特別な日と贈りもの

「まいったわねぇ……こりゃ」
 頭をわしわしと掻きながら、あたしはボソリと呟いた。紙が擦れる音とペンを走らせる音以外聞こえてこない静かな図書室で、あたしの深いため息がやたらと大きく響き渡る。

   そこそこ大きい街にある魔道士協会の図書室。魔道書だけでなく主婦の頭を悩ます料理献立の本や、子供が捕まえた昆虫の生態を調べる図鑑など幅広い書物を取り扱っているため、人の出入りは激しい。
 あたしも例に漏れず、旅の仲間と各々自由時間を設け、私用を済ませた帰りにふらりと立ち寄った。そこで気になる魔道書を偶然見つけ貪るように読んでいたのだが……。
「……これ……文字?」
 途中から出てくる見たこともない意味不明な記号の羅列。古代文字の一種なのだろうが、あたしの知識では解読できないものだった。
 古代文字の辞書を引けばそれなりに解読できるかもしれない。だが、今から広い図書室を歩き回り目的の物を探し、一文字一文字解読するとなると、間違いなく待ち合わせの夕刻までに終わらない。明日は朝早く次の街へ旅立つことが決まっている。やるとしたら今しかないのだが……。
「おや、懐かしい文字ですね」
 のほほんとした聞き慣れた声は、真後ろから降ってきた。あたしは仏頂面のまま首だけを後ろに傾けた。確認するまでもないことなのだが、そこにはお決まりの黒い法衣に糸目の笑顔。お調子者のスットコドッコイ魔族が立っていた。
「あんたも暇ねぇ……」
 いつもなら即刻、帰れ帰れと手を払うのだが、今回ばかりはこのパシリ魔族の出現は有難かった。

 あたしは頭を正面に向け、ゼロスにちょいちょいっと手招きをした。
疑問符を浮かべながらゼロスはあたしの横に座り、距離を詰める。
「なんでしょう――ぐえっ」
 顔を近づけてきたところで、あたしは左腕をゼロスの首にまわしぎりっと締めあげた。ついでに日頃の鬱憤も込めて更にぎりりと締めあげる。苦しくもないのにご丁寧に呻き声を上げるところが逆に腹が立つ。
「どうせ暇なんでしょ?ちょっと手伝って欲しいんだけど」
「……人にモノを頼む態度とは思えませんけど」
「スキンシップよ、スキンシップ」
 お互い軽口を叩いたところであたしは腕を解き、机の上に広げていた魔道書をゼロスに見せた。
「あんた今、懐かしい文字って言ったけど……これ、読める?」
「えぇ、読めますよ」
 期待通りの答えにあたしはにんまりと笑った。
「ねぇねぇゼロスくーん。読んでほしいなぁ」
 大きな目をぱちぱちさせ、いつもよりも一層可愛い声でお願いするあたしを、ゼロスは頬をピクピク引き攣らせ気味の悪いものを見るかのような目で見返してきた。
 こんな美少女がしおらしく愛らしくおねだりしているのに失礼なヤツだ。
「それは構いませんが……タダ、というわけにはいきませんよね?」
 ゼロスは意地の悪い笑みを浮かべ、下から見上げるようにあたしの顔をのぞき込んだ。
 むぅ、やっぱりそうきたか。
 流れに乗せられてつらつらっと読んでくれればいいものを……。

   あたしはふぅっとため息をつき、ジト目でゼロスを睨みつけた。
「……なにが欲しいのよ?」
「そうですねぇ……」
 人差し指を顎に当て、うーんと唸るゼロス。そんな可愛らしい仕草をする必要などないのに、こういう人間臭い所作が高位魔族である証なのだろう。
 名案を思いついたと、わざとらしく指を鳴らしあたしへと視線を向ける。
「では……リナさんの時間をください」
「ほえ?」
 予想外の要求に、思わず目が点になった。

