シミ落としは迅速かつ念入りに。

なんでこんなことになったんだ……。
あたりに生い茂る木葉を揺らし、乾いた風が隙間だらけの布の間から岩肌を刺すように撫でていく。もうすぐ冬の訪れを感じさせるひんやりとした風に小さく身体を震わせ、身を包む黒いマントの隙間を埋めるように身体に巻き付ける。 視線を前に向ければ、小川の縁に膝をつき栗毛を揺らしながらまるで親の仇かたきのごとくわしわしと白布を揉み洗う旅の連れの姿。その華奢な手が川面でざぶざぶと盛大に水しぶきを撒き散らしているのを見、次いで自分の姿に視線を落とす。丈の足りない小柄な彼女のマントにくるまる情けない自分の姿に、ゼルガディスは幾度目かわからないため息をついた。
何度も死線をくぐり抜けた仲間との旅の道中。次の目的地への道のりは遠く、今朝は早くに街を出発した。当然、日が高くなる前に腹は減る。ゼルガディスは空腹に耐性はあるものの、他の仲間はそうではない。特に腹を空かせたリナはその凶暴性に拍車がかかる。外からくる厄介事には新たな情報や元の姿に戻るための手がかりという一縷の希望があるが、身内の面倒事に巻き込まれるのはただ精神を消耗するだけだ。そのことをガウリイやアメリアもよく理解している。道程の三分の一も進んでいないのに、突然「ここでごはん!」とリナが言い出しても諌めるものはいない。無駄な説得に労力を使うより、食料確保に体力を使った方がまだ合理的だ。
脇道に入り、街道と並行に流れる川のそばで各々魚の捕獲や火の準備を黙々と行う。野宿などざらにある旅路の中、慣れた手つきで滞りなく食事の支度が整っていく。
だが、ガウリイの釣った魚が香ばしく焼き上がる頃だというのに、言い出しっぺであるリナの姿がなかった。川の上流に行くのを見ていたゼルガディスは、その姿を探しに生い茂る草木をかきわけ−−ほどなく、茂みの一部でうずくまっているリナを見つけた。
「何してるんだ」
「んみゅ?」
ゼルガディスの声に振り返ったリナの頬は小動物のようにぷっくり膨らんでいた。見れば、マントの裾を器にしそこには大量の小さな果実がのせられている。
リナはのどをごきゅりと鳴らし、
「山ぶどうみつけたの。ゼルも食べる?」
「……いや、いい。そんなことより、旦那とアメリアが待ってるぞ」
「ふぁいふぁーい」
ゼルガディスの言葉も待たずに、リナは次から次へと山ぶどうを頬張る。相変わらず、色気より食い気だとゼルガディスは嘆息する。だが、自然に群生する山ぶどうはその豊富な栄養素と比例しかなり酸味が強い。当然のように、リナは幸せそうに果実を口に放り込み、次の瞬間襲いくる強烈な酸味に顔をしかめるという百面相を繰り返していた。以前も似たような光景を目にしたことがあったが、「乙女にはビタミンが大事」と断言し食べるのをやめなかった。男には理解出来ないことだとゼルガディスはため息をつきながらも、そんなリナの表情がくるくる変わる様は見ていて面白かった。そして、ついポロッと言ってしまったのだ。
「あんたも、案外可愛いんだな」


あたり一面に、紫の雨が降った。聞き慣れないゼルガディスの言葉に、リナは口いっぱいに頬張っていたそれを盛大に吹き出した。当然、それは霧雨のごとくゼルガディスの白い服を紫に染め上げる。
世間一般で知られているように、ぶどうの色素は色が落ちにくい。早く洗わなければまだらに染まった服のまま街道を歩かなくてはならない。ただでさえ目立つ容貌なのに、それ以上そんな奇異の目を向けられるのはまっぴらだった。幸い、目の前には小川。ゼルガディスは額に浮かんだ青筋を吹き散らし、仕方なく服を脱ぎぶどうのシミを落としにかかったのだが−−バツが悪かったのだろうか、リナが自分がやると言い出しゼルガディスの服をすべて奪い、自身のマントを代わりに差し出した。
「いらん」
「何言ってんのよ。風も冷たいし、風邪引くわよ。それに……」
リナは頬を赤らめ顔を背け、
「パンツ一丁に靴下姿って、ただの変態だから」
そう言われ、あらためてゼルガディスは自分の姿を見、確かにそうかもしれないと大人しくリナのマントにくるまった。仲間の前では今さら裸など恥ずかしくはないが、第三者の目に触れるにはこの姿は痛々しすぎる。
仕方なく、ゼルガディスはリナが洗濯を終えるまでその場で待つことにした。


