出た後、二日かけて次の村リンドルを目指している。 その間、あたしを襲ったキメラに遭遇することはなかった。 ダグレスに近づくにつれ、あたりは森林地帯となり鬱蒼とした木々が街道を覆っている。 街道は緩やかな坂道になり、歩みは一層ゆっくりに、そしてあたし達の体力を徐々に奪っていく。 あのあと、ゼロスから聞き出した情報は以下の通りだった。 この先にあるダグレス手前のリンドルの村もサハランと同じ様に無人で荒廃していること、レッサーデーモンはいないがダグレスでは至る所でキメラを見かけたこと、ということだった。 取り引きを持ちかけてきた割には得られる情報が少くて散々愚痴をこぼしてやったが、何も情報が無いよりはマシだろう。 ディクス王の安否についてイルマーが質問したが、ゼロスは首を横に振るだけだった。 ここで少なくとも、わかったことが二つ。 一つは、まず間違いなくダグレス国内で何かが起きていること。 そして、二つ目は誰かがダグレスでキメラを量産していること。 イルマーによれば、ディクス王は普通の人間で魔道の知識は皆無、少々剣の腕に覚えがある程度だと。 となると考えられるのは、キメラの研究をしている輩がダグレスに入り込み王を唆す――あるいは、考えたくないが王命でキメラを量産しているかだ。 ダグレスはその街を三方山に囲まれた辺境の国。ましてや国交にも非積極的で、訪れる人も少なく、こそこそ悪事を働くにはうってつけの場所だ。 キメラの研究をするマッドサイエンティストに目をつけられてもおかしくはない。 仮にもしそうだとしたら、そいつをとっちめれば事は済む。 だが、もしも――イルマーの惚気話からは想像しにくいが……王自身がキメラの製作を命令していたら? 何のために。 一番最初に思いつくのは、軍備の増強。 数年前に盗賊に襲われただならぬ犠牲を払っているのだ。再度そんな悪夢が起きぬよう軍備を整えるのは当然のこと。 小国が手っ取り早く軍事力を手に入れようとするならば、ちまちま兵を育て上げるよりも、優秀な人材を丸ごと抱き込んだ方が早い。 さらに、その人材を人間よりも屈強な生物に変えようと考えたら? この手の話は、まあ、正直よくある話だ。 半年前のサルマード騎士団の失踪、ひょっとしたら、サハランとリンドルの集団失踪も同じ理由かもしれない。 キメラの開発には素材が必要だ。動物であれ、魔物であれ、――人間であれ。 しかも、研究には失敗はつきものだ。その分だけ実験体が必要となる。 最悪の可能性ばかり広がり、仮説はいくつかたてられても、どれも確たる証拠はなくスッキリしない。 ゼロスになぜキメラを調査していたのかを聞くと、上からの命令の一点張りだった。 あたしが出会ったキメラは二匹とも戦闘タイプのものには見えなかった。 それ以外に、おそらく、魔族にとって脅威となるキメラが造られている可能性もある、というところか。 そーいえば、どうしてキメラはあたしの前ばかりに現れたのだろうか……。 だー!ここでうだうだ考えてても仕方ない! 百聞は一見にしかず。ダグレスへ着けば全てがはっきりするはずだ。 ……思った通り、かなり面倒くさいことになりそうだ。 やっぱ、あのときトンズラしておけばよかったかな……。 あたしは深い深いため息をひとつこぼし、不安渦巻く道程を踏みしめた。 ****** 頭を煮えたぎらせながら、いつしか一行は今日の野営地であるリンドルの村に到着した。 そこはゼロスの情報通り、サハランの村と同じく命あるものの影は何一つ無く、後に残された建物だけが遺跡のようにガランと佇んでいる。 到着したのは陽が落ちあたりが暗くなりかけた頃だったので急いでテントを張る。 かんかんと小気味良い音を立てテントのロープを最後の楔に打ち込んだ時だった。 「あれ、なんだ?」 ガウリイが遠くの空を指差し呟いた。 指差す方を見れば、顔を見せだした星々の瞬きに紛れるように、小さな黒い影が飛んでいる……ように見える。 鳥かコウモリか。 他の人が言い出したらそれで終わってしまうであろう小さな影。しかし、ガウリイの視力は常人のそれを超えている。 あたしは嫌な予感とともにぐっと夜闇に目を凝らす。その影は次第に大きくなり……。 あたしは目を見開いた。 現れたのは、サルマードの宿屋であたしを襲ってきたやつにそっくりなキメラが十数匹。 手には各々槍やダガーが握られている。 「キメラよ!!」 あたしの叫び声に、全員がその手を止め、上空を見上げ騒然となる。 あたしは襲撃に備え呪文を詠唱する。だが、やつらはこちらへ降りてくるでもなく、あたし達のはるか上空を飛んでいるだけ。 これだけ離れていては魔法をぶっ放しても余裕で回避されるだろうし、それを合図に増援を呼ばれる可能性もある。 一陣に緊張の糸が張り詰め―― ばしゅうぅぅぅぅ 斜め前方にいる集団から無数の炎の矢≪フレア・アロー≫が放たれた。 あ、こら!ばか! キメラは当然のように余裕でその攻撃を回避する。 ほらねー。 しかし、キメラ達は反撃してくる素振りもなく、ただただ同じ様に上空を旋回している。 まるでこちらの戦力を図っているかのようで気分が悪い。 かなり長い間睨み合いが続いたが、相手の動きに変化はなく、夜にこれ以上街道を進むのはかえって危険と判断し、見張りの人数を増やし交代で休むことになった。 だが、頭の上にキメラが飛んでいると知っててぐっすり休めるわけがない。 見張りを交代しに来たアメリアとゼルガディスも一睡もできず少しフラフラしていた。 テントに戻ったあたしとガウリイは少しでも仮眠を取ろうと毛布にくるまった。 外が気になりゴロゴロ寝返りをしていたが、ちらりと横でいびきをかいて寝る金髪剣士を見て大きく溜息をつく。 ま、確かに睡眠は取っておかないといざ戦闘になったときに集中力が切れる恐れがある。 外にはアメリアとゼルガディスがいる。安心して背中を預けられる仲間が。 こういうとき、信頼できる仲間がそばにいることはありがたいことだとしみじみ実感し、あたしも浅い眠りについた。 翌朝になっても、キメラ達は変わらず上空を飛んでいた。朝陽に照らされその姿がはっきりと映し出される。 大きさは人間の子供から大人サイズまで様々だが、全身は黒一色、目も鼻も口ものぺりと黒に覆われている。 背中には一対の翼をはためかせ、両腕は人間のもの、下半身は猛獣類の引き締まった脚を持っている。 それらはあたし達が出発してからもずっと後をついてきた。 んーみゅ……これはよろしくない。 みんな神経を張り詰めすぎてすでに表情は満身創痍だ。そわそわして集中力も切れている。 このまま無言のプレッシャーに当てられたら、いざ戦闘になったときに実力を出し切れるかもあやしい。 あたしは駄目元で、後ろにいるプリーストに声をかける。 「ゼロス、あんたあれどうにかしなくていいの?」 「別にいいんじゃないですか?攻撃してくる気配もありませんし。それに、無用な殺生はいけませんよ?」 ゼロスは眉一つ動かすことなく涼しげに答えた。 いや、あんたが言うな、あんたが。 結局そのまま一行は進み、ダグレスはもう目と鼻の先だった。 「まもなくダグレスに到着する。皆、気を引き締められよ」 グランの言葉に『はっ!』と声を上げる騎士団一同。それに対しホッと気を緩ませる雇われ剣士や魔道士達。 彼らに依頼されたのはあくまで道中の護衛であり、ダグレスに着いてしまえばこの気味の悪いキメラとさっさとおさらばできると思っているのだから仕方のないこと。 しかし、その気の緩みが時として命取りになることもある。 そして――その時は突然やって来る。 街道上、長く細い坂道を抜けると急に視界が開け、広い空間に出た。鬱蒼とした木々がようやくとぎれ、遠くにダグレスの城下町へと入る門が見える。 誰かがほっと胸を撫で下ろしたその時―― ぐるろぉぉぉぉぉぉん 獣の雄叫びと共にあたりに無数の殺気が生まれた。 通り過ぎた茂みの奥から突如として現れる蠢く影、影、影。 『――なっ!!?』 今まで何の気配すらしなかった所から次々と現れるキメラの波に、皆が言葉を失った。 ――まさかここで奇襲をかけてくるとは!! 完全に不意を突かれ、慌てふためく騎士や護衛たち。 ひぃぃぃぃぃぃん 渦巻く殺気に軍馬が嘶く。 そして今、戦いの幕が開ける。 |
渇望するものたち-後編- |
第四話〜渇望の果て〜 ぐるろおああああああああん! やっとダグレスの町をその視界に捉えた時、あたし達の退路を断つように現れたキメラが一斉に雄叫びを上げ、目の前に炎の矢を出現させる。 その数、ゆうに数百本以上! うげげ! 一本一本は大した威力ではないが、不意打ちでこれだけ数が多いとまずい! あたしは急いで呪文を唱え、 『魔風≪ディム・ウィン≫!』 炎の矢が解き放たれるのと同時に呪文を放ったのはアメリアとゼルガディス! 吹き荒れる風はことごとく炎の矢を蹴散らし、あたりは熱風に包まれる。 風がおさまりかけたところで、後方にいた魔道士たちがキメラに向かって青白い閃光を放つ。 おそらくは烈閃槍≪エルメキア・ランス≫。 だが、キメラ達は避けるでもなく、自らの腕で光の槍を薙ぎ払った。 烈閃槍≪エルメキア・ランス≫が効かない――!? お返しとばかりにキメラ達は吼え、再度炎の矢を出現させる。 焦った別の魔道士が同時に火炎球≪ファイヤーボール≫をキメラに叩き込む。 ――って、おい!んなもんぶつけたら! どぐごおおおおおおおん 炎と炎がぶつかり大爆発を起こす。凄まじい熱風と火の渦が周囲をとりまく。 あたし、アメリア、ゼルガディスがとっさに張った風の結界でこちらへの二次被害は免れた。 だが、全員をカバーするほどの大きな結界を張ることはできず、後方にいた剣士や魔道士はもろに炎の風を食らっている。 戦況はあたし達が不利だった。 突如として現れたキメラ達は、ざっと見渡しただけでも五十体以上。 しかも、今回のキメラは今までに見たものとは明らかにタイプが違う。 種類は様々だが、雄叫び一つで炎の矢を出したり素手で術を薙ぎ払ったところをみると、おそらくレッサーデーモンとの合成、しかも防御力もそれなりに強化されている。 対してこちらは、必殺のはずの呪文を簡単に打ち破られ動揺しまくっている魔道士や、炎の矢に完全に怯んでいる剣士たち。 イルマーの乗る馬車や後続の荷物。前方には火炎球≪ファイヤーボール≫の余波は少なかったものの、いきなりのデーモンキメラの出現にうろたえ統率が乱れている騎士団。 言っちゃ悪いが、お荷物が多すぎる! あたし達にしてみればそれほどの脅威ではないが、ただの剣しか持っていない騎士や半端な魔法しか扱えない魔道士にとっては一体倒すのにも苦労するだろう。 それに加え、これだけの数である。 正直、あたし達四人だけだったなら、デーモンキメラが百体いようと、勝つ自信はある。だが、これらを守りながら戦うというのは、はっきり言ってかなり厳しい。 ――ならば! 「グラン隊長!一気にダグレスまで突っ走るのよ!ガウリイは前方、アメリアとゼルは後方で援護をお願い!リオムさんはイルマーの馬車を!ゼロスもちっとは手伝いなさい! ――おーい!後ろの人たちー!ダグレスに向かって全力ダーーッシュ!!」 あたしは声を張り上げそれぞれに指示を送り、一番後続の馬車の屋根に登った。 そして呪文の詠唱を開始する。 あたしの声にやっと我を取り戻したのか、グランは皆に指示を出し、一同が全速力でダグレスへと街道を爆進する。 後方の護衛達も何人かは無事だったようでこちらへ向かって全速力で駆けてくる。 その間にも無数の炎の矢が降り注ぐが、アメリアとゼルガディスの呪文がそれを打ち消し、相殺させる。 さすがに数が多いのか相殺しそこなった矢がイルマーの馬車や騎士達へと降り注ぐ。 が、馬車へと降り注ぐ筈だった炎の矢は着弾する寸前で音もなく消滅した。 みれば、ゼロスの錫杖の宝玉が光り、馬車と側にいるリオムを包むように魔力障壁を生み出していた。 をを!珍しく働いてる! 騎士達に降り注ぐ矢はことごとくガウリィが剣で薙ぎ払っている。 ばちばちばちっ 「ぎゃああ!」 悲鳴が聞こえた方に視線を移すと、どこか負傷したのか一行についていけなくなった護衛たちが、雷撃をくらったのか意識を失っており、 今まで上空を旋回するだけだった黒キメラに体をガッチリと抱えられ、上空へと連れ去られていた。 ――そうか、こいつらは捕獲専用のキメラだったのか! 助けに入りたいが、今唱えている呪文を中断するわけにはいかない。 アメリアとゼルガディスも飛来する炎の矢の対応で動けない。 黒キメラは人を抱えているとは思えないほどの速さでダグレスへと飛んでいく。 行き先が同じなのは幸いだ。 捕獲されたということは、すぐにどうこうされることはないだろう。 あたしは後方のキメラの軍勢を睨みつけ、完成した力ある言葉を解き放つ! 「竜破斬≪ドラグ・スレイブ≫!!」 どがああああああああああああ!! 強力無比な紅い閃光がキメラ達を飲み込み、進んできた街道もろとも消滅させクレーターを生んだ。 おーっし!一網打尽とはまさにこのこと! うーん爽快爽快! 余波がどこまで及ぶかはわからないが、ま、さすがにサルマードは大丈夫だろう。 サハランもリンドルも誰もいないことは確認済みだし、問題ない問題ない。 あたしは両手をパンパンと払い、馬車から降りようとしたその時―― ごるぐああああああん! 雄叫びと共に飛んできたのは無数の炎の矢! 「うわわわわっ」 あたしはなんとか体を捻り、飛来する矢を避ける。翻ったあたしの毛先の一部が矢にあたりじゅっと焼ける音がする。 ああああ、あたしの自慢の髪がっ! あたしは急いで矢が飛んできた方へと身構える。 そう、今しがた竜破斬≪ドラグ・スレイブ≫で吹っ飛ばした後方に――。 爆煙の中から姿を現したのは、さっきと同じデーモンキメラだった。 まさか……竜破斬≪ドラグスレイブ≫が効いてない!!? んなアホな! 黒魔術最強の呪文を耐えるって、中級魔族並みの耐魔能力があるのか!? だが、迫り来るデーモンキメラは、最初よりも若干、その数を減らしていた。 「おやおや、なかなか面白いですねぇ」 「んひぃぃ!」 突然真横から声が現れ、あたしはまともにバランスを崩し馬車の上で尻もちをついた。 いつの間にかあたしの横にちょこんとゼロスがしゃがんでいたのだ。 「ったく!心臓に悪いってーの!……んで、何が面白いって?」 「リナさんの竜破斬≪ドラグ・スレイブ≫、効いてますよ。ただ……当たらなかっただけです」 「当たらなかったって……まさか!空間を渡った!?」 そうなると、最初こいつらが現れた時何の気配も感じ取れなかったのにも納得がいく。 驚愕の表情を浮かべるあたしに、ゼロスはにこにこ笑顔を崩さぬまま、 「何匹かは逃げ損ねて消滅したみたいですが、そのようです。……さてさて、当たらなければせっかくの強力な呪文も意味がない……さぁ、どうします?」 「ンなもん、決まってるでしょ」 あたしの顔を覗き込み、試すような視線を投げかけるゼロスにあたしは即答した。 あたしはその場に立ち上がり、すーっと大きく息を吸い込んで、 「みんなー!全速ぜんしぃぃぃぃぃん!!」 一行は激しい砂埃を撒き散らしながら、全身全霊でダグレスの城門目指して走り抜けた。 結局あの後、デーモンキメラの攻撃を回避、相殺しつつあたしたち一行はなんとかダグレスの城下町に辿り着いた。 別に打つ手がなかったわけではない。 ただ、確信はあった。 キメラ達は空間を渡れるのに、あたし達を挟み撃ちにしたりせず、ひたすら後方から炎の矢を飛ばし、負傷した人間がいれば黒キメラが捕獲するという手段を取っていた。 ――まるで、最初から生け捕りが目的かのような。 そんな命令が下されていたとしたら、まず間違いなく、町に入ってしまえばデーモンキメラはその攻撃の手をとめるだろう。 自分の造ったキメラで自分の町を破壊するなんてことになったらお笑い草である。 そしてあたしの読み通り、城門に辿り着いた時点で、キメラ達はその姿を消したのだった。 「はぁ……なんとか無事に着いたな〜」 「さ、さすがにちょっとしんどいですぅ……」 体力自慢の二人も防御しながらの全力疾走はさすがにこたえたのか、ぜーはーぜーはー肩で息を切らしガウリイとアメリアが呟いた。 ゼルガディスはさすがともいうべきか、それほど息はきれておらず、まだ余裕がありそうだ。 ……ちなみにあたしはというと、みんなに檄を飛ばしつつ、ちゃっかりそのまま馬車の屋根に座っていたので一番元気だったりする。 ズルいというなかれ。 いざという時のために体力は温存しておくべきなのだ。 「でも……こっからが本番よ」 あたしの呟きに、すでに疲労困憊の騎士達に不安の色が広がる。 三方の山に囲まれ、鬱蒼とした森に囲まれた国、ダグレス――。 ざわざわと騒ぐ木々以外、あたりには静寂のみが支配する。 灰白色で塗り固められた城壁は、暗雲立ち込めるダグレスの町をより一層不気味な雰囲気に仕立て上げている。 身の毛がよだつようなこの感覚は、決して冷たい山風のせいだけではない。 目の前には検閲所があるも、兵士の姿はなく、その門戸は開け放たれていた。 「皆の者、これより、ダグレスの町へ――入る!」 一同に緊張が走る。 グランの掛け声に騎士達は慌てて列を正す。 そしてゆっくりと、一行は門をくぐり、城下町へと入った。 ****** 王国と名乗るには、おこがましい程の小さな町。 その中心に佇む決して大きくはない白亜の城。 町をぐるりと囲む灰白色の城壁。 城壁と同じ色で統一された整然と並ぶ家屋。 陽が傾き、日中の暖かかった日差しが山間部の冷たい空気と混じり、薄ぼんやりとした靄が町中を包む。 その町は――命の朽ちた臭いで淀んでいた。 大通りには露店の残骸が並び、その間を往来する人の姿。 ――いや、それはもはや人ではなかった。 体は普通の人間と変わりないが頭部が倍以上に白く膨れ上がった男性らしきもの、本来両手両足があるべきところから多数の触手を生やした老人、背中から生えた鳥の頭に嘴で首元の肉をえぐられている子供…… 町を無造作に彷徨い歩いているのは、すべて異形の姿に変えられた町人たちだった。 「……ひどい」 自身の手を傷つけそうなほど力強く拳を握り、ぼそりと、アメリアが呟く。 通りの隅には、その身が朽ち息絶えたキメラも累々と横たわっていて、腐臭に蠅がたかっている。 「おい!――なぁ、おいっ!!」 騎士の一人が一体のキメラを正面から揺すっていた。 「どうした!?」 グランが声を掛ける。 「こいつ――俺の同期なんです!半年前に行方不明になった――」 「俺も、あっちのヤツに見覚えが……」 「俺も……」 半年前に失踪したはずの騎士≪なかま≫の異形に歪められた姿、その現状を直視出来ず、嗚咽し、耐えられず嘔吐する騎士もいる。 そんな中、ゼルガディスは人波の間で見つけた一人に駆け寄り、その肩に触れ声を掛ける。 「……おい」 呼びかけにキメラは応じず、ゼルガディスはその肩を掴んで無理矢理自分の方へと向きを変えた。 「――っ!!」 そのキメラは、全身の肌に青黒い岩がこびりついていた。おそらくは、岩人形≪ロックゴーレム≫との合成獣―― その目からは光が消え失せ、焦点はあわず、口は半開きのまま涎が垂れている。 そいつだけではない。 町中に溢れかえったキメラ全てが、あたし達に襲いかかるでもなく、他のキメラと交わるでもなく、ただただ、虚空を見つめ彷徨っていた。 「――っちっ!」 釣り上げた目に激しい怒りの色を灯し、苦々しくゼルガディスは舌打ちをした。 「これは……こんな……ことに……」 馬車の扉を開け放ち、半身を乗り出していたイルマーが嘆く。 驚愕と困惑と悲哀に満ちた表情で。 「どうする、リナ?」 剣の柄に手を掛け、ガウリイはあたしに問う。 「襲ってくる様子もないし……少し、様子をみましょ」 「……とりあえず、このまま城へ向かいましょう。イルマー様、危のうございます。馬車の中へ――」 グランがイルマーにそう告げた瞬間、あたりにいるキメラ達の視線が一斉に一点に注がれた。 馬車から身を乗り出すイルマーに。 「い、いるばぁぁさま……」 「……ィルマーサマァ」 それまでの沈黙を破り、キメラ達はぶつぶつとイルマーの名前を連呼した。 