 呆気にとられているあたしを放置し、ゼロスは静かに席を立つと受付へと歩いて行った。
 ニコニコ顔のままゼロスはすぐ戻ってきた。その手には、砂時計が握られていた。
 子供が人気のある本を取り合わないように、時間を決めて貸出をする際に使われるものだ。手の平サイズのそれは、ゼロスの手の中でくるりと回る。ガラスの中に閉じ込められた黄色い砂が小さい穴からサラサラと落ち、下の空洞部分に小さな山を築いていく。
 ゼロスの意図が分からず、あたしは小首を傾げた。
「この砂時計が落ち切るまでの時間で結構です。その時間を、僕にください」
「へ?そんな短い時間でいいの?」
「はい。その間、リナさんは何もしなくて結構ですから」
 正直、丸一日ぐらいの覚悟はしてた。なので、そんなささやかな要求を提案されたら断るものも断りにくい。
 それならと、二つ返事で合意しようとしたところで、あたしは一度ごくりとその言葉を飲み込んだ。
 一見人畜無害そうな笑みを浮かべていても、曲がりなりにもこいつは魔族。安易に返事をするのは危険だ。
 あたしはこほんと咳払いをし、ジロっとゼロスを睨みつける。
「……変なことしない?」
「変なことってなんですか?」
 揚げ足を取られるのは重々承知の上。それでも我が身の安全のため、確認を怠ってはいけない。
 むうっと頬を膨らませるあたしを、ゼロスはくすくす笑いながら見下ろしていた。
「大丈夫です。何も変なことしませんから。お約束します」
「……約束破ったらごはん奢ってもらうからね」
「わかりました。では、行きましょうか」
 合意が取れると、ゼロスはあたしの手を握りそのままぐいっと引っ張られた。慌てて立ち上がりゼロスの後をつまづきながらついて行く。
「ちょ、ちょっと!ここじゃダメなの?」
 ずんずん歩くプリーストに問いかけ、ちらりと窓の外を見やる。
 木枠にはめ込まれたガラス窓は曇っている。それは決して掃除を怠っているからではない。外でしんしんと降り積もる雪が外気を冷やし、大勢の人がたむろする部屋の熱気と相まって窓を真っ白にしているのだ。
 せっかく暖かい部屋で温まった体を冷やすのは勿体ない。何よりも、寒いのはヤダ。
「貴重な時間をいただくわけですから、それなりの場所に行きましょう」
 意気揚々と歩みを進めるゼロスに引っ張られ、あたしはこの取り引きに首を縦に振ってしまったことを激しく後悔したのだった。


 魔道士協会を出て大通りを足早に通り抜ける。まだ真昼だというのに、厚い雲がこれみよがしに存在を主張しているため薄暗い。図書室に来た時よりも気温は下がり、吐く息までも瞬時に氷の粒に変えてしまう。地面に積もった薄い雪は凍りつき、街ゆく人々をつるつると踊らせている。あたしも何度か足を取られそうになるが、繋いだゼロスの手に支えられなんとか尻餅は免れている。
 しかし――寒い。厚手の外套を羽織っているとはいえ、長時間外を出歩くのはキツイ。目深に被ったフードの中まで雪が入り込み、顔はガラスの仮面のように強ばっている。鏡を見ればそこには鼻水を凍らせた赤鼻の美少女がいることだろう。
 あたしは歯をカチカチ鳴らしながら目の前にいる後ろ姿を見つめた。寒さなど感じない体でも、雪降る街でこんな薄着の法衣だけでは見ているこちらが寒くなる。繋がれた手は熱を帯びることなく、指先を動かすことさえ難しいぐらいかじかんでいる。
 冷えた空気が鼻腔を突き刺し、たまらずクシャミがでる。その瞬間、急に立ち止まったゼロスの背中にあたしの顔面がにゅりっとめり込んだ。
 あ、鼻水ついたかもしんない。

 どうしたの?と聞く前に、ここで待っていてくださいと、ゼロスは通りに面した店に入っていった。女の子を寒空の下で待たせるなんて無礼極まりないが、意外と早く店から出てきたのでまぁ良しとする。
「買い物?」
 あたしの質問に、ゼロスはにっこりと笑って返した。そしてまた、あたしの手を握る。今度は両手。
「移動しますね」
 えっ?と声を上げるまもなく、少しの浮遊感とともにあたしの視界は真っ暗になった。


