テトテ

「――っ……んっ――!」
「相変わらず、強情ですねぇ」
くすくすと笑う声が、ぎしぎしと木がたわむ音に混ざり狭い部屋の中に響く。
いつもと変わらぬ笑顔で、ゼロスは必死に声を押し殺しているあたしに語りかけた。だが、絶え間なく突き上げられる衝動と快楽を耐えるのが 精一杯なあたしは、その声に応える余裕はない。
両手で口を塞ぎ、気を緩めればいとも簡単に飛び出してしまう声を必死に抑え込む。
うっすら目を開ければ、あたしに覆いかぶさっているゼロスの糸目が愉しそうに歪んでいた。
「僕はもっとリナさんの声が聞きたいんですよ」
そう言うと、ゼロスはあたしの両手首を片手で掴み頭上へと押し伸ばした。同時にそれまで以上に激しく奥を突き上げる。
その刺激にあたしは眉間に力を入れ、唇を力強く噛んだ。口の中に血の味が広がるほど。
ただの強がりではない。相手の望むように嬌声を発するなど、あたしにできるはずがなかった。
安宿の薄い壁の隣には、長年連れ添った旅の相棒が寝ているのだから。
「――んっ……ぐっ!」
あたしは声を殺し、年季の入った木製のベッドの軋む音が少しでも軽くなるようにように身を固くする。 耐えていればそのうち終わりは来る。夜が明けるか、ゼロスが興味を失うか。どちらにせよ、あたしに選べる選択肢などない。
「素直になったほうが、もっと気持ちいいですよ」
ゼロスの低く甘い声音は、あたしの内耳に滑り込み堕落へと誘惑する。
右耳を甘噛みされ、耳の端をなぞるようにゼロスの舌が這う。それに応えるように無意識に身体がびくびくと波打つ。 耳に吹きかけられる熱のない吐息は頭の芯を痺れさせあたしの情欲をかきたてる。
快楽に身を委ねたい気持ちと、いいままに扇情される自分を抑え込む理性。その葛藤と闘いながら、あたしは固く目を瞑り、口を結んだ。


いつもの旅路。自由気ままな相棒と波乱あり、笑いありの珍道中。 退屈とは無縁の毎日。
だがある日、あたしの元へ悪魔が嗤い来た。
「――物足りないのでしょう?」
嘲笑うようなゼロスの一言が始まりだった。
退屈ではない。新しい景色に出会い、味わったことのない食事に舌鼓を打ち、たまには魔道の研究にいそしむ。
人間として、魔道士としての教養が深まるのは自分にとって有意義なことだ。何度経験しても、毎日の暮らしに新鮮さを事欠くことはない。 あたしはそんな穏やかな日々を満喫していた。
しかし、ふとした一瞬、満たされない感覚に襲われることがあった。
その正体が何なのか、あたし自身薄々気付いていた。だが、その解決策を旅の相棒に求めるのは憚られた。
彼とそういう関係になってしまったら、今までと同じように旅ができるのか、笑いあえるのか。それとも――終わりを迎えるのか。
どっちにも転べない、転びたくない臆病な心の隙間に、あいつはするりと滑り込んできた。

初めは抵抗した。全力で相手を押し退け、あらん限りの罵詈雑言を浴びせた。 でも、それで怯む相手であるはずもなく、あたしの身体と精神はズタボロになった。
二回目も抵抗した。でも、結果は同じだった。
三回目も抵抗した。だが、気付いた時にはもう、あたしはゼロスの毒牙に酔っていた。
行為に慣れてしまえば、押し寄せる想像以上の快楽の波があたしの理性など軽く吹っ飛ばしてしまう。 自分の身体を這う舌が、身体の中心を突き上げられる刺激が麻薬のようにあたしの頭を痺れさせる。
乾いていた心の奥が潤い満たされていく感覚――一度覚えてしまった蜜の味を、忘れることなど出来ない。
抗えない人間の性に辟易しながら、今日もあたしはゼロスを受け入れていた。


疲れなど知らないゼロスの攻撃は休むことなくあたしの内奥を突き上げる。
時にはゆっくり。そして激しく。
魔族のくせにあたしの一番弱いポイントを熟知している。 なんと忌々しいことか。
あたしは愉しそうに笑みを浮かべるゼロスをキッと睨んだ。
抵抗できるうちは抵抗する。大人しく馬鹿みたいに嬌声を撒き散らしたほうがゼロスの興を削ぐことができるのかもしれないが、あたしにその選択肢はなかった。
「おや、まだまだ余裕がおありのようで」
だがそれも逆効果。悪魔の嗜虐心をそそったようで、彼の口の端が吊り上がる。
絹糸のように柔らかい髪があたしの肌をすべりながら、ゼロスの舌はそのまま首筋、胸元へと降り―― 膨らみの中心でとっくに固くなっている突起へとたどり着く。
それと同時に、ゼロスは空いた片手で自分たちの接合部のあたりをまさぐり――
「――っんひあっ……!」
同時に、限界を軽く超えそうな快感が電撃のように全身を走り抜け、あたしはついにたまらず声を上げた。
腰の動きは止めぬまま、ゼロスは舌で乳首をこね回し、指先で秘部の奥で膨らんだ突起を弾くように弄った。
加速する摩擦の刺激に、中からぬるりとした液がとめどなく溢れ出るのが自分でも分かった。接合部がぶつかり合う淫靡な音が大きくなる。
「リナさん……可愛いですよ」
激しく突き立てる行為とは裏腹な優しい声音は、あたしの熱くなりすぎた頭には届かなかった。
羞恥、背徳、悦楽――ないまぜになった感情と昂る快楽の波に、ついにあたしの理性は吹き飛び、意識は堕ちた。