身構えるあたし達を尻目に、キメラ達はその場に膝をつき、頭を垂れ地にひれ伏した。 何が起こっているのか、誰もが理解の範疇を超えていた。 「やめて……みんな、やめて!!」 イルマーはキメラ達の視線から逃れるように両手で顔を覆い隠した。 目尻から溢れる涙が地へ零れ落ちる。 一行は細心の注意を払い、平伏すキメラ達を通り抜け、ディクス王が待っているであろう城へと進んだ。 誰もが言葉を失ったまま――。 *** そして、一行はようやく王城に辿り着いた。 小さな堀に橋がかかり、門番や衛兵のいない鉄製の城門は大きく開け放たれている。 さて、ここからどうするべきか…… 町中のキメラは今の所襲ってくる様子はない。だが、襲ってこないとも限らない。 全員で城に乗り込むべきか、少数精鋭で乗り込むべきか……。 おそらくグランも同じことを考えているのか、胸の前で手を組み、手に顎を乗せ考え込んでいる。 「……皆さん、ここまでありがとうございました」 悩むあたし達をよそに、開口したのは赤く目を腫らしたイルマーだった。 「城にはわたくしが一人で参ります。みなさんは、どうぞサルマードへお帰りください」 そう言うと、イルマーは馬車から降り、深々とあたし達に向かって一礼をした。 「――なにを」 「何を言ってるの、イルマー!このままあなたを一人になんて、できるわけないじゃない!」 あたしの言葉を遮り声を荒げたのはアメリアだった。 「これは、わたくしの婚礼旅。あなた達はわたくしを無事ダグレスへと連れてきてくれました。任務は無事果たされたのです。ここからは……わたくしの仕事なのです」 悲痛な面持ちとは裏腹に、揺るがない意志を感じさせる瞳が、あたし達を真っ直ぐ見ている。 「――でもっ!」 「でも、仕事ってなると、あたし達の仕事はまだ終わってないのよね」 アメリアを制し、今度はあたしが口を開く。 「あたし達はウォールズ王からあなたの護衛と一緒に、ダグレスで何が起こっているのか調査も依頼されているの。事の真相を確かめて欲しいってね。 ――正直、旅の途中で廃墟の村を二つも通って、キメラに襲われて、挙句に町の人たちがキメラにされていて……何が何だかさっぱりよ。 だから、あたし達は真相を確かめるために城に乗り込む必要がある。そして、ディクス王に話を聞く権利がある。それに――」 あたしは続け、 「あなたの婚礼をまだお祝いしていないしね」 イルマーに向かってウインクをひとつ。 「そうです、王女様。我ら、サルマードに仕える者として、最後まで王女様のお側に……」 グランをはじめ、騎士達は片足を折りイルマーに頭を垂れた。 「……みなさん……わかりました。では、ディクスのもとまで、お願いいたします」 再度、イルマーはヴェールを揺らし、深々と一礼した。 跳ね橋を渡り、あたし達は城門を潜り抜けた。中庭を抜ける通路を真っ直ぐ進むと、正面には王宮、左右に一つずつ尖塔へと通じる入り口がある。 目指すはディクス王がいるであろう王宮、王の間。 所々、城壁には魔力の明かりが弱々しく灯されてはいるが、中庭にはキメラや衛兵はおろか、動くものの姿は見られない。 ――静寂。 なのに、息が詰まりそうなほど異様な重い空気が城全体を包んでいる。 そして、一行の前に鋼鉄製の重厚な扉が姿を現わす。 「――リナ」 「えぇ、わかってる」 ガウリィの言わんとすることはあたしにもすぐわかった。この扉の向こうに気配がある。 ――殺気。 「グラン隊長、ひとつ提案があります」 「何でしょうか、リナ殿」 「この先、間違いなく敵がいるわ。そこでひとつ提案なんですけど、この先進むのはあたし、ガウリイ、アメリア、ゼルの四人だけで行かせてください。 騎士団や他の人達とリオムさんはここに居て、イルマーを護ってて欲しいの」 あたしの提案にグランはいささか不満顔をみせ、 「それは……我らが足手まといという意味でかな?」 あたしはゆっくりと首を横に振る。 「中から感じる気配の数はそんなに多くない。ということは、町の手前で襲ってきたようなデーモンキメラのオンパレードじゃなくって、 おそらく、あれよりも強力なキメラが待ち構えている可能性があるわ。 そんなのと戦ってる間に、後ろから敵が出てきて挟み撃ち、なんてことになったらかなり戦況は不利になる。 それに、町の人たちも、この先も襲ってこないとは限らないわ。――もちろん、目の前にある危険にわざわざイルマーを連れて行くこともない。だから、皆さんにはここで見張りと退路の確保をお願いしたいの」 ふむ、とグランはしばし黙り込んだ。 むろん、今述べた理由もそうなのだが、本当の所、戦闘になるべくお荷物は減らしたいという理由もある。 デーモンキメラ以上の敵が現れるとしたら、正直騎士団や他の護衛達には荷が重すぎる。それプラス、イルマーを護りながら戦うというのはちょっとしんどい。 「リナ殿の言うことにも一理ある」 そう言うと、グランはイルマーに視線を移した。あたしもイルマーを真っ直ぐ見つめ、 「大丈夫。ディクス王のもとまでは必ず連れて行くから」 あたしは力強く頷いてみせ、それに答えるようにイルマーはやんわりと微笑んだ。 「わかりました。リナさん、ガウリイさん、アメリア、ゼルガディスさん――どうか、お気をつけて」 「まっかせなさいって!リオムさんもそれでいいかしら」 「異論はないわ」 あたしの提案ににこりと笑顔で彼女が答える。 「よっしゃ!それじゃみんな、行くわよ!」 「おう!」 「ああ」 「はい!」 あたしは両手を扉に当て力を込める。 ぎぎぎぎと重い音を立て、扉が開いた。 通路を少し進むと、そこは広い空間になっていた。 中央には真っ直ぐに伸びる赤い絨毯。左右には隣接した尖塔へと続く階段。正面は数段上った先に玉座が二つ。 そしてその玉座に鎮座する二つの影――。 黒いローブを纏い、腕や胸にこれ見よがしにジャラジャラとつけた宝石の護符≪ジュエルズ・アミュレット≫が鬱陶しいずんぐりとした老年の男と、 年の頃は三十過ぎ、銀髪碧眼で眼鏡を掛け、膝まである白衣を着た研究者風な男。 いかにも『俺たちがキメラを作った張本人です』と言わんばかりの胡散臭い風体だ。 「ようこそ、我らが城へ……」 「誰ですか、あなた達は!」 人差し指をビシッと突き刺し、アメリアがご丁寧にもお決まり文句を叫ぶ。 「くくく、わたしは魔道士ダザン、隣は」 「レオールと申します」 ふんぞり返って座るじーさんに対し、その場に立ち上がりうやうやしく一礼しインテリ眼鏡が答える。 「……そんなとこで威張りくさってるとこをみると、キメラを造ってるのはあんた達でいいのよね?――町の人たちを変えたのも!」 あたしは玉座の二人をぎっと睨みつける。 「ええ。町の失敗作はともかく、郊外にいたキメラはまずまずの出来だったでしょう?低級魔族をブレンドすることで空間を渡る能力を身につけた。 ……しかし知能は下の下。攻撃に対し反射でしか動くことが出来ないし、複雑な命令は理解できない。やはり、ベースとなる素材がお粗末だと捨て駒ぐらいにしか役に立たなさそうですね。 ですが――今回はいい素材が手に入りそうです。それも――四つも」 そこまで喋ると、レオールは口の端を吊り上げ、眼鏡の奥に狂気の光が灯る。 レオールはあたしを指差し、 「特にお嬢さん。魔力探索用のキメラが二度もあなたに目をつけた。その魔力容量≪キャパシティ≫……魅力的ですね」 なるほど、あたしの前ばかりキメラが現れたのはそういうことだったのか。 「ずいぶんとふざけたことぬかしてくれるわね。……んで?そんな下の下のキメラとやらを造って、どっかの国と戦争でもやらかそうってんじゃないでしょうね?」 「戦争?何を言っている。野蛮で低俗な研究者共と一緒にしないでもらおう。我々は、ただただ、純粋にこの世で最強のキメラを生み出さんとしているのだよ」 ダザンが鼻で笑い小馬鹿にした笑みを浮かべる。 「どんな攻撃にも耐え得る最強の肉体と精神を持ち、膨大なキャパシティを備えた超生物……考えただけでもゾクゾクするだろう?」 「――どうやら、キメラについてかなり研究してるようだな……反吐が出るぜ」 ゼルガディスの怒気が膨れ上がり殺気に変わる。 「ふん。蛮族にこの崇高な思考は理解できまい。……ふふ、そうそう、ちょうど試作品が出来たところでね。ここはひとつ、実戦といこうかの。 ――参れ!」 ダザンの呼び声に、あたし達の前に二つの影が虚空を渡り出現した。 一体は、全身が腐った青緑色をしており、ひょろっとした長い胴体にいくつものギョロっとした目玉が貼り付いている。頭部にも巨大な目玉が二つ、両腕は肘の先から鋭い鎌になっており、さながらカマキリ人間。 もう一体はピクシー並みに体が小さく背中に生えた四枚の羽を震わせ宙に浮かんでいる。全身が白くのっぺりとして、両手、腹、頭部に赤い口が張り付き不気味な笑みを浮かべている。 「ふはははは!四人で乗り込んでくるあたり腕には自信があるようだが、こいつら相手にどこまでできるかな!?」 あたしは驚愕の表情を浮かべ、張り裂けんばかりに声を荒げた。 「な、なんて強そうなキメラなの!?くっ――これは、かなり研究に研究を重ねたわね!」 あたしの言葉にダザンは気分を良くしたのか目端を緩ませた。 「ほほぉ、わかるか小娘。こいつらは外にいるキメラ達とは訳が違うぞ?そもそもキメラ造りにおいて重要な精神世界面≪アストラル・サイド≫の強化を重点に――」 『崩霊裂≪ラ・ティルト≫!!』 こおおぅぅぅぅぅん! 『みぎゅぇぇぇぇぇぇぇ』 ……。 しーん。 魔道士ダザンが悠長に演説している間に、後ろで密かに唱えていたアメリアとゼルガディスの呪文がキメラ二体を光の柱に包み葬り去った。 あたしは二人が後ろでこそこそ話しているのが聞こえたため、時間稼ぎに臭い芝居をうった、というわけである。 しかし、いきなり崩霊裂≪ラ・ティルト≫とは……どうやら二人もかなり腹に据えかねているようだ。 キメラなぞ大っぴらに出来ない研究をしているヤツというのは、大抵ぼっちで日の当たらない地下とかでコソコソ研究している場合が多く、誰かに自分の研究成果を話したくてうずうずしているのが常だ。 それを逆手にとったわけだが……。 ダザンはキメラ造りの腕もどうかわからないが、悪役としては三流以下のようだ。 現に、ダザンは顎が外れんばかりに口を開け、目が点になったまま硬直している。 隣にいるレオールは腕を組んだままふぅと深いため息をつき、 「ダザンさん、どうしてあんなみえみえの芝居に引っかかるんですか……。わたしに任せて下がってなさい」 今度はレオールがずいっと一歩前に出る。 「わたしのキメラは格が違いますよ?――おいでなさい」 レオールが指をパチンとならすと、目の前に現れたのは一体のキメラ。 オーガ並みの巨躯で全身が硬質で光沢のある鱗と棘に包まれており、本来顔があるべき所にはねじくれた角が三本生えている。その手には巨大な金棒。 キメラの出現と同時に、今度はアメリアがあたしの前にずずいっと出、人差し指をびしっとキメラに向ける。 「お待ちなさい!先程から聞いていれば、命を弄ぶその人とも思えぬ愚かな所業。このアメリア=ウィル=テスラ=セイルーンが正義の名の下に鉄槌を下してあげましょう! たとえ硬い鱗に身を包もうとも、わたしの正義に燃える炎の拳を受け止めることはできて!?」 「ふふふ、笑止!この子の皮膚はあらゆる武器の刃をへし折り、並みの呪文も弾き返す魔力が込められている!そして何よりも、この巨躯からは想像できない程の俊敏な――」 「黒妖陣≪ブラスト・アッシュ≫!」 ばじゅわっっ! …… しーん。 アメリアの脇から放ったあたしの一撃が、断末魔をあげることなく瞬時にキメラを塵と化した。 レオールは自己陶酔の姿勢から動けず体をぴくぴく震わせている。 うん、こいつも三流だ。 「……なぁリナ、ホントにこいつらが敵の親玉なのか?」 すでに抜き放った剣の腹をとんとんと自分の肩で叩き、呆れ顔のガウリイ。 「さ、さぁ……」 そうだったらありがたいことなのだが……。 「ふん――どちらにせよ、やることは決まっている」 ゼルガディスは剣を鞘から抜き、氷のような眼差しを二人に向ける。 「覚悟はできてるんだろうな」 二人はお互い顔を見合わせ…… 『んひぃぃぃぃぃぃぃぃ!』 踵を返し一目散に後方へ逃げていく。 「あ、こら!待ちなさい!」 あたし達は逃げ出すお笑いコンビを追いかける。 二人は奥の扉から細い通路を渡り、右へ左へと折れ曲がる。 灯りのない暗闇の中、ぼんやり見える二人の影を追いかけ―― どむっ 勢いよく扉を開け放つ音がし、目の前の空間が淡く光った。 あたし達は迷うことなくその光の中へと身を躍らせた。 その部屋は、今までいた部屋と雰囲気が異なっていた。 先ほどの倍以上もある広い空間。 ドーム型の天井には何かの絵画の一場面を再現したような荘厳なステンドグラスで覆われ、いつの間にか顔を出していた月の光が差し込み大理石の床に見事な絵画を映し出していた。 部屋の奥には小さな壇上があり、玉座がひとつ。 その左右にはダザンとレオールが先程の失態は無かったかのようにふんぞり返って立っている。 玉座には鎮座するひとつの影。 「ふははは、さっきは卑怯にも不意を突かれたが、今度はそうはいかんぞ」 月並みな台詞を吐き捨てるダザン。 だが、その表情はなぜか余裕に満ちていた。 「そう、これこそ我らの最高傑作!お行きなさい、ディクス!」 『なっ!?』 レオールに名を呼ばれ、玉座から影が立ち上がり、数歩前へ歩み出る。 眩しいほどの月明かりに照らされ、その姿が露わになる。 長身に耳元で切り揃えられた茶色い短髪、一見強面だが整った顔立ち。しかしその肌は浅黒く、所々黒い鱗が張り付いている。 黒い瞳は光を失い、その虚ろな目は何も捉えていなかった。 纏った服は、ステンドグラスの彩色を映し出す白いタキシード。 こいつら――ディクス王までキメラにしていたのか! 「王様までキメラにして操るなんて……とことん下衆なのね」 あたしは口の中の苦いものを吐き出す様に言い放った。 「くくく、『王命』は何かと便利なのでね。騎士団にしろ国民にしろ、研究材料を集めるのには役立ったよ。 ……だが、キメラになることを望んだのはディクス王自身なのだよ?」 「なっ……」 ダザンのその言葉にあたしは耳を疑った。 「王は自分が強くなることだけにご執心でね、『自分に最強の力を与えること』『そのあかつきには婚約者を迎えること』を条件に我々に協力したのです。 そのためかなり試行錯誤し多くの失敗作もでましたが……かなりいい出来に仕上がりましたよ。 まさか、自分が傀儡人形にされるとは思ってもいなかったでしょうが」 三流悪役のくせに、なかなか胸くそ悪い台詞を吐いてくれる。 ということは、サルマードに援軍を頼んだり書簡を送りつけたのもこいつらの仕業ということか。 あたしは外で待っているイルマーの顔を思い出し、無意識の内に唇をきつく噛んでいた。 「さあ、お喋りはおしまいだ!ディクス!やつらを殺せ!」 「殺したら勿体ないですよ!せめて瀕死ぐらいでとどめておきなさい」 二人の呼び声に、虚ろだったディクスの瞳に光が戻り、あたし達四人に焦点を合わせた。 次の瞬間――! ごおぅぅぅぅ! ディクスが雄叫びを上げるとともに、その頭上に光り輝く光球が数十個生み出され、あたし達目掛けて解き放たれた! 呪文の詠唱もなしに発動するところをみると、どうやら魔族と合成されてしまったのか――。 「うおおおおおお!」 飛来する光球にダッシュをかけるガウリイ! そのことごとくを剣で弾き、撃ち落とす。だが数が多すぎる! 超人的な剣裁きをすり抜け、十数個の光球がこちらに目掛けて飛んでくる! 『烈閃槍≪エルメキア・ランス≫!』 あたし、アメリア、ゼルガディスの呪文が、迫り来る光球を相殺する。 なおも飛来する光球は三方に跳び散り躱す。 そうこうしている間にガウリイはそのままディクス目掛けて距離を詰める。ガウリイの剣がディクスの体をその間合いに捉え―― ガウリイは一歩を踏み出すと同時に後方へ蹴る! どがっっ! 今までガウリイがいた床に深い亀裂が走り地面がえぐれた。 一瞬何が起きたのかわからなかったが、ディクスを見、理解した。 いつの間にかその背中からは二本の黒い触手が生えていた。 目にもとまらぬ速さで襲いかかってきたそれを、野生のカンでガウリイは後退し躱したのだ。 間髪いれず、ディクスは再度光球を出現させ解き放つ! 間合いを詰めようとガウリイが走る! しかし、触手の先端が淡い輝きを放ち、鞭のようにうねりガウリイへと襲いかかる! がぎぃぃぃ 触手の攻撃をガウリイの剣が受け止め、ぎちぎちと火花を散らす。 妖斬剣≪ブラストソード≫でも斬れないということは、触手に魔力を込めているのか! あたし達三人は次々と迫る光球の対応で手一杯でガウリイのサポートにも回れない。 くっそー、こんなノータイムでぽこぽこ撃ってこられたら、こちらから仕掛けるタイミングがない! 「くははは!いいぞ、いいぞ!さすが我等の最高傑作だ!」 ダザンの嘲笑が響き渡る。 「では、次は、もう少しビジュアルにもこだわりたいものですね。……あぁ、そういえば、外には可憐な王女様が居ましたねぇ……。 ふふ、次は見目麗しいキメラに挑んでみましょうか」 レオールの下卑た言葉が合図のように、次々と襲い来るディクスの攻撃がぴたりと止んだ。 「ど、どうしたディクス!なぜ手を止める!?」 「そうだ!早く敵を打ち払いなさい!」 「うるさい」 どひゅっっ! その刹那――ディクスの背中から新たに生えた触手が、ダザンとレオールの体を貫いていた。 「ごはぁっっ!」 「なっ――なに……を……」 ディクスは後ろを振り返ることなく、あたし達を見据えたまま、ゆっくりと口を開いた。 「イルマーに手を出す奴は――許さん!」 ディクスの一喝に、二人を貫いている触手が紅い光を帯び―― ばちばちばちばちっ! 『ぐああああああああ』 紅いプラズマがダザンとレオールの体を激しく走り、二人の体は見る影もなく黒く痩せ細っていく。 紅い光は触手を伝い、ディクスの背まで到達し、ディクス自身が淡い光に包まれる。 まさか――食らっているのか!二人の魔力を! ディクスは力を吸収し終わると、ボロ切れのようになった二人の体を横へ投げ飛ばした。 どんっ! 二人の体は勢いよく壁に激突し、そのまま地面に崩れ落ちた。 それが、くだらない野望を抱いた三流魔道士達の呆気ない最後だった。 ディクスは表情を変えることなく、あたし達を一瞥する。 「あなた……操られてなかったのね。――初めから」 あたしの言葉に、ディクスはわずかに口の端を上げた。 「えぇ……そのほうが都合が良かったもので」 この場にはそぐわない、その異形の姿からは想像がつかないほど、落ち着いた優しい口調だった。 「あの二人が言ってた、あなたが自らの意志でキメラになったっていうのは、本当なの!?」 「本当ですよ。この姿になったのは、全て自分の意志」 自分の胸に手を当て、優しく微笑むディクス。 「……どうして!どうしてですか!民を守るべき立場にあるあなたが、民や何の罪もない人達を己の欲望の為に見殺しにし、 あまつさえ自分も人の身を捨てるなんて!」 アメリアの悲痛な叫びが響き渡る。 「――わたしは、力が欲しかった。盗賊や他国の軍勢に襲われてもこの国を……いや、愛する人を守れるだけの力が! 力あるあなた達にはわからないでしょう。目の前でチンケな盗賊に両親を殺され、国を焼かれ、愛する人も失いかけ…… 悔しかった――惨めだった!なんの力もない無力な自分に心底絶望した!! ――だから、わたしは望んだのです。欲したのです。役に立たない国兵などいらない。たった一人でも、何者をも退け愛する人を守る力を!!」 ディクスの昂ぶる感情に共振するかのように、大気がぴりぴりと震えている。 「だから……わたし達は『契約』した。二人の――未来のために!」 ――わたし達?まさか…… 「さあ、そこをどいてください。イルマーを……わたしの愛する花嫁を迎えに行かねばなりせん」 ゆっくりと、ディクスはこちらへと歩みを進める。 「……イルマーは、知ってるの?