 浮遊感が消え、地面に足がついた。どうやら『それなりの場所』に着いたらしい。視界はいまだ真っ暗。分かるのは握られたゼロスの手の感触だけ。
 あたしは明かり≪ライティング≫の呪文を唱え――ピタッと唇に何か当てられた。少しザラッとした布の感触。それがゼロスの指だと理解する前に、目の前にぼんやりとした暖かい灯りが浮かび上がった。ゆらめくオレンジの光。少し焦げ臭い。
 いつの間にかゼロスの手には燭台が握られていた。頼りなくゆらぐ炎があたしとゼロス、そして部屋の中をぼんやりと照らし出す。
 部屋には一目で高級とわかるような革張りのソファや調度品が置かれ、なめらかな木張りの床には底冷えを防ぐためか部屋の隅まで分厚い絨毯が敷かれている。土足なのが躊躇われる。そして部屋の正面奥にはぽっかりと黒い口を開けた大きな暖炉。
 あたしはぶるっと身震いした。窓の外を見ればしんしんと降る雪は変わらず世界を一面白に染めている。部屋の中にいるとはいえ寒いことには変わりない。
 あたしが歯をガチガチ鳴らしている様を見、ゼロスは燭台を暖炉の上に置き、そばに置かれている薪を暖炉にくべ、ぱちんっと指を鳴らした。ぼっ、と音がすると次第に柔らかな炎が薪の間からちろちろと顔をのぞかせた。
 徐々に大きくなる炎と暖まる部屋の空気にあたしはようやく息をつき、部屋の中とゼロスとを交互に見やる。
「今更だけど、ここどこ?あんたの別荘とか?」
 そんなわけないと自分で思いつつも、なにか話していないと落ち着かない。
「さぁ……どこかのお金持ちの方の別荘なんじゃないですか?」
「ど、どこかのって!じゃあこれって、不法侵にゅ」
「そんなことより、さぁこちらへ。ここに座ってください」
 あたしの至極真っ当なツッコミに聞く耳持たず、ゼロスは暖炉の前に腰を下ろし、その横の絨毯をぽんぽんっと叩いた。豪華なソファや、よく見れば座り心地良さそうなロッキングチェアまであるのに、なぜ床?
 色々と言ってやりたいところだが、いちいち反論していては日が暮れるどころか夜が明ける。
 あたしはしぶしぶゼロスの横に腰を下ろす。ゼロスは懐から先程の砂時計を取り出し、あたし達の前に置いた。
「では、ひっくり返しますね。あ、もう一度言いますけど、リナさんは何もしなくて大丈夫ですから」
「え、う、うん……」
 リナさんは、ってところが強調されてるような気がして不安が膨らむが、ここまで来てしまっては後戻りは出来ない。というか、一人じゃここから帰れない。
 ゼロスはくるりと砂時計をひっくり返した。黄色い砂は重力に身を任せ小さな穴から零れ落ちていく。暖炉の火に照らされて、砂はきらきらと砂金のよう。あたしがぼーっと砂時計を見ていると、突然視界が傾いた。

 ぽすっと、あたしの頭はゼロスの左肩にくっついた。
 ゼロスが左手であたしの肩を自身に抱き寄せた――そのことを理解するのにはかなり時間がかかった。
 なにしろ、一瞬で頭は真っ白、顔は大火事、心臓は跳ね馬のようにバックバク。
 ど、どうしよう……これを『変なこと』だと言うべきか……でも、こいつには胸触られたりキスされたりと色々やらかされてる分、今更この程度で騒ぐのも逆に情けないか……。
 真っ白な頭で思考はぐるぐる空回り、過去のゼロスのイタズラを思い出しては頭の上から蒸気を出す。
 ――情けない、実に情けない。
 あたしはちらっと視線だけを斜め上に向けた。そこにはいつもの半弧の糸目。何を考えてるのか探ろうとしばらく眺めてみるも、まつ毛の一本すら動かない。……って、ちゃんとまつ毛あるんだ。

 そう言えば今までこんなにも近くでまじまじと顔を見たことなんてあったっけかな?
 いつもは用が済んだらさっさと消えるし、暇潰しにちょっかいをかけてきても、あたしに触れるのはいつも一瞬だ。まぁ、抱きかかえられたことはあるけど、それも戦闘中だったりするし。こんな風にずっと密着するなんて珍しい。
 ……密着。自分で勝手に想像したその言葉に、あたしの心臓はさらに跳ね上がる。
 だぁぁぁあたしのバカ!余計なこと考えてんじゃないわよ!
 顔のパーツが真ん中に集まったんじゃないかと思うぐらい顔の筋肉に力を入れた。こうでもしないと、口の端が上がっているのがバレてしまう。
 もう一度、恐る恐る視線をゼロスに移す。ゼロスの顔は変わらない。