まったく、どうしていつもなら口が裂けても言わないことをあの時に限って言ってしまったのか。後悔は無駄なことだと知りつつも、いくらでも湧いてでるため息をつきながら、ゼルガディスは己の未熟さを戒めた。
胸に秘めておいたほうがいいことは、世の中にはたくさんある。これも、そのうちのひとつなのだ。
ほどなくして、
「おっまたせー!ほとんど落ちたわよー」
マントに上衣にズボン。まだらに染まっていたすべてが本来の色に戻り、リナは満足気な顔でゼルガディスのもとへ戻ってきた。
「あとは乾かすだけね」
そう言うと、リナは火炎系の呪文を唱え−−力ある言葉とともにその場に熱風が生み出され渦を巻く。威力をセーブしてある加減で、服は焦げず含まれた水分を蒸発させたのみ。自称天才魔道士を名乗るだけあって、その技量には毎度感嘆する。
「悪かったな」
悪いことなど何もしていない、むしろ相手を褒めただけなのだが、元々の性分と寒空の下冷たい水で洗濯させてしまったという事実が、彼に謝罪の言葉を紡がせる。
「いいってことよ。あー、頑張ったら余計におなか空いたわ。そろそろ戻りましょ−−っ!」
リナが一歩を踏み出した瞬間、足元を這う木の根に足をとられ、体が前につんのめる。
「リナ!」
ゼルガディスは助けようと立ち上がり−−
「−−っとぉ!なんのこれしきっ!−−ぷぎゅっ」
態勢を立て直そうとするも踏み出した足も木の根にとられ、リナは顔面から中腰のゼルガディスに勢いよく突っ込んだ。
不安定な体勢にタックルをぶちかまされ、ゼルガディスは支えきれずそのまま天を仰ぐように倒れ込んだ。その上に、リナが覆いかぶさる。
「イテテ……あはは、ごめんゼル。大丈夫?」
ゼルガディスの胸に片手をあて上体を起こし、鼻の頭が赤く擦れ、申し訳なさそうに笑うリナ。それでも、反対の手で抱えた服は離さない。
「……服を捨てればよかっただろ」
やれやれと、自分を上から見下ろす朱い瞳を見つめ、ゼルガディスはぼそりと呟いた。
「なぁに言ってんのよ。せっかく綺麗になったのに。また汚れても今度は洗ってあげないわよ」
大きな瞳でウィンクひとつし、リナはてへっと笑った。赤く擦れた鼻頭を見、そんなものより乙女の柔肌のほうが大事なんじゃないのかと軽口を叩こうとしたが、やめた。その代わり、ゼルガディスは息をひとつつき、口の端を緩めた。
大胆不敵、自己中心。世界は本当にこいつを中心に回ってるんじゃないかと思う時さえある。迷惑極まりないそんな性格に付き合わされても、最後にみせるこの笑顔がすべてを帳消しにしていく。それがたとえかわいこぶりっこの演技だとしても−−この笑顔を見て心が穏やかになる自分に気づいてしまっては、認めざるをえない。
こういうやつだからこそ−−今もこうして一緒に旅をしているのだから。
「−−ありがとな」
「どういたしまして」
冷たい水に晒されたはずのリナの手の平からじわりと自分へ熱が移る心地良さを感じながら、ゼルガディスはゆっくりと目を閉じ−−

ばしゃん。
突如、大量の水がこぼれる音が響き、二人はハッと、揃って音のする方へと顔を向けた。
そこには、大きな水たまりと革袋。水を汲みに来たのか、なかなか戻らない仲間を案じて様子を見に来たのか。足元から視線を上に移せば、この世のものとは思えないものを見たかのように青ざめ、それでいて瞳の奥を好奇心できらっと輝かせているアメリアが立っていた。
そこでようやく、二人は我に返った。ゼルガディスの体を覆っていたリナのマントは先ほどの衝撃で遠い彼方。そこにあるのは、パンツ一丁に靴下だけ履いた男とそれに覆い被さる少女の図。
アメリアはわなわな震える両手を顔にあて、力の限り叫んだ。
「ガウリイさぁぁぁぁん!リナさんがゼルガディスさんを襲ってますぅぅぅぅぅ!」
『誤解だあああああ!』
嬉嬉として走り去っていくアメリアを、顔を真っ赤に染めたリナとパン一姿のゼルガディスが追いかける。

やはり、こいつといるとロクな目に合わない。どこで人生を間違えたのだろうかと、ゼルガディスは先程までの自分を消し去らんと力の限り疾走した。
その後、言われなき誤解という自分の汚点を落とすのに、ゼルガディスは多大なる時間を費やしたのだった。

〜fin〜
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