あなたがキメラになったこと、多くの人がその犠牲になったことを」 ぴくりとディクスの眉が跳ね上がり、無表情が一転、沈痛な面持ちをみせた。 「……恐らく、知っていると思いますよ。ですが、あなた方には関係のないことです。 さあ、もうお話することはありません。そこをおどきください」 あたしは真っ直ぐ歩み来るディクスの前に立ちはだかった。 「生憎だけど、そう言われて、『はいそうですか、ではお幸せに!』なんて言って見過ごせるほど人間できてないんでね」 「そうです!この国に、あなたに起きた不幸の胸中は計りかねます。ですが、だからといって罪なき人々を巻き添えにしていいはずがありません!」 あたしとアメリアの言葉に、ディクスは歩みを止めぬまま、温和な気配が一気に殺気へと変貌する! 「わたしの望みはイルマーとともに安寧な未来を歩むこと……それを邪魔する者は――すべて排除します!」 ディクスはそう言い放つと、四本の触手をこちらに向かって振るう! あたし達は四方に散り、触手の攻撃を避ける! 「黒妖陣≪ブラスト・アッシュ≫!」 あたしは唱えていた呪文を触手めがけて放つ! ばちばちっ あたしの攻撃を受けた触手は紅い閃光を放ち、ディクスの背へと淡い光が吸い込まれていく。 くっ――吸収されたかっ!? 「みんな!触手に魔法は効かないわ!叩くなら本体よ!」 「うおおおおおお!」 ガウリイがディクスに向かって勢いよく地を蹴る! 二本の触手がその身に迫るも、ガウリイは剣を滑らせ受け流し、ディクスに近づく。 さらに二本の触手がガウリイを貫かんと迫る。 後方からも軌道を変えた二本の触手が伸び―― ガウリイはとっさに真横に跳び、迫り来る触手を全て薙ぎ払った。 その後も目で追うのがやっとの高速の応酬が続き―― その隙に左右から回り込んだアメリアとゼルガディスの呪文が完成する。 「烈閃砲≪エルメキア・フレイム≫!」 「冥壊屍≪ゴズ・ヴ・ロー≫!」 光の柱がディクスを包み、黒い影が彼を蝕む。 「はああっっ!」 ばちゅぅん しかし、ディクスの一喝とともに光と影が打ち消された。 ――並の呪文は効かないか! なら――これならどうだ!! 「アメリア、ゼル、下がって!――覇王雷撃陣≪ダイナスト・ブラン≫!」 五芒星の光の柱から伸びる雷撃がディクスを襲う。 ディクスはふん!と力を込めると、背中から新たな触手を生やし、紅い火花とともに雷撃を喰らい尽くす。 くっそー!何本生えるんだ、あの触手は!! 新たな触手は左右に分かれゼルガディスとアメリアに襲いかかる! 「魔皇霊斬≪アストラル・ヴァイン≫!」 「霊王結魔弾≪ヴィスファランク≫!」 それぞれ剣と拳に魔力を込め、触手を打ち払い二人が後退する。 魔術は防がれ、接近戦に持ち込むにも触手がそれを阻む。 かなり厄介な相手だが―― 「地精道≪ベフィス・ブリング≫!」 どぐぁしゃああっ 呪文にアレンジを加え、トンネル堀の術をディクスの足元で発動させる。 足場を失いまともにバランスを崩し、ガウリイに斬りかかっていた四本の触手も動きが鈍る。 この隙を逃すガウリイではない。 触手を明後日の方向へと打ち払い、体勢を崩したディクスへと肉薄し上段から剣を振り下ろす! がぎぃぃぃぃぃん あろうことか、ディクスは自分の右手でガウリイの剣を受け止めた。 裂けた衣服からは、びっしりと硬質な鱗に覆われた腕がのぞいている。 そして空いた左手で光球を生み出す! 瞬間、ガウリイはディクスの腹を蹴り、その勢いで体を捻り光球を避ける。そこへ再度触手が迫り、超人的な体術ですぐさま後退。 ガウリイのいた空間を紙一重で触手が貫く。 「……あなた方は強い。だが、わたしは負けるわけにはいかないのです。――イルマーのためにも!」 るごぉぉぉぉぉぉぉ! ディクスは再度無数の光球を天井近く、それも部屋全体に生み出した。 魔道士二人の魔力を吸収したせいか魔力容量≪キャパシティ≫が桁違いになっている! そして、それらが一斉にあたし達に降り注ぐ! 「アメリア!ゼル!防御結界っ!」 「はいっ!」 「おうっ!」 あたし達はガウリイの側に集まり、呪文を唱え天高く腕を突き出す。 ずががごごごごごごぉっ 三重の結界に力の雨が止むことなく降り注ぐ。見かけよりも一つ一つの威力が高く、結界を支える腕に重圧がのしかかり骨が軋む。 「うぅ……このままじゃ、もちませーん」 「くそっ!おい、リナどうする!?」 「どうするったって……」 生半可な呪文は効かないどころか吸収される、触手もディクス自身もガウリィの剣を防ぐほどの防御力、おまけに体術もかなりのものだ。 竜破斬≪ドラグ・スレイブ≫あたりだったら吸収はされないかもしれない。しかし、確実に外にいる騎士団やイルマー達まで巻き添えをくう。 早く打つ手を考えなければいけないのに……。 正直、あたしは迷っていた。 さっきはとっさにディクスの進路を阻んだが……。 罪もない人々を人体実験にしキメラを生み出していた張本人はもういない。その悪事を看過していたことは決して許すことはできない。 しかし、目の前にいるのは己の信念の為にその身を捧げた一人の人間。異形の姿となっても、彼にははっきりとした自我がある。 彼の願いは戦争でも世界征服でも何でもない。 歪んだ過程を経て望むのは、ただただ、愛する人との幸せな未来。 彼を討つべきなのか。 それに、イルマーにディクスのもとへ連れて行くという約束もある。 しかし、このまま大人しくやられて今の彼を見過ごす、というのも何か違う。 どうする……どうすればっ!? 今だ降りやまぬ光球の嵐に、あたし達の防御結界が力を無くしていく。 考えている暇はない! あたしが決意を固めると同時に―― 「もうやめてぇっ!!」 張り上げられた声に応じるかのように光の雨が止み、あたし達の結界も消失した。 声の方を振り向けば、開け放たれた部屋の扉の前に立っていたのは、イルマーとリオムだった。 「イルマー!?」 「……イルマー……」 ディクスは触手を背中に戻し、それまで空間に溢れていた殺気を霧散させた。柔らかな笑顔を浮かべ、右手をイルマーに差し出すようにゆっくりと上げた。 「あぁ、イルマー……とても綺麗だ。待たせてすまなかったね。もう大丈夫。僕は強くなった。やっと……やっと君を守ることができる」 「ディクス……」 薄茜色の瞳からは大粒の雫が滔々と零れ落ち、純白のドレスを濡らしていく。 「ごめんなさい、ディクス……わたしのせいで……こんなにも、あなたを苦しめてしまった……」 「イルマー?」 あたしは怪訝な顔をイルマーに向けた。 「わたしのせいなんです。わたしが……わたしがあの時、こうなることを望んでしまったから……」 「どういうことなの?」 あたしはディクスに意識を向けたまま、イルマーの弱々しい声に耳を傾ける。 「全ての始まりは三年前。この国が盗賊に襲われたあの日…… わたしも、ここ、ダグレスにいたのです」 ごくりと、誰かが喉を鳴らす音がした。 「城や城下には火が放たれ、目の前でディクスのお父様とお母様が無残に殺され、わたしを庇ったディクスも瀕死の状態でした。 わたしは……わたしは何もできなかった。わたしには何の力もなかった。盗賊たちに囲まれ、ただ、少しずつ息を細めていくディクスの体を抱き寄せることしか出来なかった。 ……だから、わたしは祈ったのです。わたしはどうなってもいい。だから、誰かこの窮地を……ディクスを助けて!と……」 そこまで話すと、感情が高ぶったのかイルマーは激しく咳き込み、口元を抑えていた手にべっとりと鮮血が溢れた。 「イルマー!」 なおも咳き込むイルマーに駆け寄ろうとしたアメリアを、彼女は片手で制し、話し続けた。 「その叫びに、応じてくれた者がいました。――自分達の実験に付き合うなら、力を貸す、と」 「……それがあの魔道士二人だった?」 イルマーは静かに首を横に振る。代わりにディクスが口を開く。 「あれらは偶然この国にやってきたのだ。キメラを研究しているからスポンサーになってくれ、力を欲するならばキメラになるのが手っ取り早いと言ってな。 ……そして、わたしはこの身を差し出した」 「――っちっ」 あたしの隣にいたゼルガディスが苦々しく舌打ちをした。 「イルマー……君の願いは……君の選択は間違ってはいない。あの日、君が『契約』してくれたからこそ、今ここに僕たち二人がいるのだから」 「いいえ!あれは……あれは間違いだったんです。だって……だって、もうあなたは、昔のディクスじゃない! 昔のディクスなら、すぐ側で幾千もの人達がキメラに変えられていくのを黙って見ているはずがない!そんな犠牲の上に、あたし達の幸せがあるはずもない。 今のあなたは、『力』に取り憑かれた魔物なの」 イルマーはふぅっと息を吐き、 「そして、それはわたしも同じこと……。ただ、ディクスに生きていて欲しかった。ディクスと共に未来を歩めるなら、何を犠牲にしてもかまわないと思ってた。 幾千幾万の命が潰えても、それは仕方のないことだと思えるようになってしまっていた!だから、多くの行方不明者が出た時も、他国がダグレスに・・・ディクスに注意を向けないよう情報を規制することを父に進言した。自分のエゴのために。 わたしの心も、醜い魔物となってしまった……わたしとディクスは同罪なのです」 沈黙が訪れる。 あたし達はイルマーやディクスに語るべき言葉が出ず、その場に立ち尽くす他なかった。 「だから……だから、もう終わりにしましょう。わたし達の罪は、わたし達自身で償います」 宝石のように光る雫が溢れる瞳に凛とした強い光が宿る。イルマーは横にいるリオムへ体を向け、 「リオムさん、お願いします」 そう告げると、そっと瞳を閉じた。 黙って二人のやり取りを見ていたリオムは、無表情のまま、右手をイルマーの顔にかざし、その手が淡い光に包まれる。 『――っやメろおオオお!!』 ディクスと、彼とは違う誰かの混じった叫び声とともに、彼の背から六本の触手がリオムに一気に襲いかかり―― ばじゅわっ リオムに触れる手前で、全ての触手の先端から半分が弾け飛び霧散した。 『――なっ!?』 「ぐああああああああっ!」 あたし達の驚愕の声と同時に、ディクスの悲鳴が部屋に響き渡る。 リオムはディクスを一瞥することもなく、手に宿した光をイルマーの顔に覆い被せた。 その瞬間―― 「ぎゃあああああアアァァァ」 イルマーの体がびくんっと大きく仰け反り、全身が痙攣し、その口から黒い飛沫が勢いよく噴き上がる! その飛沫は、宙で徐々に形を成して行った。 真っ黒で、人間の頭部ぐらいの大きさからズタズタに切り裂かれたマントが生えたような、凧みたいなシルエット。その頭部には大きな目玉がひとつ。 そのヘンテコな影から滲み出る、絡みつくような重い気配は、あたしたちのよく知っているもの――まぎれもなく、瘴気だった。 ――純魔族。 凧魔族はひとつしかない目を大きく見開きあたし達――いや、正確にはリオムから距離をとった。 魔族を吐き出したイルマーは、顔からはさらに血の気が引き、両手両膝を地について多量の血を吐いた。 純白のドレスに紅い花が咲く。 「イルマー!!」 すぐさまアメリアが駆け寄り、復活≪リザレクション≫を唱え―― 再び、イルマーの震える手がアメリアを制した。 「……だい、じょう、ぶ……わ、たし……には、まだ……やるべきことが――ある!」 イルマーは最後の力を振り絞りどうにか立ち上がると、目の前にいるリオムの腰に下げていた長剣へと手を伸ばし、そのまま剣を鞘から抜き放ち、ディクスのもとへと走る! 「イルマー!!」 アメリアの叫びは、もはや彼女には届かなかった。 「ディクス……おまたせ……いっしょに……いきましょう」 「……イルマー……」 ディクスもイルマーに向かって駆け出し、躊躇うことなく自分の元へ走り来る花嫁を抱きしめるように―― イルマーの構えた剣がディクスの左胸を深々と貫いた。 「ぐおおおおおおおおお!」 今度はディクスの体が大きく仰け反り、その口から黒い霧が噴出する。 霧は少しずつその輪郭を露わにし、凧魔族と同じように人間の頭部ほどの大きさにギョロ目がひとつ、そこからは八本の触手を生やす姿となった。 そして、瘴気があたりに充満する。 人間の中に魔族が隠れているなんて夢にも思わず、あたし達はその光景に絶句していた。 そして、ディクスやイルマーの話を思い出す。 そうか……『契約』とやらをした相手は、この魔族たちだったのか―― 魔族を吐き出したディクスは全身を痙攣させ、イルマーを抱きしめた腕は離さぬまま、彼女とともにその場に力無く崩れ落ちた。 そのまま彼等は動くことはなく、抱きしめあった二人の顔は、命尽きた者とは思えぬほど安らかだった。 「……とんだ邪魔が入ったな……」 「なに、どうせ女の方は長くは持たなかった。……またやり直せばいいだけのこと」 よくわからない会話をし、魔族達はディクスとイルマーには目もくれず、その二つのギョロ目があたし達を捉える! 「くるわよ!」 嘆き悲しむ暇もなく、あたし達が臨戦態勢に入るのと同時に、二体の魔族の目が光り輝く! ヴヴヴウウウウン 羽虫の羽ばたきにも似た摩擦音とともに、突如天井に現れる巨大な五芒星の光。 ――まずいっ! 急いで呪文を唱えるも、五芒星の光柱があたし達を包み―― どむんっっ 途端に襲い来る超重力にあたしの詠唱は中断された。 「ぐっ!!」 「な、なん――だっ!?」 立ち上がるどころか口を開けば舌を噛みそうなほどの重力がのしかかり、あたし達はあがらえず地に伏した。 接触した地面と肋骨がみしみしと悲鳴をあげる。息を吸い込むも肺が上手く膨らまず全身が熱くなる。 二体がかりの超重力干渉に負けじと、なんとか視線だけ前に移すと、そこには変わらず涼しい顔をしたリオムが佇んでいた。 「――!?」 やせ我慢でもなく、まったく影響を受けていない彼女の姿に、魔族達は驚愕の色を浮かべる。 「……つまらないわね」 ばぎぃぃぃぃぃん リオムの一言に、天井で輝く五芒星の印が砕け散り、あたし達を押さえつけていた重力が消滅する。 「ごほっごほっ!」 急激に解放された肺が多量の空気を吸い込みひきつる。 く、くるしひ……。 「くっ、一体何が――っっ!?」 ゼルガディスは片膝をつき立ち上がろうとしたが、瞬時に硬直し、息を飲んだ。 ぞわり。 あたしもなんとかよろよろと立ち上がったが、全身を舐められるような気配に鳥肌が立ち、足が竦み、全身の筋肉が強張って、その場から動くことはできなかった。 そして理解した。 魔族の重力干渉を打ち破ったのは技でもなんでもない。 ただ、『彼女』がそれまで秘めていた存在を露わにした、単なる余波にすぎなかったのだ。 まるで、艶やかに狂い咲いた花が、一斉にむせ返るほどの濃厚な香を放ったような――全ての生あるものを萎縮させる瘴気が空間を支配する。 魔族達も、大きな目をさらに見開き、自分達の力を遥かに凌駕する存在を目の当たりにし畏怖していた。 深い、深い闇色の静寂があたりを包み―― どごあああああああ! その静寂を打ち破るように、突如轟音とともに右の壁が崩れ、巨大な塊が倒れ込んできた。 それは身の丈五メートルはありそうな巨躯のキメラだったが、すでに事切れているのかそのまま動くことはなかった。 あたりに粉塵を撒き散らし、 「……おや?お取込み中でしたか?」 キメラの後ろから呆気からんとした声とともに現れたのは、いつのまにか姿を消していたゼロスだった。 ゼロスは部屋の中をぐるりと見渡し、何事もなかったかのように彼女の元へと歩いていく。 「掃除は終わったのか?」 「はい、あらかた。そうそう、地下でこんなものを見つけましたよ」 ゼロスは懐から一冊の魔道書を取り出した。 そして、あたしは信じられない光景を目にした。 あのゼロスが、片膝を地につき、頭を垂れ、恭しく魔道書を彼女に差し出した。 魔族とは思えぬその優雅な所作ひとつで、彼女が何者であるかを理解するには十分だった。 彼女はゼロスをじろりと見、差し出された魔道書を手に取りペラペラとめくった。 「……たいした内容ではないわね」 そう言い放ち、手の平に生み出した青白い炎で魔道書を炭と化した。 二体の魔族も動かず、目の前の巨大な存在達をじっと見つめている。 「……それで、あなた達はどこの子かしら?」 彼女が問う。 「我々は……いわゆる『はぐれ』にございます」 丁寧な口調で触手魔族が答える。 「へぇ、珍しいわね。……それで?あなた達のいう『実験』は失敗に終わったのかしら?」 「いえ、此度は始まり……ゆえに成功とも言えます。脆弱な人間では命を蝕み、精神世界面≪アストラルサイド≫や肉体を強化したものでも、 その精神を蝕んでしまったようです」 会話の内容はよくわからなかったが、ただ、両者が仲間同士ではないことだけは理解できた。 「我らの邪魔立てをなさいますか?」 無謀にもわずかな殺気を含ませ触手魔族が問う。 「んー……」 彼女はしばし考え、一瞬、ちらりと天井に視線を向け、 「別にあなた達の研究の邪魔をするつもりはないわ。わたし達には必要ないし。 ……ただ、もうそれはいらないわね」 彼女は視線を血の海に横たわるディクスとイルマーに向けた。 「はい、そうなってしまっては、ただのゴミも同然……」 「ならもらっていくわ」 彼女は指をぱちんっと鳴らす。 ヴヴヴン 空間が歪む音を立て、二人の体は貫かれた剣とともに闇に包まれ虚空へと消えていった。 「ゼロス、わたし達もそろそろ失礼しましょう」 彼女はあたし達のほうへくるりと振り返り、今までで一番の満足げな笑顔を浮かべた。 「――では皆さん、楽しい旅だったわ」 「リナさん、あとは頑張ってくださいね」 ゼロスはぱたぱたと手を振り、それだけ言うと、二人は瞬時に虚空へと姿を消した。 同時に、あたりに充満していた濃い瘴気が消え、体が軽くなった。 あたしは額にびっしりと浮かんだ汗を手で拭い、深く息を吐き出した。 「なんだったんだ、一体?」 状況が飲み込めずに首を傾げるガウリイ。 いや、状況を把握しきれていないのはあたしも他の二人も同じだ。 とりあえず、ひとつの脅威は去った。だが、安堵したのはあたし達だけではなかった。 「……お咎めなしか……ククク」 凧魔族はすぅっと目を細め不気味に笑う。そしてあたし達に視線を移し 、 「どうだ、人間達よ。お前達は何を願う?力か?財か?我らの実験に付き合うならばその願い、叶えてやろうぞ」 嘲りを交えた口調があたしの神経を逆撫でる。 「実験?さっきもそんなこと言ってたけど、実験ってなんなのよ!?」 「なに……貴様の生ある間、我等をその魂の中に受け入れるだけでよい」 「わっかんない奴ね、その実験の目的は何かって聞いてんのよ!」 「知る必要はない。ただ答えればよい。――応か、否か!?」 あたしは凧魔族の問いかけに、ふんっと鼻を鳴らす。 「お生憎様、あんたらみたいな趣味の悪い下級魔族なんぞを受け入れるぐらいなら鍋の蓋としゃもじ持ってさっきの『彼女』に喧嘩売るほうが百万倍マシってもんよ!」 「……どうやら、死に急ぎたいようだな!」 あたしの啖呵に二体の魔族の殺気が一気に膨れ上がる。 「なんだかよくわからんが、とりあえずあいつらをぶっ倒せばいいってことだな!?」 「珍しくよくわかってんじゃない、ガウリイ」 「己の悪行のために純真な人間の心理につけ込むとはなんたる非道!まさに悪!今こそわたし達正義の仲良し四人組が正義の鉄槌を下す時!」 「……仲良しはやめてくれ」 あたし達は口々に言葉を走らせ目の前の敵に身構える。 「ククク、我等の力を借りることを望んだのは人間の愚かさゆえ……。我らは対価を求めたまで」 「所詮、我らと人間は相容れぬ者。語るだけ無駄なのだ――ゆくぞ!」 凧魔族の一声が合図となり、戦いの火蓋が切られた。 「ゼルとアメリアは凧魔族のほうをお願い!あたしとガウリイは触手のほうよ!」 「はいっ!」 「まかせろ!」 「おうっ!」 あたしとガウリイは触手魔族目掛けてダッシュを駆ける! そこへ二本の触手が迫り、あたし達は左右へ跳びそれを躱す。 どがっっ! 目標を失った触手はそのまま地面へと突き刺さる。 左右から回り込むあたしとガウリィそれぞれに新たな触手を差し向ける! 「おおおおおっ!」 気合い一閃、ガウリイの剣が迫り来る触手を斬り落とした。 ――斬れた!? どうやらディクスの背から生えていた触手とは別物らしい。 斬り落とされた触手はガウリイの後方へぽとりと落ちる。ということは―― あたしは呪を唱え、前方から来る触手を紙一重で躱し、 「黒妖陣≪ブラスト・アッシュ≫!」 あたしの真横を通り過ぎる触手に術を発動させる。 ばしゅあああっ 「うぐっ!?」 触手の先端から半分が塵と化した。 しかし、吹き飛ばした先端からは新しい触手がずるりと生えた。 「なっ!?」 一瞬で再生した!? 悲鳴をあげたところをみると、ダメージは食らっているみたいだが……。 触手魔族は宙をただよいながら、ギョロ目をすうっと細めた。 嫌な予感がし、あたしはガウリイへと視線を移す。 再度迫り来る触手を薙ぎ払い、斬られた触手の一部が地に落ち、細かく震えた。 「――っ!ガウリイ、後ろ!」 斬り落とし地面に横たわっていた触手が一斉にガウリイ目掛けて伸び、魔族は前方から挟み込むように新たな触手を走らせる! 「なんのこれしき!」 ガウリイは人間業じゃない身のこなしで後方からの触手を紙一重で避け前方からの触手を横薙ぎにする。 ガウリイの横を通り過ぎた四つの触手の一部はピタッと宙で止まり、ひとつに固まって新たなギョロ目を出現させた。 「なっ!?こいつ増えたぞ!?」 「増えたんじゃないわ。目玉部分も触手もヤツにとっては同じ一部なのよ。たぶん、どこかに核みたいなものがあるはずよ!じゃなきゃ永遠にトカゲの尻尾切りだわ!」 「クックック、それがわかったところで、ぬしらには見つけられぬわ!」 あたしとガウリイは横に並び、二つのギョロ目と対峙する。 「烈閃槍≪エルメキア・ランス≫」 先制を仕掛けたのはアメリア。光の槍が凧魔族に向かって疾る! 「無駄だ」 凧魔族の胴体部分に大きな穴が開き、光の槍が音もなく吸い込まれていった。 「――返すぞ」 凧魔族の目が輝き、胴の穴が光り光球が放たれる!それを左右へ跳び避けるゼルガディスとアメリア。 「くくく、我に魔術は効かん。倍にして跳ね返してくれるわ!」 「烈閃槍≪エルメキア・ランス≫」 魔族の言葉などお構いなしに同じ呪文を連発するアメリア。 しかし、アレンジを加えたのか今度は数本の光の槍がアメリアの目の前に現れ、 「GO!」 アメリアの掛け声で一斉に放たれる! 「ははは!数を増やしたところで変わらぬわ!」 先程と同じように光の槍は魔族の胴穴に吸い込まれ、そこから光の雨が降り注ぐ。アメリアはそのすべてを体術で捌き、かわし、 「烈閃槍≪エルメキア・ランス≫!」 構わず立て続けに術を放つ。魔族はその行為に明らかに苛立ちをみせ、 「それほど愚かだと笑えぬ!さっさと殺してくれるわ!」 「貴様がな」 「!?」 アメリアに向かって光球を放つ寸前、間近で聴こえた声に魔族の動きが一瞬止まり―― ざんっっっ 背後から気配を消し剣に魔力を込めたゼルガディスの上空からの一撃が、凧魔族の体を真っ二つに両断した。 「やりましたね!さすがゼルガディスさん!」 「油断するな!……まだ終わってない」 ゼルガディスは安堵することなく、真っ二つに両断された魔族を睨みつける。 「くっくっく……効かぬ」 余裕の声と共に両断された体がすぅっと接合し元の姿へと戻る。 「そんな!?」 「さぁ、次はどんな小賢しい技をみせてくれるのかな?」 凧魔族は嬉々として目を細めた。 あたしはなお飛来する触手を避けながら思考を巡らせていた。 ちらりとゼルガディス達の方を見れば、あちらの魔族も魔力剣で攻撃を受けても平然としている。 人の形もとれない低級魔族にしてはどちらも少々タフすぎる。 何かカラクリがあるはずなのだが――。 その時、ゼルガディスが放った無数の光の一部が凧魔族に吸い込まれ、残った閃光は天井へと届く寸前に、もう一体の魔族の触手によって薙ぎ払われた。 ふと、あの時天井に視線を向けた彼女の姿があたしの脳裏を横切った。 ――そうか! 「ガウリイ!耳貸して!」 あたしはひとつの可能性を信じ、触手を避けつつガウリイに近づきごにょごにょと耳打ちする。 「わかった、やってくれ!」 そう言うとくるりと踵を返すガウリイ。 「アメリア!ゼル!援護お願い!」 あたしは急いで呪文を唱える。手に地をつき力ある言葉を放つ! 「霊呪法≪ヴ=ヴライマ≫!」 ごごごごごごがぁぁ あたしの力ある呼び掛けに地が隆起し巨大な石人形≪ゴーレム≫を作り上げる。 「愚かな!そんな土塊で何ができる!」 もちろん、こんなゴーレムで魔族を倒せるなんて思っていない。 「うおおおおおおおお!」 ゴーレムが立ち上がると同時に、ダッシュを駆けその腰へ、背中へと跳び乗るガウリイ。 そしてそのガウリイ目掛けて、 「風魔砲裂弾≪ボム・ディ・ウィ≫!」 ごおぅっ あたしの呪文第二弾が完成し、圧縮した風がガウリイを垂直に押し上げる! 『――っ!?』 ようやくあたしの狙いに気づいた魔族二体が触手を、光球をガウリイに向けて放つ! 「烈閃槍≪エルメキア・ランス≫!」 「烈閃砲≪エルメキア・フレイム≫!」 しかし、ガウリイに届くより前に、アメリアとゼルガディスの呪文によってそれらは霧散する。 「いっけぇーガウリイー!!」 「おおおおおおおっ!」 剣を握る腕を上空に突き出し、ガウリイの一撃は天井のステンドグラスの絵画の一部に深々と突き刺さった。 ばりぃぃぃぃん 「ぐるろわああああああああああ」 砕けたステンドグラスが空間ごとぐにゃりと歪み、深々と剣に貫かれた巨大な目玉が姿を現した。 断末魔に近い悲鳴とともに二体の魔族はびくんっと体を震わし、さらさらと塵となって崩れ落ちていった。 ガウリイは剣の柄から手を離し、自由落下を始めゴーレムの背に降り立つ。 それと同時に、あたしの最後の呪文が完成する。 「竜破斬≪ドラグ・スレイブ≫!!」 どぐがああああああああああ あたしの渾身の紅い閃光が、城の天井もろとも一体の魔族を討ち滅ぼした。 第五話〜エピローグ〜 「……終わったわね」 「えぇ……終わりました」 どこまでも続く蒼穹に、輝く太陽が少しずつ地平線へとその姿を隠す頃。 小さな町の大通りは井戸端会議に花を咲かせすぎた女性達、旅行客、商人、地元の子供達の笑い声などの喧騒に包まれていた。 そんな通りにある、一軒の食堂。軒先にも所狭しとテーブルが並べられ、そのひとつを陣取り、あたし、ガウリイ、アメリア、ゼルガディスはテーブルに、あるいは腰掛けた椅子の背にその身を預けぐったりと伸びていた。 あたしとアメリアの力ない呟きが、一際大きな子供の笑い声にかき消された。 ダグレスで一体の魔族を倒したその後―― あたし達は、中庭で気絶していた騎士団のみんなをたたき起こし、事の成り行きを一部報告した。 グランは、イルマーがディクスとともにその命を絶ったことを知ると、自らの使命を全うできなかった絶望感に苛まれていた。 それでもサルマード騎士団隊長としての矜持を胸に、慌てふためく他の騎士達をまとめ上げ、あたし達とともに城内を探索した。 あたし達が最後に戦った部屋の右隣、巨大なキメラが倒れ込んできた隣の間は、広い空間の中心にぽっかりと巨大な穴が開いており、地下へと繋がっていた。 地下は地上の城部分の二倍以上はある巨大な空間になっており、キメラの研究所だったのだろう、生命の水に満たされていた数え切れないほどのクリスタルケースとキメラの残骸が累々と転がっていた。 それに混じるように、白衣を着た人間も何人かいたが、皆首をはねられ絶命していた。 掃除、と称したプリーストの仕業であることは疑うべくもなかった。 もはや城内に生あるものの姿はなく、一行は城下町に出た。 そこには、さっきまで彷徨い歩いていたキメラ達が皆地面に崩れ落ち、その生命活動を終えていた。 外見に傷一つないとこをみると、恐らくキメラ製作者かディクスが死んだ時点で、一緒に事切れるように作られていたのか。どちらにせよ、確かめる術はもうどこにもなかった。 一連の状況を報告するために、あたし達はサルマードへの帰途についた。 道中は誰も言葉を発することなく、皆黙々と歩みを進めた。目の当たりにした現実を受け止めきれず、皆の顔は疲弊しきっていた。 そして、サルマードの領土に入る手前の街道で、あたし達は信じられないものを前に驚愕し立ち尽くした。 街道横に置かれた、横倒しになった大きな一枚岩。 その上に艶やかに咲いた見事な白い百合が所狭しと敷きつめられ、その色と同化するように、純白のドレスとタキシードを纏ったイルマーとディクスの亡骸が静かに横たわっていた。 その二人の顔は、まるで今から永遠の愛を誓いあうかのように穏やかで、満ち足りた優しい表情をしていた。 *** 事の顛末と、二人の体をウォールズ王のもとへ届け、今回の事件の詳細の報告やらなんやらで、あたし達がこうしてその仕事を終えたのは、ダグレスを後にした一週間後のことだった。 ウォールズ王には、魔族のことは話さず、キメラを研究していた輩がディクス王を亡き者にしていて、悲観したイルマーがその後を追ったと説明した。 ウォールズ王は泣き崩れ娘の死を悼んだが、彼女の安らかな顔に救われたのか、あたし達を責めることはしなかった。そればかりか、当初の謝礼よりも多い額が用意されていたが、あたしは受け取らなかった。 あたし達はその足で、サルマードの隣町へと身を移し、数日この町に滞在することにした。 「これで……よかったんでしょうか……」 テーブルに頬をくっつけたまま、アメリアがぼそりと呟く。 友達だった王女の最後に、一番打ちのめされていたのはアメリアだった。 彼女はしばらく塞ぎ込んでいたが、一晩たってようやくいつもの笑顔を見せるようになった。 だが、まだいつもの元気には遠く及ばない。 「あのとき、イルマーを止めてたら……結果は変わったんでしょうか」 アメリアの独り言のような問い掛けに、誰も返事をすることはなかった。 アメリア自身もよくわかっているのだ。 今更、過ぎた事実を悔やんでも、何も変わりはしないことを。 それでも、つい言葉として発してしまったのは、彼女自身のやるせなさがまだ内に残っている証拠だ。 「――にしても、結局あの魔族の目的はなんだったんだ?」 話題を変えようとしたのか、ゼルガディスが独り言つ。 「さあね……それこそもう確かめようはないし?考えるだけ無駄なんじゃない?」 「教えてあげましょうか?」 「そうね、そうしてくれると、助かる――!?」 突如現れた聞き覚えのある声に、あたし達はびくっと体を震わせ、すぐさま座っていた席から跳び退き、あたりを警戒する。 「そんなに緊張しなくてもいいわよ」 声はすぐ側――あたしが座っていた斜め後ろから聞こえてきた。 『――!?』 あたし、アメリア、ゼルガディスは言葉を失った。 息を飲み、背筋に冷たいものが走る。 そこには、同じ食堂の椅子に座り注文したであろう香茶を優雅に啜りつつ、静かに坐する金髪美女の姿があった。 「おー、いつの間にそんなとこいたんだ?」 「少し前からね」 緊張感の欠片もない、のほほんとしたガウリイの言葉に彼女は緩く微笑んだ。 突如―― スパァァァァァン 気持ちが良いほどの爽快な音がざわめく大通りの騒音に負けじと響く。 あたしは椅子から立ち上がりもしていないその能天気クラゲ頭を思いっきりスリッパでどつき倒した。 「いってぇっ!リナ、何するんだよ!」 「だまらっしゃい!あたし達が身構えてんのにぬぁぁに朗らかなあいさつ始めちゃってんのよ!あんた、こいつが誰だがわかって――ないでしょうねぇ……」 ガウリイの胸倉をわっしわっし揺すっていたあたしは、これもいつものことと思い直し深く長いため息をつく。 「なに、ちゃんと覚えてるぜ!あれだろ?剣術大会の決勝戦で戦ったねーちゃんだろ?」 「どんだけ前のことをいっとんじゃあんたはぁぁぁぁぁ!!」 「だああっよせっ!椅子の角で狙うなっ!」 「リナさん!夫婦漫才は二人っきりのときにやってください!」 「だぁれが夫婦漫才だっ!!」 「お前たち!いい加減にしろ!」 あたし達三人の掛け合いを制したのは、ゼルガディスの苛立った一声だった。 「……目立ち過ぎる。少し静かにしろ」 ゼルガディスはそう言うと、目深に被ったフードをさらに深く被り直した。 目の前の通りに目をやれば、あたし達の大声にちらほら野次馬が集まってきていた。 「本当に面白いわね、あなた達って。とりあえず、座った方がいいんじゃない?」 彼女はくすくすと笑い、空いた手であたし達に席を勧めた。 彼女からは殺気も瘴気の欠片も感じられなかったが、だから安心だという保証はどこにもない。 同じテーブルを囲むのは正直遠慮したかったが、通行人の奇異の目もあり、あたし達はやむなく元の席に腰をかけた。 「……何を、しにきたのかしら?」 あたしは警戒を緩めないまま彼女に問う。 彼女はこれまたいつの間に注文したのかフルーツパフェの果物を一口頬張り、 「お礼を言おうと思って」 にっこりと、彼女の正体を知らない男なら一発KO勝ちの笑顔で答えた。 「お礼されるようなこと、何もしてないわよ」 「そんなことないわ。数日だったけど、あなた達と旅ができて楽しかったから」 そんなに楽しい要素なんかあったかと、あたしはダグレスへの道中を思い出すが、そもそもそんなに彼女と絡んだ記憶はなかった。 せいぜい焚き火を囲んで女同士で話をしたぐらいだ。 「あなた達は意図せずとも、わたしからしてみたらそれはそれは楽しい数日を提供してくれた。だから、そのお礼に、今回のことでわからなくてモヤモヤしてるその気持ちを晴らしてあげようかなと思って」 ……楽しい数日、か……。 数日とはいえ、ともに旅をした人が、そして多くの『人間』だった人達がその一生に幕を閉じた。 そんなことは、彼女にとっては考えるにも値しない、取るに足らない出来事なのだろう。 分かってはいる、分かっているが―― あたしは、ずっと笑顔を絶やさない彼女を見、胸の奥から苦いものが湧き上がってくるのを堪えた。 「なぁ、あんた。ええっと、確か名前は……リ、リム……?」 重苦しい緊張感が張りつめる中、口火を切ったのはまたしてもガウリイ。 ……って、やっぱ名前覚えてないし。 「あぁ、まだちゃんと名乗ってなかったわね。わたしはゼラス。――ゼラス=メタリオム」 彼女が告げた真の名に、あたし、アメリア、ゼルガディスは思いっきり顔をしかめた。 あの時――ゼロスが彼女に跪いた時点で分かっていたこととはいえ、改めてその名を聞くと一瞬体が竦んでしまう。 「ゼラスかぁ……どっかで聞いた名前だなぁ。なあ、リナ?」 「……あとで教えてあげるわ……」 ガウリイには悪いが、前に散々説明したでしょっ!とツッコミを入れる気に今はなれなかった。 「わたしに何か?」 ゼラスは小首を傾げガウリイに問う。 「あぁ、ちょっと気になってたんだが……あんたと戦ったとき思ったんだけど、あんたの太刀筋、前にも戦ったことがあるような気がするなぁって」 どんだけ脳みそ筋肉剣術バカなのよ!と、思わず出そうになったツッコミをあたしはごくりと飲み込んだ。 ゼラスは切れ長の目を大きく見開き、 「あなた、本当にいい腕とカンしてるのね。――それは、わたしに剣術を教えたのが魔竜王ガーヴだからかしらね」 『ガッ!?』 久方ぶりに聞いたその名に、またもやガウリイを除くあたし達は絶句した。 「ガーヴが離反する前の話だけどね。退屈しのぎによくチャンバラしてたのよ。あいつも結構物好きなヤツだったから」 チャ、チャンバラって…… 高位魔族が剣術嗜んでどうするんだと言い返したい気もするが、とりあえず余波で国の一つや二つくらいぷっ潰してそうなじゃれあいはやめてもらいたい。 「リナ……ガーヴって」 「あぁもう!とにかくあんたは黙っときなさい!」 「わたしからも、いいですか?」 いつもなら『悪と話すことはありません!』とか言って英雄伝承歌≪ヒロイック・サーガ≫の口上を述べそうなアメリアが、右手を軽く上げ真っ直ぐゼラスを見、静かに話し掛ける。 「イルマーとディクスを、その、綺麗にしてくれたのは貴方ですよね?魔族であるあなたがなぜそこまでしてくれたのですか?」 「そうね……サービス、ってところかしら」 ゼラスは品のいい香りが漂う香茶を一口含み言葉を続けた。 「彼女に王宮で出会った時、人間の中に同類が丸まって隠れてるものだから、気になって声をかけたの。 ――彼女、相当驚いてたわ。そしてわたしに『手を貸して欲しい』って頼んできたの」 あたしは、ふと、最初イルマーに中庭で声をかけられた時のことを思い出した。 あの時彼女は、あたしにも助力を得ようとしていたのではないだろうか。 「彼女の望みは、自分の手で婚約者とともに重ねた罪を贖罪すること。そのために、内側にいる魔族をどうにかしてほしい、とね。 彼女のその純真な願い、意志の強さが気に入ったから手を貸してあげたの。……もちろん、対価も貰い受けたけどね」 そこまで話すと、ゼラスは自分の右手に視線を移した。 その白磁のような右手の中指に、小さな赤い宝石が台座にはめ込まれている指輪がきらりと光っていた。 「小さいけど、これ、魔血玉≪デモン・ブラッド≫よ」 「な、なんですって!!?」 あたしは思わずわしっとゼラスの手を取り、その指輪をマジマジと眺めた。 赤い宝石は深い深い赤い闇をその中に閉じ込めているような艶美な輝きを放っている。 「リナ!近づきすぎだ!」 危惧したゼルガディスがあたしをゼラスからべりっと引き剥がした。 いかんいかん、つい我を忘れてしまった……。 呪符≪タリスマン≫無き今、目の前のお宝は喉から手が出るほど欲しかった。 どこぞのお調子物のように気まぐれで売ってくれたりしないだろうか。 「悪いけど、わたしは売らないからね」 こちらの心を見透かすように、ニヤニヤしながらゼラスの先制パンチがとんできた。 「サルマードで代々受け継がれてきた指輪だって言ってたわ。小さくてもこんな珍しいものの対価が下級魔族を引っぺがすだけなんて割に合わないでしょ? だから、サービスしたのよ。人間の概念に合わせて、死出の花道は美しい姿で、せめて死後だけでも愛し合った二人で寄り添えるように、とね」 同情、憐れみ、惜別の念―― そんな感情を魔族が抱くはずもない。ゼラスが並べた言葉はそのままの意味だろう。 対価に見合う仕事をした、ただそれだけの話。 しかし、あの部下にしてこの上司あり、といったところか。 ゼロスも魔族の中ではかなり人間臭い行動をとったりするが、どうやら目の前の上司はさらにそれを輪にかけたようなタイプだ。 「俺からも、聞きたいことがある」 「どうぞ」 ゼラスは組んでいた足を組み換え、鬼気迫るようなゼルガディスの言葉の先を促した。 「ディクスの体を――もとの人間の姿に戻したのはあんたの力なのか?」 おそらくこの一週間、ずっと彼の中で渦巻いていたであろう疑問が、ようやくゼルガディスの口から吐き出された。 そう、郊外で二人の遺体を見つけた時、あたし達が驚いた理由はそれだったのだ。 ディクスの顔に、腕には、キメラ合成による黒い鱗がついているのをあたし達は確かに見た。 しかし、サルマードの郊外でみつけた彼には、黒い鱗は綺麗に消えており、黄褐色の綺麗な肌をしていたのだ。 まるで、ただ深い眠りについているだけのように。 その姿を見たとき、ゼルガディスだけではなく、あたし達も同じ疑問が頭に浮かんだのだが、誰もそのことを口に出せずにいたのだ。 期待、不安、焦燥……ゼルガディスの入り混じる感情を楽しむかのように、ゼラスはじっと、ゼルガディスを見つめた。 「戻した、というより覆い被せたと言った方が的確ね」 「どういう意味だ?」 ゼラスの答えに、眉根を寄せさらに詰め寄るゼルガディス。 「あなたもすでに知っている通り、媒体から一度混じってしまった不純物を取り除くことは難しい。 試してみてもよかったけど、一から研究する時間もなかったし、上手くいく可能性は極めて低い。だから、キメラの体の上に、もとの人間の姿を重ねたの。化粧をするようにね」 実はあたしは二人の体をサルマードに送り届けるとき、ディクスの体に少し触れてみた。そのときの感触は、普通に滑らかな肌を触るのとなんら違和感は感じられなかった。 人間からしてみれば信じ難いような芸当も、恐らく彼女にとっては何でもないことなのだろう。 