 ――沈黙。
 ゼロスは、何も喋らなかった。部屋に響くのは薪がパチパチと火の粉を散らす音だけ。
 ゆるやかな時間は過ぎるのが遅い。それでも確実に、時は流れている。
 砂時計の残りが三分の一になったところで、ようやくゼロスは口を開いた。
「……リナさん」
 いつもの口調より柔らかい気がするのは、温まった体にじわじわと忍び寄る睡魔のせいだろうか。
 あたしは首をかしげてその先を促した。すると、ゼロスは曲げていた膝を伸ばし、あたしの肩に置いていた手に軽く力を込めた。
 またしても傾く視界。先程と同じ音を立て、あたしの頭はゼロスの太ももに乗っかった。
 ――ひ、ひざまくら……
 反射的に思考と体が固まった。
 これはアウトだ。そう抗議しようとした。しかし、あたしが身を起こすよりも早く、ゼロスは行動を起こしていた。

 頭を撫でられた。信じられないぐらい優しい手つきで、てっぺんから頭の形をなぞるようにすべらせ、あたしの長い髪を梳いていく。
 あたしは心臓が口から飛び出さないようにむぐっと口をつぐんだ。
 耳の先まで熱を帯びているのが分かる。
 ――な、何考えてんのよこのどスケベ魔族!
 他人から見れば決してやましい行為ではない。でも、あたしからしてみれば十分『変なこと』の部類に入る。

 ゼロスは何度も何度も、同じ動作を繰り返した。たまに耳にかかる髪の毛をかきあげたり、毛先を指に絡ませて遊んでいる。
 初めは羞恥心でいっぱいだったが、時間が経てばそれなりに頭は冷える。
 いつの間にか、あたしはこの所作を気に入っていた。頭部にかかる指の力加減は程よく、マッサージに近い。髪の毛を梳かれるのも、実はそんなに嫌いじゃない。

 ……時間、あとどれぐらいかな……。
 砂時計を見る。黄金の砂は、今まさに全て落ちきろうとしていた。
「あ」
 思わず声が出た。
 最後の一粒が砂の山に落ちる。
 それよりも早く、砂時計は天地をひっくり返された。またさらさらと、新しい山を築き出す。
 砂時計は新たに時を刻み始めた。
 あたしの手によって。
「……リナさん?」
 表情は見えなかったが、ゼロスの声は明らかに驚きを含んでいた。
「……サービスよ」
 正直、咄嗟に手が出てしまった自分にあたしが一番驚いている。
 まだ終わりたくない。そんな風に思ってしまったのは、暖かい暖炉にほどよい睡魔とマッサージのせいだろう。きっと。
 頭の上で、くすっと笑う声が聞こえた。
 ゼロスは止めていた手を再開した。


 静謐な空間。魔族と過ごしていると思えないほど、優しい時間。
 あたしは次第に凶暴さを増す睡魔に目をしぱしぱさせた。
 ……いかん……このままでは眠ってしまう……。
「……ゼロス。なんか喋って」
「寝てもいいですよ?」
「ヤダ」
 つっけんどんなあたしの言葉に、ゼロスはまたくすりと笑った。
「そうですねぇ……では、こんなお話はいかがでしょう。
――この世界とは別の世界で、一年に一度、人々が神に祈りを捧げ、今ある幸福を大切な人と分かち合う特別な日があります。家族、友人、恋人……。皆で食卓を囲み、美味し糧を頂く。そして日頃の感謝や自分の想いを込めて、贈り物をするそうです」
 ほどよいまどろみの中、あたしはじっとゼロスの言葉に耳を傾けた。魔族が語るには実に滑稽な内容なんだろうけど――あたしはこの話を知っていた。
 実は今朝、旅の仲間から同じ話を聞かされたばかりだった。彼女も何かの文献で知ったのだろう。イベント事を真似たがる彼女の性格は言わずもがな。有無を言わせずの強制参加。だからこそ、夕刻の待ち合わせは時間厳守だと念押しされている。
 要は美味しいごはんが食べられる。そのぐらいの気持ちでいたのだが……。
「……魔族からしてみれば……さぞかし……気持ち悪い……話、でしょう……ね」
 本格的にまどろみが猛威を振るってきた。冷えきっていた体はとっくの昔にほぐれ、湿ったブーツの中の足先まで温かい。瞼は重くその仕事を終えたがっている。あたしは意識が闇の中に転げ落ちないよう必死で気を保つ。
「そうですね……そう思ってました」
 ぼーっと熱くなる頭を、ゼロスの手が優しく撫でる。
「でもね……案外、悪くないものですよ」
 穏やかで、低くて、優しい声音が子守唄のようにあたしの脳内に染み込んでいく。
 ゼロスの声って、こんなに心地よかったかな……。
「大切な人が、僕のことだけを考えてくれる時間、というのもね」