どれくらい時間が経ったのだろうか。
微睡んだ瞼をなんとか持ち上げ、軽く首をひねると、満足な笑みを浮かべた性悪魔族がベッドの端に足を投げ座っていた。
黒い法衣だけを脱ぎ、何事もなかったかのようないつものいでたちに一瞬夢だったのかと錯覚するも、一糸まとっていない自分の姿に現実を再確認する。
「いかがでしたか?」
「――最悪だったわ」
ストレートに感想を求めるところが、人間のデリカシーを理解しないこいつらしい。あたしは足元に丸まった毛布を体に引き寄せ、若干腫れた唇でそう吐き捨てた。
「おや、そんなはずはないと思いますよ?」
ゼロスはわざとらしくあたしの目の前で右手をひらひらさせた。 部屋の灯りがその手に反射し、薄水色の手袋に流れる幾筋もの跡がきらきらと光る。
それが何なのか、言うまでもない。あたしは耳の先まで熱くなり、ぎっとゼロスを睨みつけた。
「いちいち見せなくていいわよ。――あと、前から言おうと思ってたんだけど」
「なんでしょう?」
悪びれもなくゼロスは手袋を伝い落ちる雫に舌を這わせながら訊いてくる。
その動作がいちいち癇に障る。あたしは体を起こし眉間に力を入れ、
「……手袋、痛い」
口をもごもごさせながら、ずっと思っていたことを吐き出した。
魔族だからか、自分が楽しむだけだからか知らないが、こいつは最中も服を脱がない。あたしの服はいの一番にひんむくくせに。
ゼロスは目をキョトンとさせると、軽く吹き出しくすくすと笑った。
「それは失礼しました」
そう言うなり、ゼロスはあたしの両手をおもむろにつかみ、胸の前で拘束すると同時にあたしの体を押し倒した。
「ちょ、ちょっと!」
抵抗する間もなく、ゼロスがあたしの上に覆いかぶさる。
「知らなかったとはいえ、痛い思いをさせてしまいましたから。次は、もっと気持ちよくさせてあげますよ」
「ふえっ!?もう間に合ってま――っん……!」
いつだって反論はさせてくれない。ゼロスの濃厚な口づけによりあたしの言葉は出口を失った。
ゼロスの舌があたしの唇をこじ開け、舌と舌を絡み合わせる。そのざらりと、そしてぬめっとした感覚に、冷め始めていた身体に火照りがよみがった。
存分に口内をまさぐられ、まだ痺れの残る局部がじんと疼く。
唇が外れると、ゼロスは右手の人差し指をあたしの唇にとんっと乗せた。
その仕草の意味がわからず訝しげな視線をゼロスに投げる。
「手袋、嫌なんでしょう?」
意地悪い笑みを浮かべるゼロスに、あたしは悔しさと恥ずかしさから顔が一気に熱くなった。
あんな一言を言わなければよかったと後悔したが、疼く秘部と胸の奥からこみ上げる淫らな好奇心にもはや打ち勝つことはできない。
そっと、あたしは差し出された人差し指を咥え、顔を横へ動かした。
液が乾いてぱりぱりになった手袋はするりと抜け、その下からは細長く綺麗な指が現れる。
見惚れてしまいそうなほど美しい造形に、あたしは頬が緩むのを感じ慌てて唇を噛んだ。
この手に身体を触れられたら、どれほどの快楽が待ち受けているのだろう。
そんなことを考えてしまう自分に心底嫌気がさした。
どれほど拒絶の言葉を並べようとも、一度受け入れてしまった繋がりに愛着を感じてしまうのも事実で――。
これがゼロスの言う、『愚かな人間』ってやつなのだろう。

あたしは陶器のような滑らかそうな指に、自身の指をそっと絡ませた。
一度堕ちてしまえば、どこまで堕ちようとも変わりはしない。ならば少しの享楽に身を投じることぐらい許されるはずだ。
――だれに?
滑稽な自問自答に、あたしは鼻で笑った。
許しを乞う相手などいない。自分は自由で――そして不自由だ。
「何かおかしいですか?」
あたしの様子にゼロスは怪訝な顔でこちらを見返した。
「……別に。男の手にしちゃあ、ちょっと綺麗すぎるわね」
「そうですか?ではもうすこしごつごつさせてみましょう」
真面目に答えるゼロスに、あたしは思わず吹き出した。
「ンなことしなくていいわよ。――あんたはこれでいいの」
仮初≪つくりもの≫らしいところのひとつでもないと、ついつい忘れてしまいそうになる。
目の前で可愛らしく小首を傾げる男は、常に自分の喉元に刃を突き立てている存在であるということを。

絡まった指に力がこめられた。そしてあたしの手の甲にゼロスの無機質で柔らかい唇が落とされる。
そのままあたしの熱を帯びた腕を伝い、欲に潤んだ唇へとたどりつく。
あたしはゆっくりと目を閉じた。
そして残り僅かな理性をつなぎとめるがごとく、温もりのない愛しい手をぎゅっと握りしめた。


〜fin〜
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