一時の沈黙の後、ゼルガディスが口を開こうとした瞬間―― 「自分の姿を元に戻せるか、でしょ?」 自分の思考をあっさりと読み取られるも、ゼルガディスに憮然とするような心の余裕もなく、彼はただ首を小さく縦に降った。 「仮に、できる、と言ったら、あなたはその対価としてわたしに何を差し出すのかしら?」 「対価……だと?」 「当然でしょう?分不相応な力を求めるのにはそれなりの代償を支払わねばならない。これは変わることのない絶対的な世の理。 それに、わたしは慈善事業家じゃない。ならば、あなたはわたしを突き動かせるだけの対価を提示する必要がある。 ……それでも、あなたはこの質問の答えを求めるのかしら?」 ゼルガディスはじっとゼラスを見つめ、しばし沈黙の後、静かに再度席に座り顔を伏した。 目深に被ったフードに隠れて、彼がどんな表情をしているのかはわからなかったが、その後もゼルガディスが言葉を発することはなかった。 「他に質問は?」 そう言うと、ゼラスはちらりとあたしの方へと視線を移した。 「……結局、あの魔族達が言ってた『実験』って何だったの?それと、あなたとゼロスは何をしに来たの?」 あたしは静かに、彼女の答えを待った。 「……人間との共存、と言えばいいのかしら」 「――共存?」 「わたしの見た限りだと、人間の魂――精神世界≪アストラル≫に"殻"を作り、その中に潜り込むことによって及ぼす影響をみてたんだと思うわ。 ……でも殻の完成度は低く、結果として王女様は精神を少しと肉体を、王様は精神のほとんどを魔に侵食された。 この実験を行う絶対条件は、人間が自らの意志で魔族を受け入れること。 拒絶された空間で無理矢理殻を作ったら、それだけで被験体の精神世界≪アストラル≫を捻じ曲げてしまう要因になり得る……といったところかしらね」 「それは……人魔とは何が違うんですか?」 アメリアが小首を傾げ質問する。 「人魔は、人間の精神世界≪アストラル≫と、精神生命体である魔族が融合した存在≪もの≫。だからその肉体は異形の姿になったり、思考の変化もみられる。 今回の場合は融合ではなく、いかに人間の精神世界≪アストラル≫を傷つけないかが焦点だったと思うわ。そういう意味で、共存と言ったの」 「わからないわね、そんなことをして、魔族には何の得があるっていうの?」 人間を傀儡にするだけならそんな面倒なことをしなくても、きっと魔族には容易いことだろうに。 「さぁ……下の子の考えることなんてわからないわ。少なくとも、中級以上の魔族には関係のない実験よね」 素っ気なく答えたゼラスの言葉にあたしは引っ掛かりを感じたが、これ以上追求しても、この問いに対する興味が感じられない彼女から有益な情報を聞き出せるとは思わなかった。 「……つまり、イルマーは、最後の最後で、内にいる魔族に抗った、ということですよね。自分の選んだ道を正すため、魔族に心を蝕まれる前の、純粋な自分達に戻るために……」 今となっては確かめる術もないが、恐らくはそういうことなのだろう。 イルマーは精神を少しずつ蝕まれながらも思い出したのだ。 幼い頃に誓い合った約束は、多大な犠牲の上では果たされないことを。 つまり、今回の事件は一つの悲運から始まったのだ。 盗賊に襲われた時、魔族の手を取らなければ、今回の多くの犠牲者は出なかったかもしれない。だが、手を取らなければ二人の命は間違いなく三年前に潰えていた。 イルマーが下した選択を、誰が間違いだったと罵れるだろうか。 「あたしは――彼女が魔族と契約したのは、別に過ちだったとは思わないわ」 あたしは独り言のように、ぼそりと呟いた。その後に続きゼラスが口を開く。 「そうね。第三者からみたらそれが例え世の理に反していようとも、渇望の果てに垂らされた一本の糸があれば、誰だってそれを掴まずにはいられない。 例えその代償が自分の身の丈に過ぎたものでも。 ……あなたなら理解できるんじゃない?大切な者と、世界の存亡を天秤にかけたあなたなら――」 ゼラスの好奇の目があたしに向けられた。 その言葉に、あたしはぎゅっと胸が締め付けられた。 あの時のあたしの選択だって、もしかしたら他人からすれば間違いだったのかもしれない。 でもあの時の気持ちは……覚悟は、決して忘れてはいけない、失くしてはならないものだと思っている。 「誰にだって選択を差し迫られるときはある。人間であれ魔族であれ神族であれ。時にはその選択が間違いだと思うこともある。でも、正解、不正解を決めるのは他者ではなくそれまで歩んできた自分の道程。 そこで絶望して全てを終わりにするのか、不正解を正解にする為に前へ歩み出すのか。 だから、人間は生きることを諦めないんでしょうね。だからこそ――人間は面白い」 ゼラスはすぅっと目を細め、満足そうに口の端を吊り上げた。 「リナさん、本当にこの人、魔族なんですか?」 アメリアは自分の椅子をカタカタとあたしの隣に寄せコソコソ耳打ちをする。 「なんでよ」 「だって!今、言い換えれば、『人生って素晴らしい!』って言ったも同然ですよ!?ゼロスさんだったら頭抱えて悶絶してますよ!?」 「ンなことあたしに言われても……」 雄弁に語る彼女をみていると、本当に魔族、それも魔王の五人の腹心の一人なのかという疑問が浮かんでくるぐらい、彼女は今まで会ってきた魔族とは何かが異なっていた。 人間よりも人間の感情を、人間の本質を理解している、不可思議で異質な存在――。 「と、とにかく……んで、結局、あんた達は何をしに来たの?」 「……暇つぶしとそのついでってところよ」 ゼラスは黙々と目の前のパフェを口に運び、素っ気なく答えた。 「退屈凌ぎにサルマードの剣術大会に参加したらあなた達に出会い、王様に声を掛けられ、魔族つきの王女に助けを求められた。 念のためゼロスにダグレスを調べさせたら『写本』もどきを使ってキメラ造りをしている人間がいた。放っておいても良かったんだけど……念の為綺麗に掃除をさせた。 それだけよ」 退屈凌ぎに人間の戯れに参加するって……魔族ってそんなに暇なのか? 彼女がそれだけというなら、それ以下もそれ以上もないのだろう。 最後の一口を食べ終わると、彼女は満足そうにナプキンで口元を拭った。 「なら、もうここには用はないわよね?」 「えぇ、これでわたしもスッキリしたし、もう失礼するわ」 ゼラスは懐から取り出した金貨を一枚、空になったカップの側に置き椅子から立ち上がった。 「では……ガウリイさん、またいつかお手合わせしましょうね」 「んー、まあ、なるべく遠慮したいけどなー」 「ゼルガディスさん、さっきの答えが出るのを楽しみにしてるわ」 「……」 「アメリアさん、……ぶっきら棒で照れ屋な彼によろしく」 「わわわわわっ!や、やめてください!」 「リナ――また会った時はよろしくね」 そう言うと、彼女は踵を返し、大通りの雑踏へと消えていった。 「……随分とお喋りな魔族様だったな」 たっぷりの皮肉を込めたゼルガディスの言葉は、彼女に届くことなく夕暮れに賑わう雑踏の中に埋もれていった。 翌日、あたし達は荷物をまとめ、朝食を済ませた後、宿屋の前でこれからのことを話し合った。 「あんた達はこれからどーすんの?」 「わたしはセイルーンに戻ります。もちろん、ゼルガディスさんと一緒に!」 「ひゅーひゅー!よっ、ご両人!仲いいわねー」 「か、勘違いするなッ!まだ護衛の仕事が残ってるだけだ!」 ゼルガディスはやや頬を赤らめ全力で抗議してきた。相変わらずおちょくると面白いヤツ。 「リナ、オレたちはどこに行くんだ?」 「そうねぇ〜」 なんだかんだで新鮮な海の幸も堪能出来てないし、もうしばらく沿岸諸国を旅するのもいいかもしれない。 「よかったら、リナさんたちも久しぶりにセイルーンに行きませんか?きっと父さんも会いたいと思ってますよ」 あたしが迷っていると、それなら、とアメリアが提案した。 うーむ、フィルさんかぁ。 しばらく会ってないし顔を見せるのもいいかもしれないが、あのドワーフ顏を思い出すとちょっと躊躇われる。 「そうそう、それにセイルーンで人気のアイスクリームショップ、新商品が出たんですよ」 「なぁんですって!それを最初に言いなさいって!よし、そうと決まればさっそく出発よ!あ、もちろん、アメリアの奢りよねぇ」 「誰も奢るなんていってませーん!」 すでに走り出したあたしの後をアメリアがぷりぷりしながら追いかけてきた。 「やれやれ、また珍道中が始まるのか」 「でも、たまには賑やかな旅もいいもんだろ?」 後ろから男達のそんなやりとりが聞こえたような気がしたが、追いつかれ側でわきゃわきゃ喚くアメリアの声にかき消されてしまった。 「ほら、ガウリイ!ゼル!さっさと来なさーい!」 「あ、待ってください!リナさーん」 あたしは再び前を向き走り出した。 今日も何かを選び、その先に待ち受ける運命を辿っていく。 その先が、例え目を逸らしたいほどの現実であっても、それでも後ろを振り返ることなく、ただただ、自分の未来を勝ち取るために足掻いてみせる。 果てなく広がる蒼穹の下、少しだけひんやりとした一陣の風が、走り出したあたし達の背中をそっと押した気がした。 〜渇望する者たち・完〜 |
渇望するものたち-番外編- |
番外編〜魔族の事情〜 「退屈よねぇ」 ぴぴくぅっ 妖艶な声で呟かれた言葉が、たまりにたまった書類をせっせと片付けている黒い神官服の男に突き刺さった。 男はいつも絶やさぬ笑顔をぴくぴく引きつらせながら、声の主へと顔を向けた。 その先には、頬杖をつき、気怠げな表情で仕事机に広げた雑誌をぺらぺらめくる女性の姿。 腰まで伸びる緩くウェーブのかかった見事な金髪、長い睫毛に隠れた紫水晶≪アメジスト≫の瞳、艶やかな唇から漏れるのは物憂げな溜息。 その絶世の美女は幾度目かわからないほど呟いたその言葉を、忙しそうに働く男に聴こえるよう呟いた。 (これはかなりキテますね……) 溜まったフラストレーションが今にも爆発しそうな彼女をどう宥めようか、男は仕事の手を休めぬまま考えていた。 「ねぇ、ゼロス。これなんてどうかしら」 名前を呼ばれた男――ゼロスは、やれやれと立ち上がり、上司の机と歩み寄る。 「どうされました?獣王様」 獣王――この世界の魔王、赤眼の魔王≪ルビーアイ≫シャブラニグドゥが生み出せし五人の腹心の一人、獣王≪グレーター・ビースト≫ゼラス=メタリオム。 魔族の中でもかなり高位に属する彼女は、ゼロスの創造主であり絶対的服従を捧げる存在。 そんな主に呼びかけられたら、たとえ終わらぬ仕事の合間でも手を休め話を聞かねばならない。 ゼロスは、ゼラスがしげしげと眺めるその雑誌を主の横から覗き込んだ。 「……剣術大会、ですか?」 その雑誌は人間が世界中の旬な情報、話題のスイーツからどこぞの国の王女が悪党征伐に向う武勇伝まで、幅広いジャンルをまとめたもので、獣王はよく暇潰しの種を探すのに愛読しているのだ。 「そう。ちょっと面白そうじゃない?」 細く長い指が、吊り上がった艶やかな唇をつぅっと撫でる。 ゼロスはさらに雑誌の内容に目を通した。 (優勝賞金金貨五百枚、名門騎士団への入隊……) しかし、ゼラスが興味を持ったのはそんなことではない。 退屈で仕方がない自分の憂いを少しでも晴らしてくれる相手との邂逅―― 戦闘において絶大な力を持つ彼女を満足させられる相手など、世界広しとはいえ数えられるほどしかいない。 ましてやそれを自分達よりも遥かに脆弱な人間に求めるのはナンセンスだが、人間とはいえ例外はつきもの。 ゼラスもゼロスも、そのことはよく理解している。 「お言葉ですが獣王様。まだまだ終わらせなければならない仕事がこんなに山積みなんですよ?」 ゼロスは書類の一部を手に取り、ぱさぱさと宙を扇ぐ。 魔族は精神生命体。 己の力のみでその存在を確立している彼等にとって、人間とは違い意図的に忘却しなければ、長い時を重ねて得た記憶も忘れることなくとどめておくことができる。 よって、人間のように紙などの媒体に情報を写す必要はない。 だが、人間の生態に興味がある主の意向で、ゼロスは仕事の結果報告などわざわざ文字に起こし記録する手間を強いられていた。 初めは渋々やっていたことでも、月日を重ねれば徐々に違和感はなくなっていく。 よく自分は人間臭いと言われることが多々あるが、紛れもなくその原因は主のせいだとゼロスは確信している。 二人のいるこの建物もそうだ。 ここは獣王が治める群狼の島にある獣王宮。 精神世界面≪アストラル・サイド≫に身を置く彼等には、豪華絢爛な居城も華やかな庭園も必要ない。 全ては獣王の趣向ゆえ。 それでもゼラスは退屈で仕方がなかった。 永遠ともいえる長い時を生きる存在。 滅びを求めるその過程において、ただ漫然とした時を過ごすのは彼女にとっては苦痛だった。 その退屈を少しでも紛れさせるものがあるならばーー飢えにも似た飽くなき探究心がある限り、彼女の暇潰し探しは続くのだ。 ゼロスは、自分の抗議をまったく耳にも貸さず出掛ける支度を始めている上司を見、こっそりため息をついた。 「……お早いお戻りを」 「分かってるじゃない。留守は任せたわよ」 機嫌良くそう言うと、ゼラスは虚空の彼方へと姿を消したのだった。 うおおおおおおお! 二つの闘技場を使用しての剣術大会準決勝。 一際大きい歓声が隣の闘技場から聞こえ、次の相手は自分を楽しませてくれるだろうかと思いを馳せながら、ゼラスはもう一つの闘技場にて一人の剣士とリング上で交戦していた。 「くっそぉ、ちょこまかと逃げやがって!」 男は肩でぜぇぜぇ息を切らしながら、隙だらけの剣を構え、幾度目になる斬撃をゼラスに打ち下ろした。 しかし、ゼラスにとって刃を受け止める必要もないぐらい、その剣速はあまりにも遅く、ゼラスはすべて体術のみで相手の剣を捌いていた。 ゼラスの白いマントが、さながら闘牛士のように男の追撃を躱しはためく。 完全に遊ばれていると、男は屈辱に満ちた顔でゼラスを睨みつけた。 目の前の人間から発せられる負の感情――しかし、ゼラスの渇欲はそんなものでは満たされなかった。 (この人間から得られるものなどこの程度……) ゼラスは表情ひとつ変えず、初めて鞘から剣を抜き、ヤケクソに剣を振りかざしてきた男の剣を受け止め――そのまま弾き返し相手の体ごとリングの場外へ吹っ飛ばした。 ずどぉぉん 観客席の壁に激突した男は白目を剥き泡を吹いていた。 おおおおおおおおおおっ! 一際大きい歓声が、闘技場内を包み、ゼラスは当然の如く決勝戦へと駒を進めた。 「意外性ナンバーワン!リオム選手!」 おおおおおおお! 闘技場に響き渡る歓声の中、審判に登録した名を呼ばれ、ゼラスは決勝の舞台へと歩みを進めた。 『リオム』――そのままゼラスと登録しても良かったのだが、万一にも自分の名を知る者がいた場合、余計な猜疑心から興が邪魔されぬようにとゼラスはその名で受付していた。 ゼラスは軽やかにリング上へあがり、対戦相手に目を向ける。 その目の前には、長身に長い金髪が揺れる、端正な顔をした傭兵姿の男。 (この男――見覚えがある) ゼラスは数多ある記憶の中から目の前の人間の記憶を呼び起こす。 「ガウリイ!油断するんじゃないわよ!」 声援が発せられた方に視線を向け、ゼラスは呼び起こした記憶の断片に確信を持つ。 声援を送っていたのは、栗色の髪を揺らし、意思の強い朱色の瞳を輝かせた一人の少女。 (――リナ=インバース……!) 人の身でありながら、同胞≪フィブリゾ≫や我らが魔王の一欠片を二度も打ち滅ぼした人間。 魔族殺し≪デモン・スレイヤー≫の異名まで冠した彼女は、魔族の間でも有名な人間だ。 そして目の前の男は、リナ=インバースとともに死戦をくぐり抜けた剣士、ガウリイ=ガブリエフ。 ゼラスはガウリイの戦いぶりを直接見たことはなかった。 だが、以前相見えたことのある同胞――覇王≪ダイナスト≫がその腕を賞賛していたのは知っていた。 (まさか、こんなところで会えるとは――!) 期待以上の邂逅に、ゼラスは表情を変えないまま胸の高鳴りを感じていた。 ゴオオオオオン 戦いの始まりを告げる鐘が闘技場に鳴り響いた。 ガウリイは鞘から剣を抜き体の前に構えた。 その立ち姿には一分の隙もない。 応じるように、ゼラスは静かに腰に下げた長剣を鞘から抜き真横に構えた。 柄の部分には見事な金の装飾、二対の赤い宝石が支える刀身はバスターソード並みに長く細い。 昔、退屈凌ぎにゼラス自身が造り上げた一振りである。白銀の刃がぬらりと青白い光を放つ。 両者はしばらくの間、動くことなくお互いの闘気のみを膨らませていた。 隙のない相手にどう仕掛けるか、放たれる斬撃は受けるのか躱すのか、その次の一手はどう動くか――。 一瞬の隙、油断が命取り。 この張り詰めた緊張感に、ゼラスはたまらなく恍惚になる。 普段は静謐なタイプだが、こと戦闘に関しては今は亡き魔竜王ガーヴにも引けを取らないほど好戦的な一面もある。 「はあっ!」 気合い一閃、最初に動きを見せたのはガウリイだった。 ゼラスへ一気に間合いを詰め勢いよく剣を打ちおろす! ガキィィィィン それに対し、ゼラスは一歩前へ踏み出しすくい上げるような一撃で相手の刃を受け止めた。 両者の白銀がギチギチと火花を散らす。 じりじりと後退を余儀なくされたゼラスは後方へと一旦退くが、すぐさまガウリイ目掛けて間合いを詰め剣を振るう。 紙一重で相手の剣先をすり抜け、幾度となく重なる斬撃の応酬――。 常人には目にも留まらぬ速さの剣戟を捌きながら、ゼラスは心の内で驚嘆した。 もともとの天賦の才もあるのだろうが、リナ=インバースとともに死線をくぐり抜け、あらゆる強敵と相見え研磨された力と技の結晶。 それはどんな宝石よりも眩く輝き、ゼラスを昂揚させる。 ギィィィィン ひときわ重い斬撃音が響き、ゼラスは一旦後ろへ跳び退いた。 「なかなかやるなぁ、おまえさん」 「――あなたもね」 互いに感嘆の意を述べ、二人は再び剣を構える。 ずっとこのまま、剣戟に身を興じていたいとゼラスは思った。目の前の剣士がいずれ体力尽きて動かなくなるその時まで。 「ガウリイ、負けたら承知しないわよ!」 「おうっ!」 沈黙を切り裂き飛んできた少女の声援に、ガウリイは呼吸を正し、先程よりも強い闘気を膨らませた。 (人間とは不思議なものだ。自分以外の存在を想うことで己の力の限界を超えてみせるのだから……) もともと完全な力を与えられた魔族には成し得ないことだと、ゼラスは少女と剣士のやり取りを見、胸中で呟いた。 (もっと楽しんでいたいけど、そうもさせてくれないみたいね) ゼラスはガウリイが動くより先に相手に向かって地を蹴り上げた。 彼に切っ先が届くあと一歩のところで、ゼラスは瞬時に身を沈め相手の斜め後ろへと滑り込む。 死角から放った一撃は相手の体を完全に捉えた――かと思いきや、ガウリイは咄嗟に体を捻り、ゼラスの一撃を躱し剣を翻し受け止めた。 野性のカンと超人的な体術に、ゼラスはまたも驚嘆した。 すぐさま疾風の如き剣速でガウリイに襲いかかるも、その一撃もすんでのところで躱され、彼が撃ち下ろす刃を受け入れるべく剣を構え直した瞬間――ゼラスは目標を見失った。 (下かっ――!) ギィィィィィィン 対象を捉えた時にはすでに遅く、ガウリイの下からすくい上げた一閃が、ゼラスの剣を宙へと踊らせていた。 ざんっっっ 宙で弧を描きながら落下し、ゼラスの剣は石畳に深々と突き刺さった。 うおおおおおおおおおおっ!! 闘技場内に沸き起こる大歓声に紛れるように、ゼラスは小さくため息をついた。 勝負に負けた悔しさからではない。 やっと巡り会えた心潤う戯れが終わってしまったからだ。 二人は互いに剣を収め、握手を交わす。 「いや〜危なかったなぁ。お疲れさん」 「――すごい腕ね」 「いやぁ、あ、そうだ。おまえさん、剣を構え直す時に時々手首を変な風に捻る癖があるだろ?その瞬間力が抜けちまうから、その癖直した方がいいぜ」 そう言われ、ゼラスは大きく目を見開いた。 そんな癖があることなど、当の本人もまったく気づいていなかったからだ。 自分の癖、欠点を相手に指摘されることなど魔族にとっては痛手なのかもしれない。 しかし、そんな痛みを感じる暇もないぐらい、ゼラスの感情は高ぶっていたのだ。 