 あぁ……ゼロス、あんた今どんな表情≪かお≫してるの?
 今なら、いつもと違う顔がみれる気がする……。
 ちょっと、見てみたいな……。

 瞼を少し持ち上げて、軽く頭を後ろに傾ける。それだけで、その願いは簡単に叶ったのに……。
 暗転する視界に、金の砂の山がきらりと光る。
 ダウン寸前の意識は、とうとうあたしの手の届かない遥か遠くまで飛んでいってしまっていた。


「……ナさん。リナさん!」
 体をがしがしと揺すられ、あたしは重たい瞼を薄ら開けた。
「もう!あれほど時間厳守って言ったのに!閉館時間までうたた寝するなんてヒドイです!」
 よく知った仲間の声が、まどろむ頭に響き渡る。
「……ごめん。……あれ、ここ……?」
 眠たい目を擦りながら、あたしは体を起こし、あたりを見回した。ずっと机に突っ伏していたのか、背中や腰がパキパキと音を立てる。
 閉館時間、ということはどうやらかなり深く眠ってしまったようだ。あれほど混雑していた館内も、あたしとアメリアがいるだけで静まり返っている。
「まだ寝ぼけてるんですか?」
 ジト目で睨むアメリアに、あたしは頭を軽く振り、ぱたぱたと手を振った。
「いや、何でもない……ごめんごめん!じゃ、行きましょうか」
 あたしは慌てて広げたままの魔道書や筆記具を片付けた。
 しかし、その手はすぐにピタリと止まる。見覚えのない一枚の羊皮紙が、魔道書に挟んであった。
「あ」
 あたしは小さく声を漏らした。
 そこには、あたしが知りたかった内容が綺麗な字で書かれていた。
 どうやら、神出鬼没の便利な辞書はちゃんと約束を守ってくれたようだ。さっきまでのことは夢だったのかと一瞬思ったけど、そうではないみたい。
「あれ?リナさん、髪になにか刺さってますよ?」
「へ?」
 アメリアはそう言うと、あたしの頭に手を伸ばし何かを掴んでいた。
「ほら」
 アメリアが差し出したそれは、銀細工の小振りな髪留めだった。花をモチーフにしアメジストとルビーが品良く飾られている。裏にはブローチにもなるようにピンが付いている。

 ふと、頭を撫でる優しい感触と、耳に心地よい子守唄を思い出し、頬が熱くなった。
 ……相変わらず、何を考えてるのかわからないヤツ。
 あたしはその髪留めを、折り畳んだ羊皮紙と一緒にポケットにしまった。アメリアが怪訝な顔でこちらを見ている。そんな彼女に、あたしはウインクをひとつ。
「さ、早く行きましょ!ガウリイとゼルが待ってるわよ!」
「リナさんが言わないでください!」
 席を離れ、受付の返却棚に魔道書をぽいっと置いた。
 去り際に、カウンターに置かれた砂時計が視界に入る。


 時間が戻るなら、あの砂時計をもう一回ひっくり返して、あの時のあいつの顔を拝んでやりたい。
 とりあえず、次会った時はお茶の一杯でも奢ってあげようか。
 ポケットの中の贈り物にそっと手を添えて、あたしはくすっと笑った。


  〜fin〜
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