「見抜かれても、その瞬間を狙えるやつなんてそうはいないわ」 くつくつとゼラスは笑った。 目の前の男はどこまで自分を楽しませてくれるのか、と。 「またいつか、わたしと戦ってくれる?」 「あぁ、いいぜ。手合わせならな」 戦いではなく、手合わせときっちり直してきたところが、何も考えていなさそうな顔して、本能では何かを感じ取っているのだと、ゼラスはガウリイを分析した。 そしてゼラスは踵を返し、闘技場を後にした。 楽しい一時に満足し、ゼラスはそのまま本拠地へ帰ろうと思ったが、闘技場を出たところで、この国の騎士団の一人と名乗る人間に声を掛けられた。 仕事を依頼したいと言われたが、ゼラスには関心の糸口もなく、そのまま立ち去ろうとした。 だが、ふと思いとどまった。 自分に声が掛かったということは、優勝したあの剣士にも声が掛かるのでは。 そして、当然ながらその話に行動を共にしているリナ=インバースも付いてくる。 ゼラスはこれまでゼロスから散々リナ=インバースに関する報告を受けてきた。 自分の部下が珍しく興味を抱いている人間に、ゼラスもまた関心があった。 (まだ、面白い経験が出来るかもしれないわね) ゼラスは声を掛けてきた男の引率の元、サルマードの王城へと足を運んだ。 城についた後は、しばらくの間控えの間で待つよう言われ、程なく謁見の間へと通された。 部屋の中には数人の衛兵と、壇上にはこの国の王が玉座に座り、先程の剣術大会の感想をつらつらと喋っていた。 (……ハズレだったかしら) そろそろ姿を消そうかと考えた時、知っている気配が二つ部屋の外から感じられた。 (アタリみたいね) 謁見の間の重い扉が開き、姿を現したのは、騎士の格好をした人間と、リナ=インバース、ガウリイ=ガブリエフだった。 「あれ――リオム、さん?」 リナは部屋の先客に声を掛け、目をぱちくりさせた。 思わず笑みを漏らすゼラス。 「なんだ、あんたも声掛けられたのか」 「――えぇ」 期待通りの成り行きに、これ以上顔が緩んでしまわないよう、ゼラスは二人から視線を外した。 「双方、よく来てくれた」 サルマード王が口を開き、今回の依頼内容について語り出した。 その内容にゼラスは惹かれるものはなかった。 だが、リナはキメラやレッサーデーモンの話が出ると多少食いつきをみせていた。 騎士団の指南役の分も上乗せされ、依頼料もふんだんに出るとわかると、彼女は殊更その大きな目を輝かせた。 「リオム殿はいかがでしょうか?」 部屋にいる全員の視線がゼラスに集まる。 「わたしは指南には向かない。護衛の件は……考えておくわ」 だが、ゼラスの心の内ではもう決まっていた。 リナ=インバースたちが受けるならば、この戯れに身を投じることを。 ゼラスは踵を返しその部屋を後にした。 無意識のうちに、口の端を吊り上げながら。 謁見の間を後にしたゼラスは、なんとなく城内を歩いていた。 渡り廊下を歩き、開け放たれた窓からは、騎士団の稽古の掛け声や鳥のさえずりが聞こえ、風に吹かれざわめく木々の揺らぎが見て取れる。 ふと、ゼラスは異質な気配を感じた。 微弱ではあるが、間違いなく負の感情で織り編まれた気配――瘴気だ。 ゼラスはその気配を辿り歩みを進めた。 渡り廊下を抜け、左の通路へ折れると、ひとつの扉の前に出た。 部屋の中には誰かいるのだろう、彼女だからこそ気付けるぐらいの弱い瘴気の他に、人間の気配もある。 ゼラスはゆっくりとその扉を開いた。 古い木戸が軋む音を立て部屋の中に入ると、そこは小さな礼拝堂だった。 簡素な木の長椅子が数列並んだ先に、ステンドグラスがはめ込まれた天窓と、十字架と天秤を持った女神像が祀られ、その下の祭壇の前に一人の少女が膝を折り祈りを捧げていた。 少女は何かをぶつぶつと呟きながら、しばらく祈りを捧げた後立ち上がり、くるりと後ろを振り向き――そこで初めて、誰もいなかったはずの空間に静かに佇んでいるゼラスに気づき、びくんと体を震わせ一瞬息を詰まらせた。 綺麗な赤毛で編まれたゆったりとした三つ編みが揺れ、薄茜色の瞳が大きく見開かれた。 「あ、あなたは……?」 少女はようやく絞り出した弱々しい声でゼラスに声を掛けた。 ゼラスはその声に応えることはせず、じっとその少女を観察した。 先程から感じている弱々しい瘴気は、間違いなく目の前の人間から漂っている。 人間の目からみたらわからないだろうが、精神世界面≪アストラル・サイド≫からみれば一目瞭然。 少女の中に、『殻』に閉じこもった同類≪なかま≫が隠れているのだ。 その滑稽な姿に、ゼラスは少しだけ興味を唆られた。 「そんなものを抱え込んでいると命を削られるわよ?」 ゼラスの放った一言に、青白い肌をした少女の顔はいっそう青みを帯び、より大きく目を見開いた。 魔族を内包している割には人間の精神にそれほど悪影響を及ぼしていない。 恐らく、『殻』が漏れ出る瘴気をなんとか押し返しているようだが、わずかな歪みから漏れ出るそれは、確実に少女の命を蝕んでいる。 ゼラスからすれば、少女の中にいる魔族は下級魔族といったところだが、ゼラスの真相を見抜いた発言にもそれは反応しなかった。 無視を決め込んでいるのか、それとも精神世界≪アストラル≫のほとんどを切り離しているゼラスの存在に気付いていないのか。 どちらにせよ、ゼラスにとってはさしたる問題ではない。 「あの……わたくしは、サルマード第二王女イルマーと申します。あなたに……あなたにお願いしたいことがあります」 藁にもすがる様な悲痛な眼差しがまっすぐゼラスを捉えていた。 イルマーもまた先程の発言で悟ったのだ。 目の前に佇む見目麗しい女性が、人外の存在であることを。 「話してごらんなさい」 暇つぶしぐらいの気持ちで、ゼラスは少女の言葉の先を促した。 彼女はほっと胸をなでおろし、おそらく誰にも言えなかったのであろう胸の内をゼラスに打ち明けた。 ゼラスはじっとイルマーの言葉に耳を傾けた。 三年前、婚約者のいる隣国ダグレスで盗賊に襲われ、命の危険に瀕した際、生き長らえる代わりに魔族と取り引きをし、自分と婚約者――ディクスの魂の中に魔族を迎えたこと。 しかし、優しかった婚約者は豹変し、自分の無力さに絶望し、巨大な力を手に入れるかわりに大勢の人間を犠牲にしていること。 その彼を止めたい、また、それを良しとし看過してきた自分の罪を自分の手で償いたい、といった内容だった。 「魔族を受け入れてから、少しずつ体に異変が起きています。……おそらくわたしはもう長くはない。だからせめて、最期は自分の意思で、罪滅ぼしがしたいのです」 「……具体的にはどうしたいの?」 「これ以上彼に罪を重ねて欲しくない。ですが、わたしがディクスを止めようとすれば、恐らくわたしの中の魔族が黙っていないでしょう。 ……ですから、できるならばわたしの中にいる魔族を追い出して欲しいのです」 「……止める、とは、婚約者と一緒に死ぬってこと?」 「……はい」 「彼もそれを望んでいるの?」 「……わかりません」 「わからないのに、一緒に死ぬの?それではただの独りよがりな殺人と同じね」 ゼラスの真をついた言葉に、イルマーはぐっと押し黙った。 「……わたし達は、あの時死ぬべきだったんです。あの時魔族の手を取るべきではなかった。そうすれば、こんなに多くの犠牲者を出すことは無かった ……ディクスも人の道を踏み外すことは無かった……」 ゼラスにはイルマーの言っていることがまったく理解出来なかった。 愛する者の生を望んだのに今はそれに終止符を打とうとしている矛盾。 それに、その先どうなろうと、目の前に現状を打開する手立てがあればそれを利用するのは生きとし生けるものにとっては至極当然の行為であること。 ゼラスはその考えをあえて彼女に伝えることはしなかった。 自分のエゴだろうと愛する婚約者とともに滅びたいと願うならば、それを邪魔する理由はどこにもないのだから。 「――お願いします!わたしには、もうこうする他ないのです!」 目尻に涙を浮かべながらも凛とした強い光がイルマーの瞳に輝いた。 偽ることなき純真な想い――。 己の全てを賭ける強い意思を持つ人間は、ゼラスにとっては興味の対象だった。 「――いいでしょう。ただし、わたしの手を借りたいなら、それ相応の対価を払ってもらうわ」 「対価、ですか?わたしに差し上げられるものなど……」 イルマーは左手を顎に添え考え込んだ。 その手の中指には、紅い宝石のついた指輪がゆらりと光っている。 ゼラスはその指輪から魔力の呼応を感じた。 (この波長は……まさか、魔血玉≪デモン・ブラッド≫?) 以前ゼロスが身につけていたそれとは比べようもなく小さいものだが、感じられる波長は紛れもなく同じものだ。 (過去の遺物がこんなところで見つかるとは……) 「――その指輪」 「これですか?代々サルマードに伝わるものです。姉が首飾りを、わたしがこの指輪を受け継ぎました」 「それを対価として差し出すなら、手を貸してあげるわ」 もちろん、魔族であるゼラスが魔血玉≪デモン・ブラッド≫を使っても己の力が増幅されるわけではない。 単に珍しいものをそばに置いておきたいという欲求の一つに過ぎなかった。 「――わかりました。よろしくお願いします」 イルマーは、自分の指から指輪をするりと抜きとり、そのままゼラスに手渡した。 宝石は、ゼラスの手の上でその赤い闇を一層濃く輝かせた。 もしかしたら、彼女の姉が受け継いだ首飾りとやらも魔血玉≪デモン・ブラッド≫が使われているのかもしれない。 ゼラスは念のため記憶の隅にそのことをとどめておく。 「取り引き成立ね」 ゼラスは指輪を握りしめたまま、白いマントを翻し踵を返した。 「では、願いを成就させるその時まで……お体を大事にね、王女様」 またひとつ退屈凌ぎが増えた、と上々の収穫に、ゼラスは満足気に虚空へと姿を消した。 「おや?獣王様、お早いお帰りですね」 ゼラスは獣王宮、執務室へと戻ってきた。 ひたすら机の書類とにらめっこしていたゼロスが早すぎる主の帰宅に怪訝な顔をした。 「剣術大会はいかがでした?」 「リナ=インバースに会ったわ」 ぴたっ まさか主の口からその人間の名前が出るとは想像もしていなかったのか、ゼロスはペンを淀みなく走らせていた手をとめた。 ゼラスは視線を合わせることなく、羽織っていたマントを脱ぎながらゼロスの気配を感じていた。 少なからずとも興味を示している人間が、よりによって自分の知らないところで主と出くわしていたのだ。 なかなか感情を露わにしない部下がどんな反応をするのか、ゼラスは少し楽しみではあった。 「そうですか。――いかがでしたか?」 「お前が興味を持つのもわかる気がするわ」 「それはそれは……獣王様に興味を持たれては、リナさんも大変ですねぇ」 端から見ればいつもとかわらない食えない笑顔ではあるが、ゼラスからみればその顔はいつもよりもにやにやしているのがわかった。 「一週間後にもう一度出掛けるわ。ゼロス、その仕事が終わったら、ダグレスっていう国を調べてきなさい」 うげっ! 思わず漏れ出たその言葉を飲み込もうとするも、時すでに遅し。 ジト目で睨むゼラスの視線に観念し、ゼロスは光の速さでペンを走らせたのだった。 ****** 一週間後、騎士団や雇われの護衛を従え、サルマードから花嫁行列が出発した。 王女の嫁入りに本来ならば華々しい門出や宴が開かれそうなものだが、物々しい一行はひっそりと逃げるようにその国を後にした。 旅は何事も起きることなく二日が過ぎた。 レッサーデーモンの襲来を覚悟していた一行は、それどころか盗賊の類も出ず、安心を通り越して退屈の色が濃くなっていた。 現に、幾度目かわからない大あくびをするリナとガウリイを、リナよりも小さな少女が不謹慎だと窘めていた。 だが、その少女もこっそりあくびを噛み締めているのを隣を歩く男に指摘されていたりする。 ただ、ゼラスの心の内は違った。 雇われた護衛の中には、予想通りリナ=インバースとガウリイ=ガブリエフの姿があった。 それとは別に、白い旅装をした黒髪の少女と、白いフードとマント、口元をマスクで覆った男もいた。 目深に被ったフードの下にのぞく青い岩肌と白銀の硬質な髪――キメラの姿を元に戻すため、ゼロスと写本をめぐって対立していたゼルガディス=グレイワーズと、セイルーンの王女であり巫女でもあるアメリア=ウィル=テスラ=セイルーン。 リナ=インバースの旅の仲間であり、その素性はゼロスから聞いていた。 暇潰しのタネが増えるのは願ってもいないことだと、ゼラスはたわいもないやり取りを続ける四人を眺めていた。 夕刻には、ダグレスへの街道沿いにあるひとつ目の村、サハランに到着した。 しかし、その村は生あるものの気配が全くなく、大地はひび割れ吹き荒ぶ風が枯れた草木を揺らしていた。 一同が念のため村を探索するも、この村で何が起きたのか理解できたものはいなかった。 結局、危険はないと判断しその日はそのままサハランの村で野営を張ることになった。 ゼラスはイルマーのテントの外に座っていた。テントの中からは時々イルマーの咳き込む声が聞こえてくる。 死期はそう遠くない。 むしろ、もうすぐ側まで来ている。 彼女の体力が尽きるが先か、念願が成就するのが先か――。 そんなことを考えていたゼラスの方へてくてくと歩み寄る少女の姿があった。 「お疲れ様です、リオムさん。イルマーにお話いいですか?」 アメリアは人懐っこい笑顔をゼラスに向け、テントの中の王女に話しかけた。 「イルマー?入ってもいいかしら」 「……アメリア?」 テントの幕が少し開き、滑り込むようにアメリアはテントの中へ入った。 王女同士、昔交流があったようでテントの中からは楽しそうな話し声が聞こえてくる。 しばらくの後、テントの中からアメリアとイルマーが出てきた。 「リオムさんも付き合ってくれます?」 アメリアに半ば強引に連れられ、三人は焚き火の前で何かを話してるリナとゼルガディスのもとへ来た。 「イルマーが女の子みんなで話がしたいんですって」 アメリアがリナに話しかけるその後ろで、ゼラスはイルマーに目をやった。 一週間前にみたときより、頬はやや痩せこけている。 青白い肌は夜の闇では一層その色を際立たせ、咳き込む頻度も増えている。 「あ、ゼルガディスさんも一緒にお喋りします?」 「……するわけがなかろう」 アメリアの冗談交じりの一言に、ゼルガディスはその場を立ち去った。 焚き火を囲み、三人の少女とゼラスが腰を降ろした。 山間部の冷たい風に焚き火の炎は弄ばれるよううねり、同時に少女たちは身震いをし、マントや衣服をきつく体に巻きつける。 ゼラスは当然、夜風の冷たさも炎のぬくもりも感じることはない。 だが、一人平気な顔をしているのも違和感を与えるのかもしれないと、意味もなく両手を焚き火にかざしてみる。 「わがまま言って申し訳ありません。 ……少し気を紛らわせたくて……。それに、ダグレスに着いたらもうこんな風にお喋りできることもないですし」 イルマーのその言葉を、リナとアメリアは、王妃という身分ある立場になることで自由を制限される、という意味で受け取ったのかもしれない。 ゼラスだけが、その言葉の真実を知っていた。 「んで、何をお喋りするのよ」 「何を言ってるんですかリナさん!女の子が輪になってする話といえば恋話に決まってます!」 「こ、こいばなぁぁぁ!?」 (……こいばな?) リナは心底嫌そうな声をあげ、ゼラスははてなと首を傾げた。 ゼラスはそんな話はしたことも聞いたこともない。 当然である。泥沼のような修羅場なら魔族の糧となりそうなものだが、うら若い女の子たちが心をときめかせながら愛を語るのを聞くなど、はっきり言って罰ゲーム以外のなにものでもない。 現に、目の前でアメリアに促されイルマーが自分の婚約者との思い出話や惚気話をつらつらと語っているのを否応なしに聞かされ、ゼラスは明後日のほうを向き、体をわなわな震わせた。 (こんなところでまさかこんな精神攻撃を受けるなんてね……) 救いだったのは、イルマーの話の裏には常に自分の過ちを責める罪悪感が伴っていることだった。 ゼラスはちらりとリナ=インバースのほうへ目線をやると、彼女もこの手の話は苦手なのか背中をがしがし掻きむしっている。 甘い話題に耐え切れずなんとか方向修正しようとリナがディクス王のことや昔盗賊に襲われたことなどを聞き、ようやく夜風の冷たさをありありと感じる現実に引き戻された。 イルマーの憂う表情にリナはバツの悪そうな顔をしているが、ゼラスは心の中で「よくやった」と賞賛を送った。 これでこの話も終わるかと思いきや―― 「あなた方には大切な人はいらっしゃるのですか?」 『へっ!?』 予想だにしていなかったイルマーからの質問が三人に投げかけられ、間抜けな声が見事にハモった。 しかも、イルマーは小枝を拾いそれをゼラスの膝の上に乗せた。 「はい、リオムさん」 よりにもよってトップバッターに指名されたゼラスは眉根を寄せた。 (大切な人……?) 大切、とはどういう概念なのか。人間ならば愛だの恋だの、想いを寄せる相手のことを言うのだろうが、正の感情に近いそれを魔族が語るはずもない。思考するはずもない。 考えようと思うことさえも思いつかなかった。 ゼラスはふむ、と考え込んだ。このことに関しては後日ゆっくりと自分の中で問いかけるのも面白いかもしれない。 だが、今はそう長く思考する時間はない。滅多にない人間との談話に自ら水を差すのは興醒めだ。 ただ、『大切』、が、『失うには惜しい』という概念で語れるならば、ゼラスはひとつの顔を思い浮かべた。 「……いる……ことはいるけど」 『ををををっっ!!』 リナとアメリアがずずいっとゼラスに詰め寄り好奇の目を輝かせた。 「えー!どんな方なんですか?」 「……気まぐれでお調子者でいざという時も頼りなくて」 「……ホントにその方のこと好きなんですか?」 アメリアの怪訝な質問がゼラスに投げ掛けられる。 ゼラスは単に事実を述べただけ。 それをどう解釈しようと勝手だ。 それなのに、ゼラスは少しムッとし、手にしていた小枝をアメリアに向かって放り投げた。 「えっ、わ、わたし!?……ええっと、その……いますけど……」 「どんな方ですか?」 ゼラスは仕返しとばかりに意地悪い笑みを浮かべて、頬を紅潮させるアメリアの反応を楽しんだ。 「うっ……ええっと……ぶっきら棒で照れ屋さんで真面目で、怒ると怖いけどでも実は優しくて――ああっ!もうダメですぅ。リナさん!」 「ほへっ!?」 バトンの小枝がリナに渡った。 リナはまだ一言も話さぬうちから顔を真っ赤に染め上げていた。このテの話にとことん免疫がないようだ。 人間が思考と感情をぐるぐるさせている様は見ていて実に面白い。 ゼラスはうっすらと口の端を吊り上げ、目の前の少女達を舐めつけるように観察した。 「え、ええええ、ええっと……その……あの……」 (リナ=インバースはなんと答えるのだろう……世界の存亡を賭けてまで救いたかった相手のことを――) 「な、なぁんだか、今夜はあっついわね〜!ちょ、ちょっと、顔洗ってくるわ!」 恥ずかしさに耐え切れず、リナはその場を猛ダッシュで立ち去った。 まさかの一人逃げである。 「あっっ!リナさんだけズルいですっ!」 残されたアメリアは伸ばした片手をぷるぷる震わせながら、恨みがましい目をリナが走り去った方へ向けた。 ゼラスはその様をくすくすと笑いながら見ていた。 (さすが、期待を裏切らないわね) せっかく目の前にウブな人間が一人残っているのだ。もう少し遊ぶのもいいかもしれないと、ゼラスは標的をアメリアに絞った。 「アメリアさん、その彼のこと、もっと詳しく知りたいわ。馴れ初めは?気持ちが変化したのはいつ?」 「わたしも知りたいわ、アメリア」 「た、助けてくださいリナさぁぁぁぁん」 イルマーとゼラスの二段攻撃に、アメリアの声は夜空に虚しく消えていった。 ぴくっ あれから半刻ほど経ったぐらいか、ひたすらアメリアをいじり倒していたゼラスは、リナが走り去っていった方角によく知った気配が現われたのに気づいた。 (リナ=インバースと接触したか……あの子も退屈してるのだろうな) ゼラスの予想通り、しばらく経って遠くの茂みからリナとともに首を羽交い締めにされたゼロスが現れた。 その情けない姿にゼラスは半眼でふっと息をひとつ吐き出した。 ゼロスの顔がわずかに引きつったが、それに気づいたのは彼の主だけだった。 それからリナは、自分の仲間や騎士団隊長――グランに声を掛け、正座させたゼロスを囲むように尋問が始まった。 彼の正体を知るリナの仲間達は一名除き心底嫌な顔をし、飄々と受け流すゼロスとの問答に怒気を膨らませていた。 そして、ダグレスの情報を教える代わりにゼロスはその旅路に自分の同行を提案した。 『はあああああああああ!?』 当然の反応をするリナ、アメリア、ゼルガディス。 「なんでわざわざ一緒に行くのよ!?迷子じゃあるまいし!」 「そうです!それに、生きとし生けるものの天敵と共に数日とはいえ一緒に行動するなんて言語道断です!」 (行動どころか、恋話までしちゃったけどね) ゼロスにキャンキャン噛み付く仔犬のように喚く二人の姿に、ゼラスは笑い声を上げたかったがグッと堪えた。 こんなやりとりひとつでも主の退屈を紛らわすことを怠らない。 そんな部下の姿勢に、ゼラスは褒美代わりに助け舟を出した。 「そのプリーストさんは強いの?」 「へ?ま、まあ、強いっちゃあ強いけど……」 「ならいいのでは?護衛の層が厚くなるのは願ってもないこと。ですよね、隊長殿?」 グランは突然話を振られ慌てるも、自分のみの判断では決めきれず、イルマーに最終決定を求めた。 ゼラスはちらっとイルマーに目配せをした。 「わたくしはかまいません。ゼロスさん、ですね。よろしくお願いいたします」 呆然と佇む人間三名、表情には出さなかったが心の内ではにやにやがとまらない魔族が二名。 (まだまだ楽しめそうね) ゼラスはこれでもかと尋問攻めにあっている部下を眺めつつ、目線を上空へと移した。 夜よりも深い闇を迎えた空に、ゼラスはそっと笑みを浮かべた。 一行は、再度退屈な旅路を歩み、次の目的地、リンドルの村に差し迫っていた。 ゼロスが持って帰ってきたダグレスの情報は大したものではなかった。 それもそのはず。滅多にない主のお楽しみを奪わぬよう、ゼロスは最低限の情報しか調べてこなかった。 獣王という立場上、自らが大っぴらに人間の万事に関与すると、他の腹心や神族までもが警戒する恐れがある。 たとえ好奇心以外の他意がなくとも。 だからこうして自分の本意で人間と接触できる機会を、ゼラスは心底楽しんでいた。 (……そろそろ一悶着ありそうね) ゼラスは歩きながら、ダグレスの方向へと意識を向けた。 遠くの彼方から、異質な気配が向かってくるのがわかる。 周りにいる人間達は当然そのことに気付くはずもなく、何も起こらない暇さ加減にどうでもいい話に花を咲かせたりしている。 そして一行がリンドルの村に到着し野営の準備を始めた頃、その異質な気配はとうとう姿をあらわした。 最初に気付いたのはガウリイだった。野生のカンのみならず、その視力も常人以上。 闇夜に顔を出し始めた星が瞬く中、リナはガウリイの言葉を疑うことなく、遠くの空に目を凝らしていた。 そして―― 「キメラよ!!」 リナの張り上げた一声に、一同緊張が走った。 飛来するキメラは大した力を持ってはいなかった。 だが、見慣れない異形の姿の集団は普通の人間に恐怖を与えるには十分だった。 慌てふためく者、攻撃呪文を放つ者様々だが、キメラはただ上空を旋回するだけにとどまっていた。 結局その夜はキメラの襲撃はなく、朝になったときは、一部を除く全員が、恐怖と焦燥で疲弊していた。 ダグレスに向けて出発したあとも、キメラはずっと上空を飛び続け一行の後を追ってきた。 恐怖、苛立ちといった感情が入り乱れ、ゼラスとゼロスは食べ歩きをしているような状態だった。 「ゼロス、あんたあれどうにかしなくていいの?」 「別にいいんじゃないですか?攻撃してくる気配もありませんし。それに、無用な殺生はいけませんよ?」 わざわざ食事を用意してくれるシェフを追い払う理由はない。 飄々としたゼロスの返事に、特に期待もしていなかったリナは落胆することもなく、あっそ、と乾いた返事をするだけだった。 一同は長く細い道を抜け、ようやくダグレスの城下町をその視界に捉えた時―― ぐるろぉぉぉぉぉぉん 雄叫びと共に、一同の退路を断つように無数のキメラが突如姿を現した。 『――なっ!?』 まったく予想もしていなかったところから出現したキメラに驚愕する人間たち。 思考を戦闘モードに切り替えた時には、キメラは無数の炎の矢を目の前に生み出していた。 (空間を渡れるみたいだけど、ダグレス目前で出てきたということは、性能はあんまりよくないわね) ゼラスは冷静にデーモンキメラを分析した。 だが、ここで一つの可能性が浮上した。 魔族との合成や空間移動能力の付与は、言葉で言う程簡単な技術ではない。 よほど卓越した知識と技術があるか、それとも造り方が記された何かを参考にしているか。 (もしかしたら『写本』があるかもしれないわね) 「リオムさんはイルマーの馬車を!ゼロスもちっとは手伝いなさい!後ろの人たち全力ダーーッシュ!」 必死にデーモンキメラの攻撃を防ぎながら、どう応戦したらいいかわからないグランに代わりリナは各人に指示を出し、自ら後続馬車の屋根の上に身を躍らせた。 そして紡がれる混沌の言語≪カオス・ワーズ≫。 (この呪文はルビーアイ様のか……) 呪文詠唱によって生み出された魔力障壁に当たって何本か炎の矢が蹴散らされるが、それでも飛来する絶対数が多く、イルマーの馬車に向かって炎が襲いかかる。 ゼラスはやれやれと右手を腰の剣に伸ばそうとして――そのまま手を下ろした。 ばしゅんっ イルマーの馬車とゼラスを包むように魔力障壁が現れ、炎の矢はあえなく霧散する。 見れば、馬車の従者席の後ろにのほほんと腰を下ろしたゼロスが、手にした錫杖の先端に魔力の光を宿していた。 別にリナの指示通り役に立とうとしたわけではない。 自分達には痛くも痒くもない攻撃でも、主の身に降り注ぐ不快な火の粉はすべて薙ぎ払う、それが部下たる者の努めゆえ。 (変なところで律儀ねぇ) ゼラスは人間に合わせて走るのも飽き、軽くとんっと大地を蹴ると、疾風の如き速さでゼロスの隣へと飛び乗った。 馬車を操っていた従者は、全速力で走らせている馬車のスピードにひと蹴りで飛び乗ったゼラスに一瞬驚愕の表情を浮かべたが、周囲に着弾する炎の矢に怯え暴れそうになる馬を制御するのに必死で、後ろの二人に構っている余裕などなかった。 ゼラスは空を見上げた。上空を飛んでいたキメラが負傷した人間をダグレスへ運ぶ姿が目にうつった。 「ゼロス、キメラを造ってるヤツの姿は確認したの?」 「いえ、まだ細かいところまでは調べていませんので」 「『写本』の可能性がある。ダグレスに着いたら研究所を探して――必要なら『掃除』しておきなさい」 「――かしこまりました」 ゼラスの命を受け、ゼロスは狭い座席でも片手を胸に当て軽く頭を垂れた。 その時―― どがああああああああああああ!! 後方で巨大な魔力の奔流が放出された。 リナがキメラの大群に向かって竜破斬≪ドラグ・スレイブ≫を放ったのだ。 大地を薙ぎ払い、大気を焼き、爆煙があたりを包む。 だが、強力無比な力の割に消滅したキメラの気配は僅かだった。 ゼロスは無言でその場から姿を消し、馬車の上でガッツポーズを取っているリナの横に出現しちょこんと腰を下ろした。 そして後ろから聞こえるリナの悲鳴。 (あの子も物好きよねぇ……) この上司にしてあの部下あり、という言葉を送れる者などその場にいるはずもなく、まもなく一同はさらにスピードを上げ最高速度でダグレスへと駆け抜けていった。 ****** なんとかダグレスにたどり着いた一行は、すでに疲労困憊だった。 しかし、リナ達やイルマー、ゼラスにとってはこれからが本番だった。 重たい足に鞭を打ち、一同はダグレスの城下町へと入る。 そこにゼロスの姿はなかったが、誰も気にする余裕などなかった。 灰白色の城壁をくぐり、やっとの思いで辿り着いたその小さな町中は、明らかに合成に失敗したであろう醜い異形の姿があてもなく彷徨っていた。 道端にはすでに命尽きたキメラも横たわっており、その死臭に蠅がたかっている。 その光景に耐え切れず、悲哀、絶望、怒りといった感情が人間達からとめどなく湧き上がる。 ゼラスはいっそう強く怒りが流れてくる先に目を向けると、そこには岩人形≪ロックゴーレム≫と合成された成れの果てを見つめるゼルガディスがいた。 キメラ造りはある意味料理と似ている。 同じレシピがあったとしてもいつもまったく同じ物が出来上がるわけではない。 微妙な塩加減、温度変化で料理の味が変わるように、キメラも僅かな条件の変化で仕上がりが変わってくる。 町を彷徨うキメラのように、人間の自我などあっさり崩壊してしまうことの方が多いぐらいだ。 だから、ゼラスから見れば、ゼルガディスのキメラとしての仕上がりは驚嘆に値するものだった。 100%己の自我を保ち、人間の身で得られる身の丈を超えない魔力容量≪キャパシティ≫と強靭な肉体が絶妙に配合されている。 (さすが、魔王様の器となっただけのことはある) 一千年前のレイ=マグナスも然り、たまにそんな突出した人間がひょっこり現れる。 なかなかお目にかかれない逸材を探すのも、ゼラスにとっては大切な暇潰し――もとい、仕事の一つなのだ。 ゼラスが思考から目の前の光景に目を向けると、イルマーの名を呟きながら平伏するキメラの姿があった。 そのキメラがサルマード関係者だったかどうかもはやわからないが、『イルマー』という単語が失われた自我の中に残る記憶の一つに波紋したのだろう。 イルマーの血を吐きそうな悲痛な叫びがこだまする。 ゼラスは冷静に目の前の光景を分析した。 これが、彼女とその婚約者が容認し看過してきた惨状である。 この現状を受け止められるほど、イルマーの良心は冷徹になれず、中途半端な善悪の間で苦しむ羽目になったのだ。 (中の魔族にとっては、最高の食事になるんでしょうけど) 誰も、王女に声をかけることはなかった。 皆が皆、自分の奥底から湧き上がる感情を制御するので精一杯だった。 一行はそのままダグレスの王城へと歩みを進めた。 降りた跳ね橋を渡り、開け放たれた城門をくぐり、中庭を通り抜ける。 そこは衛兵やキメラの姿はなく不気味な静寂だけがあった。 だが、ゼラスは足下――恐らくは地下に空間があるのだろう、そこから生あるものの波動を感じ取っていた。 そして、それは一同の目の前に現れた鋼鉄製の扉の向こう側にも同じ事が言えた。 リナやガウリイもそれに気づいたのだろう。お互い注意を呼びかけている。 そして、リナはグランに提案をした。 この先は自分の仲間だけで行かせて欲しいと。 彼は騎士団としての矜持と待ち受ける恐怖との間で揺れていたが、退路の確保という程の良い理由をリナに与えられ、反対することなくその場に留まることにした。 そしてリナ、ガウリイ、アメリア、ゼルガディスは敵が待ち受けるであろう扉の向こうへと消えていった。 (……しばらくは静観するか) 「王女様、少し待ちましょうか」 「……はい」 イルマーは大人しくゼラスの言うことに従った。 純白の婚礼衣装が汚れることも気にせず、イルマーはその場に腰を下ろし、目を伏せた。 長い睫毛からのぞく薄茜色の瞳は何も映し出してはいなかった。 程なくして、城の中からは魔力の波動や、異形な悲鳴が聞こえてきた。 ゼラスは扉にもたれかかり中の様子に意識を向ける。 戦闘が始まったかと思いきや、遠ざかる人間の気配。 逃げた輩を追いかけて行ったのか、この先の部屋から人の気配が消えた。 (そろそろかしら……) 「王女様、そろそろ行きましょうか」 ゼラスの呼び掛けにはっと顔を上げイルマーは、こくんと首を縦に振った。 状況を理解できないグランが眉をひそめゼラスに問う。 「リオム殿?一体どういう――」 ぱちんっ どさっ ゼラスが指を鳴らすと同時に、その場にいる王女以外の人間は皆一斉に白目を向きその場に卒倒した。 「……ありがとう、グラン、みなさん……」 イルマーはこれまで自分に尽くしてくれた者達に別れの言葉を済ますと、その場に立ち上がり、扉をくぐり抜けるゼラスの後についていった。 真っ直ぐに伸びる赤絨毯の先には空の玉座が二つ。がらんとした部屋の奥に開け離れた扉。 どぉぉぉぉん そしてその先から鈍い轟音が響いてきた。 どうやら本格的な戦闘が始まったようだ。 ゼラスはイルマーを目で促し、その先の通路を進んでいく。 時々響いてくる轟音が建物を揺らし、天井からはらはらと砂埃が落ちる。 暗闇の中通路を右へ左へと折れ、淡い光をその視界に捉えたところでゼラスは立ち止まった。 「さあ、お行きなさい。あなたの贖罪とやら、見せてもらうわ」 ゼラスの言葉を受け、強い意思の光を灯した王女の瞳が揺れる。 イルマーはゆっくりと、目の前の戦場へと足を踏み入れた。 イルマーが真っ先に目にしたのは、豪雨のように降り注ぐ魔力球を辛うじて防御結界で凌いでいるリナ達、 ではなく、その先に佇む、顔に黒い鱗を張り付かせ、背中から何本もの黒い触手を生やし異形の姿に成り果てた婚約者――ディクスの姿だった。 「もうやめてぇっ!!」 イルマーの目から溢れ出た涙が、悲痛な叫びとともに大地へ零れ落ちる。 ディクスは聞き覚えのある声に魔力球を生み出していた手を止め、部屋の入り口に佇むイルマーを見つけた。 「イルマー!?」 リナは彼女の名を叫んだ。 なぜここにいるのかという意味を込めて、その隣に静かに佇むゼラスにも視線を向けた。 ゼラスはその視線に気づくも取り合わず、静かにイルマーを見ていた。 「……イルマー」 ディクスもまた、待ち望んだ婚約者との邂逅に恍惚の表情を浮かべ、優しく右手を彼女に向かって差し出した。 「あぁ、イルマー……とても綺麗だ。待たせてすまなかったね。もう大丈夫。僕は強くなった。 やっと……やっと君を守ることができる」 「ディクス……」 ディクスの想いは本物だった。 彼から流れてくるのは、ただ一途にイルマーを想う思慕の念。 ゼラスには分かっていた。 その純粋な願いゆえに、リナ達が彼を倒すのを躊躇っていたことも。 イルマーは滔々と涙を流しながら、リナ達に向かって事の真相を語り始めた。 皆が静かにイルマーの懺悔に耳を傾けていた。 後悔、背徳、悲嘆、ありとあらゆる負の感情がイルマーから噴き出し部屋の空気を重く湿ったものへと変える。 魔族にとってはこの上もなく心地よい空間であった。 死期が迫り弱った体で血を吐きながら、全ての罪悪感を吐き出したところでイルマーはゼラスへと顔を向けた。 「リオムさん、お願いします」 今にも息絶えそうな顔をしているのに、その瞳の強い光は失われていなかった。 ゼラスは取り引きに従い、その手に魔力を込めイルマーの顔に手をかざす。 『――っやメろおオオお!!』 重複した声とともにディクスの触手がゼラスに伸びる! ばじゅわっ しかし、ゼラスはぴくりとも動かず、少し意識を傾けるだけで迫り来る触手を灰塵と化した。 ディクスの悲鳴が部屋に響き渡る。 ゼラスは気にとめることもなく、イルマーの精神世界≪アストラル≫に自らの魔力を送り込み、『殻』を破壊、その中に潜んでいた魔族を物質世界へと引きずり出した。 「ぎゃあああアアァァァ!」 体を大きく仰け反らし、悲鳴とともにイルマーの口からは黒い霧が吹き出された。 その霧は徐々に形となり、黒い一つ目玉からボロ切れが生えたような姿となった。 ゼラスの一睨みで消滅してしまいそうなほど脆弱なそれは、無理矢理人間の魂から引き剥がされるという離れ業をされるも、まだゼラスの正体を掴みきれず、取り敢えず彼女との距離をとった。 すぐ横で、イルマーは多量の血を吐き、その場に崩れ落ちた。 殻を破るためにその精神に直接純魔族の巨大な力が雪崩れ込んだのだ。 体を蝕まれていた彼女にとってはそれはとどめの一撃であり、もはやその命は風前の灯火だった。 しかし、彼女は回復魔法を施そうとした友を制し、最後の力を振り絞り立ち上がった。 そして、左脇に立っていたゼラスの剣の柄を握り、そのまま鞘から引き抜くとディクスのもとへ一直線に駆けて行った。 ディクスは彼女の意を汲み取ったのかそれを拒むことなく、やっと会えた愛する花嫁をその胸に抱きとめた。 彼女が手にした剣とともに――。 ゼラスの魔力が込められた剣は、ディクスの体と一緒に精神世界≪アストラル≫の『殻』をも貫いていた。 ディクスの絶叫とともに、イルマー同様大きく体が仰け反りその口から黒い霧が噴出する。 霧は先ほどと似たひとつ目玉に、そこから触手を生やした姿となった。 二人の体は抱き合ったままゆっくりとその場に崩れ落ちた。 ゼラスは自分を凝視する同族に目もくれず、ディクスの胸から流れ出る雫に染まる二人を見ていた。 死にかけの体を、千切れかけた精神を奮い起こし、自分なりの決着をつけた一人の少女に心の中でその行為を賞賛した。 白い婚礼服を朱に染め上げ、血の海に伏した二人の顔はとても安らかなものだった。 「くるわよ!」 ゼラスの思考を遮り、リナが警告の言葉を発するのと同時に、二体の魔族の眼が光り、虫の羽ばたきにも似た摩擦音が響く中、天井に巨大な五芒星の光が現れた。 その光はリナ達を、ゼラスを包み―― どしゃあっ!! 途端襲い来る超重力干渉に、リナ達は抗えずその体を地に叩きつけられた。 身を起こそうともがくも、言葉を発することすらままならない。 ただゼラスだけが変わらぬ涼しい顔のまま、その場に悠然と立っていた。 二体の魔族に、そしてその様子に気づいた人間達に驚愕の色が走る。 ゼラスは下級魔族のお粗末な攻撃に気分を害した。 「……つまらないわね」 そして存在を隠すために切り離していた精神世界≪アストラル≫を呼び起こし、己の存在を露わにした。 ばぎぃぃぃぃぃん 突如、むせ返るほどの凶々しい濃い瘴気が空間を支配し、その余波で下級魔族の重力干渉は呆気なく打ち破られ光の五芒星は音を立て消滅した。 超重力がなくなりなんとか立ち上がった人間達も、あっさりと術を破られた魔族も、ゼラスから発せられる瘴気を目の当たりにし、体が、精神が硬直した。 (さて……どうしようかしら……) 正体を露わにしたことで、リナたちもゼラスが魔族であることには気づいていた。 そうなればもう共に行動することもない。しかし、下級魔族にはまだ聞きたいことがある。 静寂を打ち破りゼラスが口を開こうとした時―― どごあああああああ! 轟音とともに部屋の右側の壁が破壊され一匹の巨大なキメラが倒れ込んできた。 砂塵を撒き散らし、すでに絶命しているキメラの横から悠然と姿を現わすひとつの影。 「……おや?お取り込み中でしたか?」 黒い法衣を揺らし、紫紺の髪が巻き上がる風にさらりと揺れた。 上司の命により別行動をとっていたゼロスは、あたりを見回し現状を理解したのか、何事もなかったかのようにゆっくりとゼラスのもとへ歩みを進めた。 「掃除は終わったのか?」 「はい、あらかた。そうそう、地下でこんなものを見つけましたよ」 ゼロスは懐から一冊の魔道書を取り出し、膝を折り、頭を垂れ、恭しくそれをゼラスに差し出した。 その光景を見て、リナ=インバースの顔が強張ったのをゼラスは見逃さなかった。 (本当にお調子者なんだから……) わざとその存在を強調するために傅いたゼロスに、ゼラスはジト目で部下を睨みつけた。 差し出された魔道書を手に取り、ゼラスはペラペラと流し読みした。 中身は、『写本』をもとにキメラを造った先人達の研究記録といった内容だった。 その内容はゼラスの知っていることばかりで、特に目新しい情報や知識は載っていなかった。 「……たいした内容ではないわね」 あらかた読み終えると、ゼラスは自らの手に青白い炎を生み、魔道書を一瞬で炭と化した。 そして、その様子を黙って見ていた魔族に声を掛ける。 「……それで?あなた達はどこの子かしら?」 ゼラスはたとえ下っ端魔族でも、一度でも会ったことがあれば記憶にとどめておくようにしている。 しかし目の前の魔族はその記憶のどこにもない。 「我々は……いわゆる『はぐれ』にございます」 「へぇ、珍しいわね」 予想外の答えにゼラスは少し驚いた。 『はぐれ魔族』。 精神生命体である魔族は生まれながらに人間とは比べようもないほどの力を有している。その力は大抵は誰かに与えられた力である場合がほとんどだ。 だが、例えば神魔戦争や降魔戦争など、膨大なエネルギーの衝突により世界に不安定な歪みが生じる時がある。そこに世界中に溢れている怒りや憎しみといった負の感情が混じり合い、稀に意思を持った生命体を生むことがある。 魔族ゆえ、混沌に帰すことを望むのは変わらないが、つき従う主はいない。 自分よりも高位の魔族に服従する縦社会の魔族達は、その存在を『はぐれ』と呼んでいた。 「……それで?あなた達のいう『実験』は失敗に終わったのかしら?」 「いえ、此度は始まり……ゆえに成功とも言えます。脆弱な人間では命を蝕み、精神世界面≪アストラル・サイド≫や肉体を強化したものでも、その精神を蝕んでしまったようです」 はぐれ魔族はゼラスの問いに丁寧な口調で答えた。 虚偽を言い相手の機嫌を損ね滅ぼされては元も子もないと考えたのだろう。 「我らの邪魔立てをなさいますか?」 ほんの少しの殺気を放ち、はぐれ魔族はゼラスの答えを待った。 その様にゼラスは少し苛立った。 己と相手の力量の差も図れないほど愚かではこの実験を続けたところで成果は知れている。 「んー……」 ゼラスはちらりと天井のステンドグラスに視線を送った。 (我ら、なんて誤魔化すあたり、愚かにもほどがある) ゼラスには分かっていた。 目の前の二体の魔族はただのとかげの尻尾に過ぎない。本体は、その姿を隠しずっと自分達の上部に張り付いている姑息な存在≪もの≫だということを。 (無礼を窘めてあげるのもいいけど、それはわたしの役目ではないわね) ゼラスは意識だけを、固唾を飲んで静観しているリナに向けた。 (こんな美味しい実験材料を逃すはずがない。……でも、きっとそれは徒労に終わる) ゼラスは冷静に、はぐれ魔族とリナ=インバース達の実力を測った。 そして確信する。彼女達の魔力、実戦経験、チームワークから考えても、軍配は人間に上がるだろうと。 それに、ゼラスにはまだやるべきことが残っていた。 「別にあなた達の研究を邪魔するつもりはないわ。わたし達には必要ないし。……ただ、もうそれはいらないわね」 ゼラスは血の海に伏す二つの亡骸に目を向けた。 (まだ、指輪の等価には届いてないし、このまま放置しておくのは『可哀想』だしね……) 「はい、そうなってしまっては、ただのゴミも同然……」 ゴミ、という単語に、後ろにいる人間達の怒気が膨れ上がるのをゼラスは感じていた。 「ならもらっていくわ」 ぱちんっ ゼラスは指をならし、二人の亡骸を黒き闇で包み、空間に歪みを生じさせ精神世界面≪アストラル・サイド≫へと移動させた。 (これでもうここに用はない。後始末はリナ=インバースがするでしょ) 「ゼロス、わたし達もそろそろ失礼しましょう」 ゼラスはリナ達へと振り返り、にこりと満面の笑顔を向けた。 「――では皆さん、楽しい旅だったわ」 「リナさん、あとは頑張ってくださいね」 ゼロスにも分かっていた。 この後はぐれ魔族がリナたちを標的にするであろうことを。そして、魔族の言いなりなどに決してならない彼女達の矜持を。 それだけを言い残し、ゼラスとゼロスは空間を渡り、その場から退場した。 その後は二人の想像通り、はぐれ魔族がリナ達に『契約』を持ちかけていた。 その様子を見学しようと、ゼラスとゼロスはこっそり精神世界面≪アストラル・サイド≫から覗き見していた。 「お生憎様、あんたらみたいな趣味の悪い下級魔族なんぞを受け入れるぐらいなら鍋の蓋としゃもじ持ってさっきの『彼女』に喧嘩売る方が百万倍マシ ってモンよ!」 リナの威勢のいい啖呵に、ゼロスはぶっと吹き出した。 「鍋の蓋としゃもじ持って来るそうですよ?獣王様」 「ふふふ、じゃあわたしはナイフとフォークでも持って応戦しようかしら」 くすくすと楽しそうにゼラスは笑った。 「本当に面白い人間……おまえが気に入るのもわかるわ」 「お気に召したようで何よりです」 そんな二人のやり取りが聞こえるはずもなく、気づけばリナ達は魔族とすでに交戦していた。 なかなか倒れない魔族に不信を抱いたリナは、すぐにひとつの活路を見出し仲間と連携プレイに挑んでいた。 「獣王様も、ヒントを与えるなんてお優しいですね」 「ふん、ムカついたからガン飛ばしてやっただけよ。さ、行くわよ」 ゼラスはゼロスとともに空間を移動した。 それと同時に―― 「竜破斬≪ドラグ・スレイブ≫!!」 どぐああああああああああ!! リナ=インバースの放った渾身の一撃が、一体の魔族を打ち滅ぼしたのだった。 ****** それから一週間後、ゼラスは小さな町の食堂の一席に腰を下ろした。 メニュー表を開き、ウェイトレスに香茶とオススメのフルーツパフェを注文し、それが届くのをじっと待っていた。 目の前の大通りや食堂内もそこそこ賑わいをみせ、様々な騒音や話し声が聞こえてくるが、ゼラスは自分の斜め前のテーブルに座る男女四人の会話に意識を向けた。 よほど疲労が積み重なったのか、四人ともテーブルに、または椅子に全体重を預け伸び上がっていた。 ほどなく、注文した香茶が運ばれてきた。 精神生命体である魔族に飲食という行為は必要ないし、それを味わうべき器官も持ち合わせていない。 ただ、人間の真似事に興ずる無生産的な戯れに過ぎない。 ゼラスは優雅な所作でそれを一口含んだ。その様になる姿に見惚れ通行人の何人かが彼女に目をとめていく。 「――にしても、結局あの魔族の目的は何だったんだ?」 目立たぬようフードを目深に被ったゼルガディスは、誰に問うでもなく独り言つ。 フードからはみ出した青銀の硬質な髪が、傾く陽の光を受けて鈍く光る。 「さあね……それこそもう確かめようはないし?考えるだけ無駄なんじゃない?」 軋む木製の椅子に背を押し付け両手を頭の後ろに組み、リナは素っ気ない返事を返した。 「教えてあげましょうか?」 そこでゼラスはやっと目の前の人間達に声をかけた。 「そうね、そうしてくれると助かる――!?」 自分の仲間のものではない、だが聞き覚えのある声が別方向から飛んで来て、リナ、アメリア、ゼルガディスは瞬時に席から飛び退き臨戦態勢をとる。 「そんなに緊張しなくてもいいわよ」 そう言ったところで変わりはしないだろうが、ゼラスは警戒する三人に声をかけた。 やっと声の出所に気づいたリナ達は大きく目を見開き言葉を失う。 ただ一人、ガウリイだけは、椅子に座ったままのほほんとゼラスに声を掛けた。 「おー、いつの間にそんなとこいたんだ?」 ゼラスに殺気がないことをわかっているからか、彼女の正体に気づいていないからか、彼には敵意や警戒心の欠片もなかった。 「少し前からね」 ゼラスがそう返事をするのと同時に―― スパァァァァァン いつの間に取り出したのか、リナが放ったスリッパの一撃が軽快な音を立てガウリイのどたまにヒットした。 頭を押さえながら抗議する彼に、胸倉を掴んでガシガシ揺らしながら説教するリナ。その様は年季の入った夫婦漫才さながらである。 ゼラスはくすくす笑いながらそのやり取りを見ていた。 騒ぎを気にする野次馬がリナ達に好奇の視線を向け始めた。 それに気づいたゼルガディスが彼女達を諌め、目立たないようフードをさらに目深に被り直した。 「本当に面白いわね、あなた達って。とりあえず、座ったほうがいいんじゃない?」 ゼラスは片手でリナ達に着席を促した。 訝しげな顔をしていたが、野次馬の奇異の目もあり大人しく各々椅子に座り直す。 「……何を、しに来たのかしら?」 リナは慎重に言葉を選びながらゼラスに問う。 ウェイトレスが先程注文したフルーツパフェをゼラスの前に置いた。 彼女はスプーンで頂点に乗っている熟れたイチゴを掬い口へ運んだ。 「お礼を言おうと思って」 「お礼をされること、何もしてないわよ」 ゼラスはリナににっこりと微笑み、 「そんなことないわ。数日だったけど、あなた達と旅ができて楽しかったから」 ゼラスの言葉に虚偽はなかった。 交わした会話は数える程かもしれないが、リナ達の行動や目まぐるしく変わる感情の変化はゼラスからしてみれば実に興味深く面白かった。 「あなた達は意図せずとも、わたしからしてみればそれはそれは楽しい数日を提供してくれた。だからそのお礼に、 今回のことで分からなくてモヤモヤしてるその気持ちを晴らしてあげようかなと思って」 たとえ人間が相手でも、与えられたままで済ますのはゼラスの主義に反していた。 彼女達の気鬱の解消ならば悦楽の等価として相応しいとゼラスは考えた。 「なぁ、あんた。ええっと、確か名前は……リ、リム……?」 最初に口を開いたのは意外にもガウリイだった。 しかし、たった三文字の名前も彼にとっては思い出すのも難しかったようだ。 もちろん、魔道の知識の無い彼が彼女の正体を推察できるはずもない。 「あぁ、まだちゃんと名乗ってなかったわね。 わたしはゼラス――ゼラス=メタリオム」 ようやく告げた真の名にガウリイ以外の人間に緊張が走る。 どこかで聞いた名前だなぁと、ガウリイはリナに説明を求めたが、リナは取り合わなかった。 「わたしに何か?」 「あぁ、ちょっと気になってたんだが……あんたと戦ったとき思ったんだけど、あんたの太刀筋、前にも戦ったことがあるような気がするなぁって」 ガウリイの質問に、ゼラスは大きく目を見開き驚嘆した。 たったあれだけの剣戟から、自分の太刀筋を元に今は亡き同胞だった者のことを思い出させられるとは思わなかったからだ。 「――あなた、本当にいい腕とカンをしてるのね」 この男の剣技と第六感は賞賛に値するものだと、ゼラスは改めて思った。 ゼラスは自分に剣術を施したのは、離反する前の魔竜王ガーヴだと答えた。 絶大な力を持つ魔族が剣術を嗜むなど愚の骨頂と思われるかもしれない。 だが、その愚かな戯れに興じるのもまた一興。 そう考えていたゼラスとガーヴは変わり者同士気が合っていた。 ガーヴが離反をし、戯れる相手を失ったゼラスにとって、今回ガウリイと剣を交えれたのは一番の収穫だった。 「わたしからもいいですか?」 次に質問してきたのは綺麗な紺青の瞳に憂いを潜ませたアメリアだった。 「イルマーとディクスを、その、綺麗にしてくれたのはあなたですよね?魔族であるあなたがなぜそこまでしてくれたのですか?」 「そうね……サービス、ってところかしら」 ゼラスは一口香茶を含み、イルマーと出会った経緯を話した。 そして、対価として受け取った魔血玉≪デモン・ブラッド≫の指輪を目の前にかざした。 ゼラスの予想通り、右手にはめた指輪をちらつかせると、リナが我を忘れその手をとり赤い宝石を食い入るように見つめた。 その行為を危惧し、ゼルガディスがゼラスからリナを引き剥がす。 首根っこを掴まれながら、リナはどう交渉すればその指輪が手に入るかという考えが頭の中を駆け巡っていた。 ゼラスは以前、せっかく譲り受けた魔血玉≪デモン・ブラッド≫を『成り行きで売っちゃいました』と乾いた笑いとともに言い放った部下の姿を思い出した。 「悪いけど、わたしは売らないからね」 リナが勇敢にも交渉を始める前に、ゼラスは先手を打った。 心残りな表情をみせるリナに、ゼラスはニヤニヤと微笑む。 そして、この指輪に見合う対価として、二人の死出の花道を飾ったことも話した。 すでに肉塊と化した手を繋ぎ合わせたところで、死後二人の魂が仲睦まじくいられるわけではない。 どのような死に方をしようと、還るべき場所は同じなのだ。 だが、人間の心情としては、安らかな死顔、永遠の愛を誓い合った伴侶の存在は、残された者のやるせ無さ、憤りを和らげる効果があることをゼラスは知っていた。 「俺からも、聞きたいことがある」 焦りの色を浮かべ痺れを切らしたゼルガディスが声を上げる。 「どうぞ」 「ディクスの体を――もとの人間の姿に戻したのはあんたの力なのか?」 それは、ゼラスにとっては予想通りの質問だった。 「戻した、というより覆い被せたと言った方が的確ね」 ゼラスにとっては、戻せるかどうかも分からない実験をするより、仮初めの肌、質感を再現するほうが遥かに簡単であった。 どうせ土の中に入るまでの短い間だけなのだから。 そして、次に来るゼルガディスの言葉も、ゼラスには分かっていた。 「自分の姿を元に戻せるか、でしょ?」 意地悪く、ゼルガディスが口を開くより先にその言葉を告げるゼラス。 ゼルガディスだけでなく、他の仲間達にも緊張が走る。 彼が元の人間の姿に戻りたいと切望していることをよく知っているがゆえの反応だ。 「仮に、できる、といったら、その対価にとしてあなたはわたしに何を差し出すのかしら?」 「対価――だと?」 眉をひそめるゼルガディスに、ゼラスは言葉を続けた。 分不相応な願いにはそれなりの代償を支払わなければならないこと、そしてそれは自分を突き動かすほどの有益な対価でなければならないこと。 「それでも、あなたはこの質問の答えを求めるのかしら?」 一縷の望みを賭けた問いに、逆に思わぬ問い掛けをされゼルガディスは沈黙した。 ゼラスは、彼が自分を満足させられる等価を示すことが出来るなら、その望みを叶えるべく尽力してもよかった。 しかし、ゼラスには分かっていた。 どれだけ人間の姿に戻ることを渇望したとしても、自分の命だけでは支払いきれない代償を彼が差し出すことはないことを。 ゼルガディスは静かに席に座った。 可能性の一つを断たれ絶望するかと思いきや、もともと魔族の力に頼るつもりはなかったのか、そこまでの落胆はしていないようだった。 しかし、ゼラスからの問い掛けは、彼を思考の坩堝に陥れるには十分だった。 (考えられるうちに考えておけばいい。いつその局面に立たされるかわからないのだから……) 「他に質問は?」 ゼラスは視線をゼルガディスから沈黙しているリナへと移した。 「……結局、あの魔族達が言ってた『実験』って何だったの?そして、あなたとゼロスは何をしに来たの?」 「……人間との共存、と言えばいいのかしら」 「共存?」 ゼラスも直接はぐれ魔族に問いただしたわけではない。 あくまでも彼女の見地からだが、『実験』とは、人間の精神世界≪アストラル≫――すなわち魂に入り込み、その精神と肉体を蝕まぬような『殻』を作り上げること、とゼラスは考えていた。 だが実験は初期段階。『殻』の完成度も低く結果として二人の体と精神を蝕んでしまった。 それをそのままリナに語った。 人魔とは何が違うのかとアメリアがゼラスに質問し、魂の在り方の違いだと説明した。 「わからないわね、そんなことをして、魔族には何の得があるっていうの?」 「さあ……下の子の考えることなんてわからないわ。少なくとも、中級以上の魔族には関係のない実験よね」 はぐれ魔族が何を目的としていたのかゼラスにも分からなかった。問いただすほどの興味もなかった。 ただ、もしこの『殻』が完成したら? 下級魔族のように人間の姿を象ることが出来ないものでも、簡単に人間社会に溶け込める。 いつの時代でも、人間の怒り、憎悪といった負の感情は魔族の糧でありこの世の安寧を覆す起爆剤となる。 中・高位魔族が人間社会に入り込むことは容易い。 だが、その絶対数は少ない。 もし殻に閉じこもった下級魔族がその人間の命を蝕むことなく意のままに操れたら、人手不足の魔族にとってマシな戦力になるだろう。 だが、これはあくまでもゼラスの推論に過ぎなかったし、そうだとしてもそこまで人間に語る義理はなかった。 リナはゼラスの説明に眉をひそめていたが、それ以上の追求は無駄だと悟ったのか何も言わなかった。 「つまり、イルマーは最後の最後で、内にいる魔族に抗った、ということですよね」 アメリアが己に言い聞かせるかのように呟く。 イルマーの悲運は、助けを求めたときに現れたのが正義の救世主などではなく、魔族だったことだ。 だが、死の恐怖に侵された彼女の下した決断を過ちだったと罵る人間は少なくともここにはいなかった。 「あたしは――彼女が魔族と契約したのは、別に過ちだったとは思わないわ」 リナの独り言に反応したのはゼラスだった。 「そうね、第三者からみたらそれが例え世の理に反していたとしても、渇望の果てに目の前に垂らされた一本の糸があれば、誰だってそれを掴まずにはいられない。 例えその代償が自分の身の丈に過ぎたものでも。 ……あなたなら理解できるんじゃない?大切な者と、世界の存亡を天秤にかけたあなたなら――」 ゼラスの好奇の目がリナを襲う。 リナはゼラスの言葉に唇をきつく噛み、苦々しい表情をみせた。 決断の最後に必要なのは、真なる純真な意思。 彼女はその意思を抱き、垂らされた一本の糸を掴み、様々な奇跡にその背を押され見事生を掴み取ったのだ。 「誰にだって選択を差し迫られる時はある。人間であれ魔族であれ神族であれ。時にはその選択が間違いだと思うこともある。 でも、正解、不正解を決めるのは他者ではなくそれまで歩んできた自分の道程。そこで絶望して全てを終わりにするのか、不正解を正解にする為に前へ歩み出すのか。 ……だから人間は生きることを諦めないんでしょうね。だからこそ――人間は面白い」 ゼラスは形の良い唇の端を上に吊り上げ、満足そうに目を細めた。 興味ある対象に対してはとことん追求する――獣王の性分は探究者。 荒ぶる獣を統べる王として、従える者の理は全て把握するのが彼女の信条。 「リナさん、本当にこの人、魔族なんですか?」 ゼラスの魔族らしからぬ雄弁さにアメリアが疑いの目を向けるのも当然であった。 人間がその生を実りあるものにしたいと願うように、ゼラスも混沌へと還るその道程を楽しむべきと考えていた。 過程を楽しむという点は同じでも、存在理由が異なる為に、人間と魔族は決して理解し合えないよう創られている のだ。 「と、とにかく……んで、結局、あんた達は何をしに来たの?」 「……暇つぶしとそのついでってところよ」 ゼラスは器に残っているパフェを黙々と食べながら素っ気なくここまでの経緯を答えた。 虚偽を言うことなど何もない。 ゼラスにとって有意義な暇潰しになったのは全ては偶然の産物なのだから。 最後の一口を食べ終え、ゼラスはナプキンで口元を拭った。 「なら、もうここには用はないわよね?」 「えぇ、これでわたしもスッキリしたし、もう失礼するわ」 ゼラスは立ち上がり、懐から一枚の金貨を取り出し食した器の横に置いた。 去り際にゼラスは一人一人に声を掛けた。 「では……ガウリイさん、またいつか手合わせしましょうね」 (実戦になったら、きっともっと腕があがるんでしょうね) 「んー、まあ、なるべく遠慮したいけどな」 ガウリイは困った顔をしながら頬をぽりぽりと掻いた。 「ゼルガディスさん、さっきの答えが出るのを楽しみにしているわ」 (恐らくそれは、彼がこの世の全てに希望を失った時……) 「……」 ゼルガディスは顔を上げることなく黙り込んだままだった。 「アメリアさん、ぶっきら棒で照れ屋な彼によろしく」 (この子をからかうのも結構面白かったわね) 「わわわわわっ!や、やめてください!」 両手を目の前でぶんぶん振りながらアメリアは顔を紅潮させた。 「リナ――また会ったときはよろしくね」 (何かと興味の尽きない人間……必ず、またわたし達は出会うでしょうね) リナの返答は待たず、ゼラスは踵を返し、未だ賑わう通りの雑踏の中へと姿を消した。 「……随分とお喋りな魔族様だったな」 ゼルガディスの皮肉は、すでに精神世界面≪アストラル・サイド≫へと渡ったゼラスに届くことはなかった。 人間達と別れてから、ゼラスは獣王宮に帰還した。 面白いおもちゃに巡り合った子供のように満面の笑みを浮かべ、羽織っていたマントを脱ぎ、執務室の自分の席へと腰を降ろした。 「これだから、暇つぶしはやめられないのよね」 誰にともなく独り言ちたその言葉に、自分の机で主の残した大量の書類を片付けながら、獣神官は深い深いため息を吐いたのだった。 |
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